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【考え方・雑談】哲学ってなんですか、の答え。

子供が昔通っていた保育園で、
校歌ならぬ、園歌?みたいなものがあった。
その歌詞の一部で
「頑張りましょ!オー!頑張りましょ!オー!」
みたいな繰り返しが出てくる。
何年も経った今でもそこだけㇷと思い出すような、
なんか耳に残るメロディで。
それを昨日急に思い出した。

「メンタルを病んでる人に『頑張れ』は禁句です」
とよく聞く言葉だし
実際、「無理しないで」とか
「頑張りすぎないで」の言葉が大事だと
メンタル疾患の私も確かに思います。

でも子供に小さな内から
「頑張らなくていいのよ」と教育するのも何だかおかしい。
何だかおかしいと思ってしまう時点で
常識に捕らわれ過ぎた考えなのか?!
子供の教育の根本の覆しが必要なのか?!
そうやって私はカラを破れずにもがくのか?!
と思わなくはないけれど。
でもやっぱり子供に「頑張れ」の言葉を教えるのは
運動会の応援に、
コミュニケーションの1つに、
無意識に発することのできる
かけ声のようなもの、深い意味はなくていいと思う。

では物事を考えられるような年齢になって
「頑張る」の意味を見つめ直してみよう。
自分に対して、「頑張れ」に代わるかけ声はないものかと考えてみる。
同義語じゃなくて。
そんなに頑張る生き方はしなくていい、と言いたいとして。
「やれることをやろう」はどうだろう。
うん、無理しない感じが出てる。
…でも、なんかピンとこない。
やっぱり、ほんの少しでも
これもよく聞く言葉「昨日の自分を越える」とかしないと
やれることをやっていては
ただただ現状維持、するだけ。
スポーツや仕事の技術の向上でもいいし
生活のすごく小さなことでもいい。
やれることだけやっていては
何も進化がないじゃないか。

進化がないことを何となく良しと思わないこと、
それは人間の本能なんじゃなかろうか。
「今のまま、同じ毎日でいい」で構わないけれど
「不幸より幸せ」「辛いより楽しい」方がいいと誰しも思うのは
きっと本能だろう。
「幸せ」や「楽しい」を感じるには
進化なくしてあり得ないんじゃなかろうか。
それが目に見える生活的な
お金や地位や人間関係に反映されがちだけれど
もっと、そぎ落として、突き詰めていけば
「もっと知りたい」の知的好奇心は
勉強や情報なんかじゃなく、
世界とか、自分という「存在」とかに行き着きます。

この話、
哲学なんてなんの役に立つの、
哲学ってなんなの、
と言われる答えとして、どうでしょうか。
人が進化を求めるのは本能である。
進化とはできないことができるようになること、
知らないことがわかること、
誰でも本能的に求めているのだ。
その知的の方にフォーカスを当てれば
もう哲学してることになりますよ、と。
哲学とは人間の本能の一部の体系的な学問です。

子供の「頑張れ」の言葉からちょっと考えてみた結果、
ざっくり言えば
哲学とは本能です、と言ってしまいたいのですが
どうでしょう。
そして「頑張れ」に代わるかけ声は、と言うと
「進化せよ」とかかしら。
どうでしょう。

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