自分の道を行く【前編】~暮らしとコミュニティ~
「よっちゃんが好きなものって何なん?」
千葉県の房総半島にある田舎の港町、”金谷”に移住して間もない頃。
関西出身の陶芸家の友人に、そう訊かれたのをよく憶えている。そして、その質問に対して、しどろもどろになり、上手く答えることが出来なかったことも。
はっきりと「好きだ!」と言えるものなんて、当時の自分にはなかったから。
あれから約3年の月日が経ち、金谷を離れることになって思う。金谷で過ごした月日は、その答えを探すためにあったのかもしれないということを。
金谷を選んだ理由なんて無かった
「金谷に来た理由は何ですか?」
移住してからというもの、そう何度も尋ねられた。
移住当初は、金谷と東京の二拠点生活を送っていたから、ところ構わず、よく聞かれた。
移住したきっかけを伝えるのは簡単だった。
「大学時代に、地域活性やまちづくりについて研究していた。だから、そういったことをやっていきたくて田舎に住みたいと思っていたところ、友人のつながりで、住む場所と働く場所を紹介してもらった」と。
ただ、金谷でなければならない理由も、必然性も何もなかった。金谷に来たのは、縁ではあるかもしれないけど、ただの偶然。
だから、移住して1年経つ頃には、「なんで金谷に来たんだっけ?」と悩んで金谷を離れることも本気で考えたし、1年半が経つ頃には、どうにも分からなくて、2か月ほどの旅に出たこともあった。
悩みはしたけれど、金谷の暮らしは、とても楽しいものだった。
金谷を離れようと本気で考えたときも、そこで出逢った友人たちと離れたくなかったから、何とか踏ん張ることができた。
今となっては、「ここまで踏ん張ってきてよかった」と、心から思う。おかげで、たくさんの大切な人たちができたから。
「地域活性」と「新しい働き方」の答えを探して
金谷を選んだ理由ははっきりしていなかったけれど、常に2つの問いを抱きながら、この3年間を過ごしていた。
一つ目は、「本当の意味でのまちづくりや地域活性とは何なのか?」ということ。二つ目は「新しい働き方、幸せな働き方は何なのか?」ということ。
巷では、「地方創生」、「働き方改革」と呼ばれる分野の話だと思う。
「まちづくりや地域活性とは何なのか?」という問いは、大学時代にその研究をしていたときから抱いていたもの。ふるさとの秋田から関東に上京して、人口の違いや田舎・都会のギャップを目の当たりにし、研究を始めた。
「新しい働き方、幸せな働き方は何なのか?」という問いは、東京での4年半のサラリーマン生活の中で生まれたもの。当時、終電まで仕事したり、毎週のように休日出勤をしたり、会社の先輩がうつ病で辞めたり、決して幸せとは思えない働き方を目の当たりにして抱いた問いだった。
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金谷は20~30代の移住者が多く、人の出入りが激しいまち。だから、出逢いも別れもたくさん経験した。
別れが多いということは、新しく関係性ができても、皆すぐに離れていってしまうから、一緒に何かを長期的にやるのが難しいことを意味していた。別れは寂しいし、つらいものでもあった。
だけど、そのおかげで気付いたこともある。
別れが多い中で問われたのは、「自分一人になったとしても、追求し続けられるものは何か?」、「自分らしく居続けるためには何が必要か?」ということ。
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移住、田舎暮らし、多拠点生活、ノマド、フリーランス、パラレルワーカー。
住む場所、働く場所が限定されない暮らし。好きなことを仕事にする暮らし。今、そういったものが、加速度を増して広がってきている。
でも、それらは楽しそうに見えて、実現し継続していくことは決して簡単なことではない。そのためには、自分と向き合い、自分らしさであったり、自分がどう在りたいかを問い続ける必要がある。
自分らしさは、自分の好きなこと、得意なこと、大切にしたいこと、価値観、世界観など。
特に、人口の少ない田舎では、選べる仕事が少ないからこそ、自分の仕事を自分で作り出していかなければならない。そして、自分の仕事を作り出すには、自分らしさを理解する必要がある。
自分らしさを理解していくには時間がかかるもの。だから、金谷にいる間に、移住者支援プログラムというものの起ち上げを共同考案者として携わらせてもらった。
参照:【自分らしさを活かして自分の仕事を作る】移住者支援プログラム共同考案者・佐藤さんの想い
「地域活性」というワードへの違和感
暮らしというワードが数年前から、あらゆる場面でよく見かけるようになってきたように思う。なぜだろう?
金谷に移住する前、自分は地域活性・地域おこし・まちづくりといった言葉を多用していた。「地域活性に関することをやっていきたいんです」と。
だけど、移住してから間もなく、「地域活性」というワードに強烈な違和感を感じるようになった。金谷で生活しているとき、「地域活性」という言葉を口から出すことに、ためらいを持つようになった。
地域活性と言えば、移住促進、特産品開発、遊休不動産のリノベーション、耕作放棄地の再生など、その内容は多種多様で、「地域を元気にする」、「地域を盛り上げる」といったフレーズでその活動が行われることが多い。
それはそれで、地域活性と言って間違いないのだろう。
だけど、ひとたび町中を歩いて目に映るのは、その土地で生き、ただただ日常を送っている人たち。もちろん町の課題はあるだろうけど、普通に暮らしているだけだし、「地域活性」なんかしなくたって別にいい。
「地域活性は、他所(ヨソ)からの言葉なんだな」
金谷の生活を通じて、そう痛感するようになった。
じゃあ、地域活性やまちづくりの本質って何なのだろう?
今は、一人一人が自分の理想の暮らしをつくっていくことだと思っている。
暮らしとコミュニティ、そしてまちづくり
”地域”や”まち”というものを丁寧に紐解いていけば、そこには一人一人の暮らしが、その土地に行き交う人の数だけ存在している。
一人一人とその営みを集積したものが、コミュニティであり、さらにそれらのコミュニティが織り交ざって生まれるのが、“地域”であり、”まち”である。
お洒落なあのお店も、古びて年季のあるあの古民家も、何気なく置かれてある街灯やベンチも。まちのどこかで行われる定期的な活動やイベント、ゲラゲラ楽しいあの飲み会も。
建物も、街並みも、文化や伝統、まちの雰囲気でさえも、一人一人の営みの集積によって生まれたものだ。
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当たり前だけど、人は一人では生きられない。もし自分の理想の暮らしを愚直に追求していけば、一人では叶わないことも必ず出てくる。そのときにこそ、コミュニティの存在が大切だし、必要になってくる。
そして、1つのコミュニティだけでは解決できず、その解決策が”地域”や”まち”という単位に広がったとき、初めて「地域活性」や「まちづくり」が必要になる。
「地域活性」や「まちづくり」は、いつだって一人一人の理想の暮らしの追求が出発点であり、それらの結果とアウトプットこそが、「地域活性」や「まちづくり」であるべきではないだろうか?
最後に
「まちづくりや地域活性とは何なのか?」という問いも、「新しい働き方、幸せな働き方は何なのか?」という問いも、その答えは、自分の理想の暮らしが何かをそれぞれが追求することにあるし、その延長線沿いに存在するもの。
そして、自分の理想の暮らしを作るには、「自分一人になったとしても、追求し続けられるものは何か?」、「自分らしく居続けるためには何が必要か?」ということを問い続け、行動していく必要がある。
それが、金谷の3年間の生活の中で得られた、自分なりの答えだ。
自分の理想の暮らしを目指して。答えはいつも自分の中にあるから。そのために、3年間過ごした金谷を離れた。
※自分の道を行く【後編】~これからのやりたいこと~ へ続く。
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