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「写真」

もの言わぬ
死者の顔を
写真に撮るな
そう言う人がいる

スマホでパチパチ
撮る人がいる
懐からスッ
スマホを抜き取り
棺の中の死者の姿を
画像に収める

眉をひそめる人も
いるという

ぼくは
一眼レフのカメラを構え
死者の顔を撮った
30数年前に亡くなった祖母
もちろんフィルムカメラの時代
4年前に亡くなった母89歳
デジカメだ
1年前は
義理の伯母を撮った91歳
みな よいお顔をしていた
…と思う

12年前 85歳で逝った父
ああ 喪主だったから
さすがに自分でシャッターを切らなかった
息子に撮らせたか…いや それはないかな
いや やっぱり撮ったろうか
探さないと分からない
母の時は 息子に撮らせたか
もう大学生だったから

30数年前に撮った祖母
その棺の中の紙焼き写真を
何年かして
母が生前 庭で燃やした
ぼくが実家に帰っていたときだ
その写真が偶然出てきたのか
ぼくがいたときに合わせて
燃やしたのか
母の真意はわからない
縁起でもない――
と口にしながら
火に写真を投げ入れた

身近な人の
死を記録するのは
いけないことか
縁起でもないことか

ぼくは
そうは思わないから
過去に何度か
シャッターを切ったのだ
ただ
その場合
スマホは使わない
スマホではいけない

さすがに ぼくは思うのだ

スマホで撮るのは
記録的写真ではない
そう思うのだ

でも
ぼくの 死に顔を
誰かが記録しておこう
そう思うだろうか

いいのだ
どんどん
撮ってくれ
いいのだ
ぼくが灰になる直前の
その顔を
残しておいてくれないか

死んだ後に
FaceBookに
アップしてもらってもいいよ

ただ
スマホでは
撮らないでくれるな

カメラを構え
脇を締め
気持ちを込めて
シャッターを切ってくれ

そう思うのだ
そう願うのだ

死者への礼儀を言うなら
それだけではないかな

写真で記録すること
その気持ちは
カメラのレンズを通してのほうが
スマホよりずっとずっと ある

フィルムで撮り
現像し
紙に焼き付ける
ぼくにとっての
写真とは
プロセスを踏んで存在するのだ

その思いで
シャッターを切っておくれ

誰か
ぼくの死に顔を
残しておいておくれ

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