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『リエゾン-こどものこころ診療所-』連載第4回より 〈凸凹のひと〉たちの〈眼〉が我々に投げかける〈問い〉について

 ちょうど私が発達障害に端を発する抑うつ状態の療養に入るのと時を同じくして連載が始まった『リエゾン-こどものこころ診療所-』に、勝手な縁と親近感を感じてすっかり毎週この作品を読むことが習慣となっているのだが、3月26日発売の『モーニング』2020年第17号に掲載の連載第4回目も非常に興味深く拝読させていただいた。今回も作品を通じての発達障害への学びは非常に多くあり(何度も繰り返す通り私は専門家ではないので、障害の症状や振る舞いそのものへの言及は意図的に避けているが)、そして、今回も本作の素晴らしい漫画的技法の中に感嘆すべきポイントを見つけて、心の中で軽く小躍りをしながら本稿を書き進めているところである。

第4回のあらすじ

 前回、佐山クリニックを訪れた小学校の養護教諭が佐山に一度診察をしてみてくれないかと相談をした児童・柚木涼太とその母親がクリニックを訪れる。涼太は、学校の授業で描いた絵を、授業参観日の直前に「まだしっかりと描けていないから」という理由で破り捨ててしまうといった問題行動を起こしていた。しかしながらその絵は大人から見ても圧倒的なレベルの出来であった。

 涼太の両親は離婚しており、そのため父親とは離れて暮らしているのだが、その父親には大変なついており、父親の勤務先を訪れてまで自らが描いた絵を見せに行くほどである。しかし、同居している母親には一切絵を見せることを拒否し、普段の生活では、母親からの「ちょっと夜更かししちゃおうか」という何気ない投げかけにも「ちょっとって、何分ですか」と応える。その様子は、離婚する前の涼太の父の言動にも重なるものであった。

 クリニックを訪れた涼太は、志保に紙に木の絵を描いてほしいとお願いをされるのだが(いわゆるバウムテスト)、それを拒否、母親の前では絵を描くのが嫌だという。別室に促され絵を描く涼太の様子について佐山は涼太の母親に、涼太は〈自閉スペクトラム症〉の可能が高いと所見を示す。うろたえる涼太の母親だが、佐山と志保の言葉を受けて、涼太の障害との歩みを始めるのであった。

今回もきらりと光る〈眼〉の描写

 取り急ぎ、「自閉スペクトラム症」の概要については、繰り返し申し上げている通り私は専門性を持ち合わせていないためここでの詳述は避けるが(参考リンク先 https://www.smilenavigator.jp/asd/abc/ )、今回も相談に訪れた涼太の母親の〈眼のニュアンス〉の変遷から、その心境の変化に沿ってエピソードが収束に向かう様をはっきり見て取れ、改めて作画担当のヨンチャン先生の技量には感服しきりなのだが(あるいは担当編集者の方の采配によるところかもしれない。その辺はぜひ一度聞いてみたい)、同時に、今回の当事者である涼太の〈眼のニュアンス〉にはほとんど変化がないということに気がついた。特にエピソード後半で涼太の母親が「上手く描けたね」と涙ながらに語り掛けるシーンの〈眼のニュアンス〉と、それを受けて、目じりにわずかに涙を浮かべながらも〈眼のニュアンス〉には変化がない涼太の大ゴマの対比の部分でそれは顕著に描かれている。さらに言えば、本編冒頭に登場する涼太の父親、佐山、志保の眼も涼太同様に、表情の変化(もちろん個人差はある)とは裏腹にそのニュアンスは本編を通じて変化がない。この人物たちの共通点はただひとつ、発達障害の当事者である。作中の言葉を借りれば〈凸凹のひとたち〉ということである。

 眼のニュアンスの変遷の差異による〈凸凹のひと≒発達障害当事者〉と〈凸凹でないひと≒定型発達者〉との非常に繊細な描き分けが、今回のエピソードのメインテーマともなる佐山のセリフ「「わからない」を自覚して受け入れることが理解の第一歩です」というセリフにつながっていく構成も実に絶妙である。〈凸凹のひと〉たちの〈眼のニュアンス〉の変遷(不変)を基準にしてみたら〈凸凹でないひと〉たちの〈眼のニュアンス〉の変遷(情緒の変化にリンクして変わる)の方がむしろ凸凹であるのだが、逆の視点から見たら、その受け取り方は相対的には〈発達障害当事者の方が凸凹〉ということになる。しかも、それぞれの立ち位置にとってその視点は生まれつきのものであるから違和感や疑問を持つことはなく、それゆえに「わかり合えない」ことが発達障害との向き合い方の第一のハードルとなるのでだろう。私の場合も、自分が発達障害当事者であるということがわかるまで、そういった視点や発想は全く無かった。だからこそ、その事実を自覚して受け入れることが第一歩となるのだ。この隔たりとどう向き合っていくかという〈問い〉。今回のエピソードで発達障害当事者として私が一番「わかってほしい」と思ったのはこの部分である。

 発達障害当事者と定型発達者との間にある「わかり合えない溝」の存在と深さをわずか20ページ強の分量で描ききる秀逸さは、いよいよ本作が発達障害啓発の入門書的な存在になってくるのではないかということを予感させ、いずれ刊行されるであろうコミックスの登場がいよいよ楽しみになってきた。

「リエゾン-こどものこころ診療所-」公式HP

毎回公式アカウントで記事を拡散いただき、ありがとうございます。勝手な解釈ばかりで恐縮ですが、大変興味深く読んでおります。

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