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「英語コンプレックス」との戦いのはなし

わたしには、英語コンプレックスがある。振り返ると、高校から火種はくすぶっていたようで、今なおわたしを苦しめる。いやまあ、自分が勝手に苦しんでいるだけだけど。

((今回けっこう長いです!すみません。お時間のない方は、最終章だけでも!))

高校生活は、実は英語とともに

実は、高校時代は英語科だった。が、その実態、スポーツ成績と運で入学したようなものだった。

推薦入試の英語面接で、どのフルーツが好き?と絵を見せられて、ブドウが好き。と答えたところ、「Why?」と聞かれ、固まってしまった。えーっと、、、と、自分の中で捻りだした答えは、「実が沢山あるから」。「It has many…」と口走ったところで、「実」を示す英単語が分からないことに気づき、再フリーズ。

結局、ジェスチャーしながら、「つぶつぶ…」とか言った気がする。英語面接で。面接官に言われた「Oh, ok…cool…」という言葉と、彼の悲しそうに下がった眉毛は、今でも忘れられない。

一端の進学校だったので、あの面接で受かる訳ないと思っていたが、どうやら、中学時代のスポーツ成績とか内申点とか、ペーパーテストの点数で、奇跡的に通ったらしい。

なお、入学後、授業でおそろしく苦しむことは、言わずもがな。面接での「つぶつぶ…」は、仲間内で語り継がれた。

社会人。デフォルト英語できる人たちに囲まれたけど

大学では、論文読む時以外は英語を使わず、社会人に。日本企業に就職したものの、そこで気付く。ここグローバルカンパニーだった(遅い)。

そういえば、同期入社の子たちも、帰国子女だったり、そもそも高学歴で、例えば、TOEICだと850点以上なんて普通、満点近い人もざらにいた。

ただ、わたしの業務は国内の仕事だったし、あまり気にしていなかった。英語はスキルの一つに過ぎなくて、今無くても大丈夫だと思っていた。それよりも、愚直に誠実に、仕事で結果を出せば、評価されると思っていた。

転機が訪れる

転機は、韓国出張。

通訳さんはいたものの、自分でも頑張って、英語を話してみた。結果、全く通じない。相手の言っていることも分からない。愕然。韓国人の英語が分かりにくかった、なんてことは無く、ただただ、私の力不足。

あぁ、高校時代、授業中寝てる場合じゃなかったぁぁぁ、とはじめて後悔した。帰国後、悔しくて、こっそり英会話スクールに通い始めた。ここから、じりじりと、わたしの英語との戦いが始まる。

英会話スクールに入ったけれども

英会話スクールは、最初、結構楽しかった。どの先生もパッションがあって、プロだなと思った。で、少しずつ会話が出来る様になって、そこからが問題だった。相手の言ってる意味はわかるけど、上手く喋れない。喋るためには、喋る練習をしないと、一向に上達しないことは分かっていたが。上達している感じがしない。辛かった。

仕事では、行きたい部署がずっとあった。ここの部署のトップが外国籍で、そうでなくてもグローバルカンパニーで、異動には英語が必要、と言われていた。いつ異動が叶うか分からないけど、これも英語を勉強する小さなモチベーションだった。

が、今の仕事を頑張るほど、異動が遠のいていることに気付いた。「あなた、異動しないように今の部署から囲われているよ」と、他の部署の方から聞いた。ままある話だけど、悲しかった。

一方で、わたしの行きたい部署に、知っている人が異動した。英語の喋れない人だった。

英語を勉強するモチベーションが、しゅるしゅるしゅる、と縮んで行った。

スクールに入ってから2年経った頃、不完全燃焼否めない状態で、わたしは英会話スクールを辞めた。

英語じゃないのに、英語に悩まされる

そうこうしているうちに、夫の海外赴任が決まった(夫は、まあまあ英語ができる)。ただ、まさかの非英語圏。散々悩んだ挙句、ついていくことにした。

決まってから、出国までポルトガル語(🇧🇷駐在のため)を習いに行った。マンツーマンより2人いっぺんの方が安いと言われたので、2人で授業を受けた。

すると、どうだろう。夫の方がするする理解していくではないか。わたしが、日本語→ポルトガル語で考えている一方、夫は、英語→ポルトガル語で考えいて、理解のスピードに雲泥の差があった。英語とポルトガルの方が言語的に近しいからだそうだ。

つらい。ここでもわたしの前に立ちはだかる、英語

非英語圏での生活

この国で英語を話せる人の割合は、たぶん日本と同じくらいなんではないかと思う。普通に生活していて、英語を使うことはない。なので、相変わらずポルトガル語を勉強している。

変わったことは、夫や、語学堪能な友だちを習って、英語→ポルトガル語で、できるだけ考えるようになったこと。特に単語や文法は、なんとなくその方が理解できる(例えば、sport(英)→esporte(ポ)など)。

結果、理解は少し、しやすくなった。

ただ、今、危機的な状況が起こっている。自分の知っている英単語や、理解している英文法以上のことを、ポルトガル語で習う、という段階に入っているのである。

再三立ちはだかる、英語の壁。わたしの低い、英語力。

結果、これからどうする

で、唐突だが、思い切って英語留学をすることにした。行先はカナダ(真冬…)

振り返れば、ポルトガル語も、こっちへ来てから勉強が捗るようになった。ドングリの背くらべだが、夫よりも、たぶん使えている。

なぜだろう、と考えたとき、「その言葉を話して、生活している国の人と実際に会ったから」というのが大きいんじゃないかなあ、と思った。そもそも生活のため必要に迫られたのは大きいが、文化を知りたい、現地の人たちの生活を知りたい、話してみたいと、思ったからだと思う。

英語も同じなんじゃないかなと思って、1カ月だけだけど、留学することにした。海外旅行を一人でしたことがないし、北米にも行ったことがないけれど。がちがちに緊張するけれど。

留学の話を駐在妻の友だちにすると、いろんな反応が返ってきた。頑張って、と言ってくれる人が思ったより多くて、すこし安心した。中には「何をめざしてるの…?」という質問もあった。至極、的を得ている。

確かに、わたしが帰国後目指したいキャリアとは、少し離れていて、マイルストーンを置くとしたら絶対そんなところには置かないんだけれど。

でもわたし、これは、英語コンプレックスとわたしの戦いだと思っている。コンプレックスに、勝ちたい。だから、留学へ行こうと思う。会社員時代にためたお金で行くし、子なし駐在妻は、時間だけはある。だから、いいじゃないか。

期間は1か月だけなので、帰ってくるときに、「英語喋れるようになった!」なんて、なってなくてもいい。少し英語を好きになって、身近な存在にして、帰ってこれたらいい。英語圏の人たちに触れて、何か持ち帰ってこれればそれでいい。そこからまた、頑張れるから。

来月からなので、またカナダの話は書きたいと思います!取り留めのない、長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございました。

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