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■ぼくのnoteが読まれないワケ

「文学」と「作家」への道(27)
「詩人の独り言」改

◇「共感」されていない…に尽きる

掲げている画像のとおり、444日連続の投稿にたどり着いた。11月8日付。
毎日投稿するのは、それが趣味であり、心の拠り所のひとつであるから。
疑う余地のないことである。

にしても、ここで数字を出すまでもなく読んでくれる人は、ずっとずっと低空飛行が続く。
ビュー数は自分以外には分からないだろうが、スキの数はほとんど一ケタ。
それだけで、読まれていないことは明らかだ。
この数日は、いつも読んでくださる方一人二人がスキをつけていただき、かろうじてスキゼロを回避している。

こちらの投稿のメーンはもちろん詩。
そして、駄文のエッセイである。
いずれも、「自分が自分を正直に見ていること」を言葉にしている。

この夏に会社を辞めてから無職無給が続き、基本毎日出かける場もなくなり、気分的にはかなり滅入っている。
変化にも乏しい。
当然書く内容は、他の人に共感してもらえることは少ない。
愚痴…だらけであるから。

みなさん、そんなものは読みたくない…。
それでも読んでくれている人は、神様仏様である。

三流の新聞記者であった。
特ダネも取れず、取らず、取材先に偉そうにふるまい、筆だけはこれまた偉そうに「世の中をよくしてやるために、我われが知らせるのだ」みたいな文章を多く書いて来た――。

ネットの世界で、自称プロのライターや素人が、冗漫でバカ丁寧、へりくだるばかりの文章に、なぜ多くのスキがつくのかまったく理解できない。

何度でもいうが、「〇〇させていただく」に始まり、自分が金を払って食事したり、利用したりする店について、「きょうのランチは、名店の○〇亭さんにうかがい、肉汁たっぷりの餃子に満足!」みたいなことを書くバカども。
そんな文章に共感する、これまた〇〇ども。

そんなことを思って、へりくだらない文章を書いていては、共感は得られにくい。当然だ。

それは抜きにしても、自分の文章、特に詩に関しては、1年、2年前に書いていたもののほうが内容的にずっといいと思う。
ヘタ、内容が薄い…それが進行しているのである。

外に出ない、人と会わない、話さない状況がかれこれ5カ月。
詩に書けるものに、広がりがなくなっていると自分でも感じる。
以前は、批評をくれた人もまったく寄り付かなくなっているし、どこかの詩誌で入選でもしない限り、町谷東光は完全に埋もれてしまいそうだ。

そしてこの先、ぼくの投稿がnoteで急に読まれるような奇跡はないだろう。

しかし、書き続ける。意地でも連続投稿をする。

これからも、自分の中にある正直な気持ち、それを言葉にする
その姿勢で書いていく。
間違っても、ラーメン屋に、さん付けはしない。

本当に書けなくなったときは、自分も終わりだ。

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