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そこに愛はあるんか?


手が動かない

多くの自治体でアドバイザー業務をさせていただいたり、職員研修で講演をしたりセミナー終了後の懇親会等でよく出される素朴な意見が「どこからやっていいのかわからない」「何が課題なのかわからない」「自分たちにできるのかわからない(自分たちではできない)」といったものである。
今回は、このあたりについてなぜそうなってしまうのか考えてみたい。

どこからやって良いのか

「どこからやって良いのか」途方に暮れている人・まちはこれまで国の方針、法律や条例で位置付けられたこと、既存計画で位置付けられていること、首長のマニフェストに書かれていたこと、隣町でやっていること(の劣化コピー)、議会で「なんとなく」質問されたこと等を「受動的にこなす」ことしかしてこなかった(それが仕事だと妄信してきた)のであろう。
自分たちでまちの課題やポテンシャルを認識して自分たちなりに考えて起案する、手を動かすことをしてこなかったのだろう。後段で記すがどこのまちにもやらなければいけないこと、やれること、やったら面白いことは無限にある。
「どこからでも」気付いたところからまずは手をつけることが大切である。

何が課題なのか

そうはいっても「何が課題なのかわからない」といった意見も現実的に多く耳にする。総務省の公共施設等総合管理計画の策定要請では、旧来型行政の思考回路・行動原理をベースに「財政が厳しいから短絡的なコスト削減を図るため施設総量縮減」にフォーカスが絞られた。
そもそも「そこじゃない」だけでなく、国やコンサル・学識が示す方向性に沿って総量縮減を掲げた結果、(利用者)市民や議会から袋叩きにあい路頭に迷ってしまったまちも多い。こうしたなかでなぜか公共施設等の問題は「過去のもの」「どうにもならないもの」扱いになってしまっていないだろうか(あるいは恣意的に堕としていないだろうか)。

アドバイザー業務では「各課が抱えている課題とどうやったら解決できそうか」をプレゼンしてもらい、多様な職員が徹底的なディスカッションをしながら形にしていくことを基本としているが、プレゼンする部署がかなり限定的だったり、悪い場合には回を重ねるにつれて脱走者が続出してしまったこともある。(もちろん宮崎市のようにプロジェクトが次々と創出され、かつ案件数も増加していく「正のスパイラル」が形成されていくことが理想である。)

課題と解決策に向けたディスカッション

「何が課題なのか」、本当にわからないのだろうか。そうした人・まちに限って懇親会では幹部職・首長・議員やまちに対する愚痴を乱発する。やらない人・まちに限って「そこにいない誰か」や「まち」のせいにするが、そこでいくら騒いでも何も解決しない。愚痴があるなら、それを自分たちで解決していくしかない。
そうした人たちには必ずその場で「ここで言っている言葉を明日、すぐに自分で実行しろ!文句があるなら直接、その人に言え!」と告げるが、何もアクションを起こすことはない。

「何も課題を感じていない」時点でなんとかしなければといったモチベーションは働きようがない。
プロとしてその組織に関わっている以上、常に課題は持たなければいけないし、可能性も信じなければいけない。そしてそうしたものを持っているだけではなく行動に移す、結果に繋げてはじめてプロとしての存在価値が生まれることを忘れてはならない。

自分たちにできるのか

「自分のような一担当者には。。。」「今の立場(体制)では。。。」といった諦めも意味がない。どうやったらできるのか?を自問自答し、思い付かなければネットを漁ったり、実際に似たようなことをやっているまちを見に行ったり、(自分のまちでなくても)誰かに相談すれば良い。似たようなこと・課題はいろんなまちで間違いなく発生している。
もちろんまちの課題やポテンシャルはそれぞれ異なるし、似ているといっても結局はオーダーメイド型で自分たちらしく個別に試行錯誤しながら、少しずつでもまちを良くしていくしかない。
他の誰かがある日突然現れて問題を全部解決してくれることは絶対にない。

「愛されていない」のはハコモノか?

