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「わたしの知らないところで わたしに傷つけられてはいませんか?」
この前、何気なくみていた「モトカレマニア」というドラマで、こんなセリフがあった。
「誰かの幸せは、誰かの地雷」
あー。そうだよなあ。で、ハッと、わたしが大好きなチャットモンチーの歌詞を、思い出した。
「わたしの知らないところで わたしに傷つけられては いませんか」
チャットモンチーの「ラストラブレター」という曲。大学生の頃、よく聴いていた。大好きなのに、大切なのに、一緒には人生歩んで行けない、「あなた」への曲。イントロは低いベース音が走って、ドラムが合わさる。曲調がなんてったって、かっこいい。でもなぜか、ちょっと軽やか。
あぁ、話が逸れてしまったので戻す。
で、この歌詞を思い出した時、わたしはショックを受けた。「忘れていた」ということに、ショックを受けた。
もともと、この曲をよく聴いていたのは、曲調や、大切だったあなたを思うわたしの気持ちに、寄り添ってくれる曲だったから。という理由もあるが、それより、
この歌詞が、「大切な「あなた」さえも、無意識に傷つけている可能性がある」という事実を暗に示していて、グサっと心に刺さったからだ。
もちろん、ここでいう「あなた」というのは、特定の人を指している訳ではなくて、自分以外の、他者のことだ(もちろん、自分が好きな人、大切な人も含めて)。
初めて聴いた時、あー、そうだよな。と思って、あなた(他者)を傷つけているかもしれない「加害者のわたし」という側面を、忘れないでおこうと思っていた。
なのに。
わたしは、こんな大切なことを忘れていた。
***
最近、わたしは傷つきやすい。
駐在妻になって、何してるの?と言われて、なんか傷ついた。
子どもが欲しいか分からないわたしに投げかけられた、「なんで?」という質問に、なんかちょっと傷ついた。
駐在歴の長い方に、「今の若い子たちは、昔の苦労を経験せずに、今大変っていう。おかしくない?」と言われて、なぜか傷ついた(もはやこの言葉に関しては、私をダイレクトに指している訳ではなくて、その人の一般的な考え方の話)。
傷ついて、なんか嫌だなあ、と思っていた。被害者面していた。
でも、思い出した。
わたしも加害者で、人を無意識に傷つける可能性もあるし、すでに傷つけたかもしれないことを。幸せな顔して、人の地雷をふんでいるかもしれない、ということを。
そう気づくと、自分のことを、少しは客観視できるような気がする。そして、傷つけられた悲しみが薄れて、わたしは優しくありたい、と思うようになる。
***
「ラストラブレター」は、こう締めくくられる。
わたしの届かぬあなたへ 愛のある日々を。栄光の結末を。どうかあなたに。あなたに。
届かない「あなた」に、他者に、愛のある日々を送ってほしい。そんな「わたし」はとても強い。やさしい。
そんな強い「わたし」に、わたしもなりたいなあ。
そのお心遣い、大変うれしいです。でも、そのお金は、あなたやあなたの大事な人がご機嫌になるものに使ってください。ビールとかお菓子とか。わかんないけどなんでも。