28年前、神戸を振り返って

28年前
ラジオ局を辞めて自営業の時。自分で決められるんだからもう行くしかない。

近所の登山家の方がリュックと寝袋を貸してくれた。
行く前に買い出しに行ったらお店のおばさんがよろしくねと余分に袋に入れてくれた。

何の伝手もないところで、新聞を見て応募、1月末に集合場所の原宿からバスで神戸へ。

同じようなメンバーと避難所になっている福住小学校という学校へ。
弁当配布、炊き出しの野菜を洗ったり、段ボールを配ったり・・・
教頭先生とはよく話をした。

避難所に高校球児がいるという事でテレビの取材が来た。管理者の許可もとらずに校舎に入って来たので、口論の末に追い返した。避難している人を売り物にしようという偉そうな姿が許せなかった(彼らは彼らの論理があるので可哀そうだったかな)。

約1週間の予定の帰りのバスには乗らずに延長して滞在。少し余裕が出て来て再開した地元の銭湯に行ったり、周辺を歩いたり。

その後、元気な知り合い宅を訪ねたりしながら歩いて三ノ宮へ。
道路に向かって倒れたビルや潰れた駅舎など。
頑丈な象徴のようなビルがコロッと転がる。
世の中、何も確実なものは無いんだなと実感。

確実なものは無いという想いは今も持ち続けている。

放送局の先輩にも会って、暖かいものをご馳走になった。

夕方電車で大阪へ。
東京と同じような通勤風景というギャップ。
夜行バスも日常。ギャップ。

とても得難い体験。
何をやってもダメな時はダメ。
世の中には確実なものは無い。
その中でいかに身を守るか。

そして、16年後に三陸で同じ事を確認した。

出来るだけの事はやる。
でも、完璧は無い。
やっている事には限界がある。
特に、人間が出来る事なんて自然の中のごく一部。
自然とどうやって一緒に暮らしていくか、一緒に居させていただけるか。

そして、必ずやってくる災害で、助ける人になるのか、助けられる人になるのか。

メディアは何を伝えるのか。

事実を伝えよう。

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