竣工即負債

以前、全7回シリーズで「竣工即負債」について記した。
公共施設は「どうやって建設するか」に全てのリソースを全フリし、華々しい竣工式典がゴールになり燃え尽き症候群や過去のものになっていく(もはや死語となってしまったオリンピックレガシーにも通じる)。それ以降の長い運営期間中のことは誰も気にしないだけでなく、軌道修正や再投資のためのリソースも枯れ果て、身の丈を超えた図体のためコントロールも効かない。
竣工即負債とは「愛されないハコモノ」がまちなかに鎮座することを意味する。前述のようにそのことに課題認識もされず、どうせ自分たちには無理だ・どうにもならないと諦められてしまうから、点としてだけでなくまち全体の衰退や経済の停滞を招いてしまう。

短絡的に整備された「ハコモノが愛されていない」ことは間違いないだろう。

(不純でもいいから)動機がない

公共施設等の問題は過去から今日までの長い時間軸のなかで蓄積してきた課題であるし、まち全体とも大きく関わることから、相当の覚悟を決めないと簡単に心が折れてしまう。
国、アホコンサルや学識経験者が指摘するような理論的なことではなく、(そこが問題だったら事務処理能力の高い公務員は簡単にクリアしているが、)既得権益・事勿れ主義等の非合理的な部分がネックになっていることが大半なので、苦しむことが多い。
こうしたなかで覚悟・決断・行動していくためには強烈に強い動機が必要である。

あるまちでトライアル・サウンディングにあたって営業する必要性を説明したところ、職員から「営業するのはわかったけど、自分がやったら自分の好きなところばかりになってしまうが良いのか?」と聞かれた。もちろん即答でYES!である。
自分が好きでもないところに他の人は行かないし、自分の金を使ってやりたくないことを他の人の金、ましてや税金を使ってやることはもってのほかである。
富山市の旧八人町小学校の方向性を探るハチマルシェは(地域コミュニティを何らかの媒介で繋ぐことを意図していたが、)担当の「芝犬に癒されたい」が大きな推進力になっている。常総市の水海道あすなろの里でも担当者がキャンプ好きであったことから、アウトドアの展示会などにも足を運びながら営業していったことが結現在につながっている。

これらと比較して、手を動かさない人・まちは「将来の子どもたちに負担を残さないため」など曖昧で行政的な言葉しか示さないから、あるいは「40年で施設総量20%削減」といった未来を感じられない目標しか掲げないから、誰もついてこないだけでなく、自分たちも走れない。一人称で「私はこのまちをこうしたい。このプロジェクトでこれを叶えたい」と言えることが大切である。
自分のまちなんだから、楽しくしよう!暗い人・まちには暗いまちしか作れない。
不純でも良いから、セルフィッシュでも良いから動機を持とう。

自分が「まちのことを愛していない」のではないか。

データを把握・分析していない

いまだに驚くのは、多くの自治体で公共施設等のデータベース化すらまともにされていないことだ。(データベースとは呼べないが)Excelで一覧表にまとめているならまだマシで、どうやって毎年、財産に関する調書や固定資産台帳を作っているのかわからない。
維持管理費が年間どれだけかかっているのか、用途ごとではどうなっているのか、光熱水費はどの程度かかっているのか、売却や利活用の可能性のある資産はどこにどれだけあるのか、こうした基本的なデータを把握・分析していなければ「できること・やらなければいけないこと」も見えにくいだろうし、いざやろうと思ってもまずはデータ収集からはじめなくてはならない。

公務員時代にはファシリティマネジメントに取り組む第一歩として、副市長をトップに関係部課長からなる導入に向けた庁内検討会議を1年にわたって開催し、まずはシステムを導入してデータベース化を図るところからスタートした。
結果的に施設所管課の協力も得ながら全施設の基本データだけでなく、毎月の光熱水費・維持管理費や修繕等のデータが集約・蓄積されていったことでESCOのエネルギーのベースラインが一瞬で算定できたり、包括施設管理業務の対象施設を整理すること等に役立った。

