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食と韓国語・翻訳ノート2:전주비빔밥(全州ビビンバ)

明洞にあった「全州中央会館」という食堂が閉店したという。店の評価はさまざまで、確かにコスパがよくないな、と思った記憶がある。その記憶にしたって15年以上前だと思う。その頃この店には、たしかに日本人の客しかいなかった。行った理由も、日本人の客がここを希望したからだったと思う。韓国人と行った記憶はない。『地球の歩き方』に代表される、1990年代の日本人のソウル観光の活性化とともに繁盛した店だった。看板もメニューも日本語だらけで、韓国人や中国人を相手にする気がないように見えた。そのぶん値段も高かった。

ただ、確かなのは、わたしが初めてビビンバというものを食べた店も、やっぱりここだった。1994年の、日韓文化交流基金の学生訪韓団で来た時のことで、自分で選んだわけではない。すぐ裏手の世宗ホテルに団体で泊まっていたから、近いという理由もあったかもしれない。世宗ホテルに、全州中央会館、ついでに明洞餃子といえば、今思うと、ガイドブックどおりのベタベタの旅。百濟参鶏湯、長寿カルビなんかもそうだった。明洞の人はみんな日本語が上手だった。当時のベタが、もう歴史のレトロな風景の一部になりつつある。それも明洞というストリートの、長い紆余曲折の一部だろう。

ちょうどいま訳していたのが、まさにこういう部分だった。そういう意味では、1980年代に全州中央会館が果たした役割が終わったといえる。コロナがとどめをさしたのかもしれない。「2020年に閉店」の訳注を足さねばならなくなった。

経済開発に成功し、その恩恵を受けはじめた1980年代前半のソウルに、地方に基盤を置く飲食店が本店を構えた。そのなかに、全州ビビンバや全州石焼ビビンバのような料理を出す専門店もあった。すでに1960年代からメディアに登場しはじめた全州ビビンバは、1980年代初めには全国的な料理として認知された。1981年、ソウル・明洞に進出した全州中央会館では、全羅北道・長水の玉石(곱돌)で作った器にビビンバを盛りつけて出した。ジュージューと焼けた石鍋で食べるユッケビビンバの味は、ふつうのユッケビビンバとは比べものにならないほどのインパクトだった。石鍋を利用した独創的な試みは、全州ビビンバの名前を全国に知らしめるのに決定的な役割を果たした。(주영하, 『식탁 위의 한국사』2013)


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