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救急の窓

助産師が、明るく、神々しいお産の場面に寄り添うことのできる素敵な素敵な仕事だと信じて疑わなかった助産師3年目。

夜中3時。救急外来からの電話。

「赤ちゃんが車の中で産まれてます!!」

電話を放り投げ、とっさに白いタオルを持って走ったあの夜を、私は忘れない。

救急外来に乗り付けた真っ白な車の中で、
シートの上にまたがり、母親が必死に赤ちゃんの心臓マッサージをしていた。
自らの両足には血がしたたり、胎盤もまだ出ていないようだったが、半狂乱のように叫んでいる母親。

「泣かなかったの!!助けて!助けて!」

私はとっさにへその緒を切り、
「お母さんをよろしくお願いします!」
と叫び、母親から赤ちゃんを奪うように
抱き抱えて病棟に走った。


その頃私の病院では、
救急外来で生後間もない赤ちゃんを
蘇生出来るような設備が整っていなかったために、赤黒く、呼吸をしていない赤ん坊を抱いて、4階にある新生児室に走る。
息が止まりそう。汗がしたたる。

誰か!早く!!!


コードブルーで集まったスタッフと私は、
代わる代わる児に心臓マッサージを試みた。
落ち着いて。習っている通りに…
と思っているが、足がガクガクする。

私の病院は高次医療機関(3次救急)ではない、いわゆる2次救急の病院であり、産科医も当番制で自宅待機をしている。
小児科医もしかり。
そしてあいにく、当直医は皮膚科医。
駆けつけてはくれたが、
新生児の蘇生は、助産師に任された。

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その後、ドクターコールから15分間、
医師の顔が見えるまでの間、
私達助産師の戦場の火ぶたが
切って落とされた。


ふと、目の前に呆然と立ち尽くしている、
真っ青な顔をした父親に声をかける。
「助けますよ、続けていいですか?」

真っ青な顔をした父親が、
「お願いします!なんとか、助けてやってください!」
と言ったのが聞こえた。
命を失うわけにはいかない。
名前も知らないあの母親の悲痛な声が、
頭の中でこだまする。

あの母親はどうなったんだろう。
そんなことをふと思った。

けれど今、
目の前にいる赤ん坊を泣かせることだけが、
今の私の使命だと言わんばかりに、
一心不乱に心臓マッサージを続ける。

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奇跡

どれくらいたったのだろう・・・・

「ふぇ」

か弱い、とてもか細い声で、
その赤ん坊は息をした。
同時に到着した小児科医が気管挿管。
すぐに薬剤処置やもろもろをしながら、
高次医療機関への搬送。



助かった!!!!!!!


歓喜のスタッフの声、
ほっと胸をなでおろすスタッフ。
色々な思い交錯する。
どのスタッフも、使命感と、
達成感に包まれていた。

母親は救急外来で胎盤処置を終え、
状況を聞いて泣いて喜び、
搬送前の赤ん坊に触れた。


良かった、本当に良かった。

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私は、満足感でいっぱいだった。
その日は助産師として、果たすべき役割を果たせたことにこの上ない充実感を感じ、眠りについた。

そしてその後の母親の経過は順調。
2人目の経産婦さんだったので
産後4日目に退院となり、
高次医療機関に入院している赤ちゃんに、
その足で会いに行くという母親を
笑顔で見送った。


ーーーーーーー

思いがけないその後

その後、数日して、高次医療機関に勤めている知り合いの助産師からカンファレンスの提案があった。あの母親と家族についてだということで、私もチームに入れてもらった。

私は、先方での児の様子や、赤ちゃんと母親の様子を聞くことを楽しみにしていた。

とてもとても幸せな話が聞けると思っていた。

しかしその助産師に聞いた言葉は、、
想像を絶するものだった。

「あのお母さん、NICUの入り口までは来てくれるけど、赤ちゃんに近寄ることができない日々が続いているの。最初、赤ちゃんを見たときに衝撃が強かったのかも。たくさんの管、人工呼吸器。とても保育器の中を見ていられる状況じゃなかったの。蘇生をして、助かったその後を知ってほしい。本当に助かった子どもが、どんな人生を歩むのか、その子どもの子育てと一生向き合っていくことになる母親と家族がいることを知ってほしい」


衝撃だった。
生命倫理に正解はない。
だけど私たちが助けた命が、
助けたその子と母親、家族の人生を大きく変えたことは確かだった。
ただひたすら、救いたかった命。
涙を流して喜んだ命。

けれど母親は今、「あの時もしも赤ちゃんが亡くなっていたら、それはそれはとても悲しかっただろうけど、こんな苦しみをこの子に与えなくて済んだかもしれない。
「この子は一生寝たきりなんです。どうしたらいいかわからない。赤ちゃんの顔を見るのがつらい。妊娠前に戻りたい」
と言っていると聞いた。

そしてやがて、母親は赤ちゃんへの面会にも、少しずつ足が遠のいているという話を聞いた。


私達はどうするべきだったのか?


聞きたくなかった。

助けない方が良かったの?


私は、泣いた。
来る日も来る日も考えた。
浅はかだったのか?
助けたことは、違ったのか?赤ちゃんを助けたことで苦しい思いをしている人がいる。
あの日の出来事はそんな苦い苦い記憶として、私の脳裏に焼き付いている。

助産師とはなんだ?
こんな仕事、やってられない。
もう逃げ出したい。
もう無理だ、こんなふうに、命にかかわる仕事は、自分の命まで削ってしまいそうだ。


来る日も来る日も、そのことが頭から離れなかった。一緒に仕事をしている助産師仲間と何度も振り返り、また悩んで、溜息をつく。

折に触れて、その赤ちゃんのことが、
あのお産のことが、頭から離れない。

救急の窓には、あの時父親が必死で窓を叩いた手痕がくっきりと、残っていた。

あの家族はどうなったのか…


そしてその後、私は思いもかけないところで、あの家族のその後を知る事になった。


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