また、今回の能登地震では水道の復旧の遅れと(老朽化した水道管の破裂によると思われる)道路舗装の破損が目立った。実際に管路の老朽化を指摘する報道や被災地に派遣された職員が地元自治体に戻った際の報告でも管路の耐震化・更新を促す声が各地から聞かれている。

水道管の「耐震適合率」が2021年度末時点で石川県は36.8パーセントと全国平均を下回っていて、林官房長官は、「計画的な耐震化に取り組むよう自治体を支援していく」と述べました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240127/k10014337301000.html


厚生労働省_いま知りたい水道
大阪市_水道管の更新(耐震化)の取組について

水道の基幹管路の耐震適合率は全国平均でも40.7%に留まっているが、耐震適合管とは鋼管や耐震継手によるダクタイル管だけでなく、地震時に「抜け出し」が発生しうる一般継手であっても地盤状況が良好であれば分類されてしまう。
つまり、基幹管路以外の水道管も含めた実際の継ぎ手の安全性も含めた水道管全体の耐震化率は、驚くほど低いものとなっている可能性がある。
また、今回の石川県能登地方は基幹管路だけでも全国平均より低い耐震化率だったことを考えると、甚大なダメージを受けたことが推定される。(コロナ交付金だったとはいえ)イカキングのようなオママゴトで浮かれている場合ではなかった。
このように表面上のオママゴト政策に税金を大量に投下して本来やるべきこと・やらなければいけないことを疎かにしてきていることは能登町だけでなく、全国の自治体が考えなければいけない課題である。

厚生労働省_最近の水道行政の動向について

水道管に関しては更新率も1%未満で、普通に考えたら100年以上かかってしまう。

このような不都合な真実もデータを収集・分析していけばあっという間に明らかになってくる。
データを収集・分析していくこともやろうと思えばすぐにできることだ。それすらしないのは、「自分の立ち位置・可能性を愛していない」のではないか。

まちを見ていない

毎年、「北海道ホテルのサウナとラムやジビエを食べながら籠って仕事する」ために訪れている帯広市。酪農・モール温泉・サウナ・スイーツ等のキラーコンテンツがあり、まちなかにはNUPUKAなど魅力的なコンテンツも点在している一方で、なかなかに厳しい状況にある。

道内最後の道内資本による藤丸の閉店に続き、長崎屋も閉店していた。

閉店した帯広市の長崎屋
長崎屋のエントランス
長崎屋の店内

全国を回っていると厳しい状況にあるまちは非常に多いが、残念なことに「公共施設等の問題とまちの衰退は別部署の別事業」として勝手に縦割りにしてしまっているまちが大半である。公共施設はまちのなかに存在しているし、そこに公共施設があることで周辺エリア・生活に何らかの影響を及ぼしている。

「なぜそこにそれなのか」を考えなければいけないし、まちが新陳代謝している以上、公共施設も同じスピードで新陳代謝していくことが必要であるが、そもそも庁舎に篭って上司や議員の顔色ばかり伺っていたり、毎日を事故なく過ごして安定した給料をもらうことしか考えていないようでは、まちのことは見えてこない。

上記のnoteにも記したように市民は必死になって働き、そこから得られた利益の一部を納税している。職員を養うためではなく、職員のクリエイティビティに期待して、まちが良くなるために、自分たちの生活をいざというときに守ってもらうための税金である。
日頃からまちに出ていれば、いろんな地域プレーヤーの生活を見ていれば、簡単に諦めたり可能性を捨てたりしないはずだ。

公共施設・インフラなどの公共資産とまちをリンクして考えられないのは「まち、地域プレーヤーのことを愛していない」からではないか。

敵前逃亡

上司、市長や副市長、議員、(一部の)市民のなかには、簡単に話がわからない人もいるし、自分が理解できない・自分の考え方と合わないからとパワハラめいた恫喝めいたことをしてくる人もいることは事実である。
しかも、合理的な理由・明確なポリシー・自分なりの対案を持っていれば良いのだが、「大変そうだ・財源を調達するかアイディアがない・合意形成が困難だ」等のプロとしての本領を発揮すべきところで反発してくるから厄介である。

プロジェクトを形にしていくためにはこうした人たちのハンコや承諾(≠理解)が必要になることも多い。敵前逃亡したくなる気持ちはわかるが、その蓄積がまちの衰退や諦めムードの蔓延につながっていることを忘れてはいけない。

自分のやりたいこと・やらなければいけないことは、そんなごく一部のつまらない・生産性のない人たちのために捨てて良いのだろうか。
どこかにある可能性を自分でゼロにしてしまっては、自分もそちら側の人間に成り下がってしまう。

簡単に敵前逃亡するのは「自分の組織・まちを愛していない」からではないか。

自分のまちに懸けろ!

やらないのは不作為

上記の事例を一言で言えば「愛と勇気がない」。
テクニカルや論理的なことではないのにそうしたことにこだわったり、表面的にできるだけ苦労しないでやろうとしたり、自分には無理だとそれらしい理屈をつけて逃げていたり、人やまちといった対外的な要因のせいにしたりする。
どこかでエクスキューズを求めてしまっていないか。
可能性があるのにやらないのは不作為でしかない。

もし、本当に「自分の可能性・まち・仲間・同僚・地域プレーヤーを愛していたら」同じ行動をするだろうか。もちろん簡単にはいかないし、必死になってやっても上手く結果に結びつかないことや時間がかかることもある。ただ、そこへ向けて本気で覚悟・決断・行動をしているだろうか。

いろんな愛のカタチ

愛のカタチにはいろんなものがあるw
正攻法で理路整然と説明しながら関係者の理解を求めていくのも大切なことだが、非合理的な社会ではそんな単純なものではない。
実際に自分の公務員時代や現役の津山市・明石市・富山市等の担当者の進め方やエピソードを聞いてみると、あの手この手を駆使しながらやりたいことを具現化していっている。
ぐうの音も出ないほどのデータを提示する、市長のマニフェストと自分のやりたいことを結びつける、裏から市長に話を回しておく、飲みに連れていって翌日に二日酔い状態でハンコをもらう。。。やり方はなんでも良い。

そして、このような担当者に共通することはオーラの雰囲気はそれぞれ異なるが「狂気じみた」愛があることである。

一方で色々な困難にぶつかりながらも頑張っているが、大切なところで前に進めない人たちは業務・人・まち等に対する愛があるものの「お行儀が良い」だけで狂気が感じられない。
時には理解の得られない幹部職(や市長・副市長)に楯突いたり、涙ながらに訴えたり、議員にも真っ向正面から反論したり、全く理解の得られない市民に毅然とした態度で自分たちのビジョンを語ったりすれば、「なぜここまで。。。」と相手も感じるだろう。
「お行儀が良い」だけでは簡単にいなされてしまうし、そのことによってプロジェクトが進まない・あらぬ方向に堕ちていっては元も子もない。
そうこうしているうちにせっかくの本人たちの愛や情熱も冷めてしまう。

愛と勇気

まち等に対する愛と対になって重要なことが「勇気」である。
上記の「狂気じみた」部分も通じるものがあるが、愛≒覚悟、勇気≒決断であり、それらを持ったうえで行動していくことが求められている。

勇気を持つことは難しいかもしれないが、どれだけいろんな愛を持っているか、その愛の幅・深さは庁内・地域・市民等の仲間の数にも比例するし、データ等は合理性を裏付けるものになっていくので、自信につながっていく。

あんた、そこに愛はあるんか?

本気でやりたいなら青臭いし古臭いかもしれないが「愛と勇気」が大前提になる。
最後に愛と勇気、狂気じみた愛のおまけw

お知らせ

実践!PPP/PFIを成功させる本

2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。

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2021年に発売した初の単著。2023年11月現在5刷となっており多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。

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