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食と韓国語・翻訳ノート19:김밥(キンパ)/日本語になった韓国料理①

「韓国料理っぽく怒ってください」

昨年のIPPONグランプリ(第23回、2020年6月23日)の、予選Bブロックの最初のお題「韓国料理っぽく怒ってください」を見て、たまげた。

「チャンジャお前は」
「コップチャンと洗えよ」
「いまだチャプチェ見たことない」
「カンジャンケジャンスントゥプチシャ」

じっさいは韓国料理の名前を入れたダジャレがほとんどで、韓国語を知る人間にとっては、なんとなく気恥ずかしくなる大喜利だった。外国人が、「スシ、スキヤキ、サシミ、テンプラ」みたいな言葉をネタにしているのを想像すれば、この気恥ずかしさが伝わるだろうか。でもYouTubeには韓国人がこれを見て喜んでいる動画なんかも上がっているから、「なるほど日本人にはこう聞こえるのね」という意味でおもしろいのかもしれない。

この大喜利で発見したことはふたつある。まず、韓国料理の名前が(もしくは韓国語じたいが)、日本人には怒っているように聞こえる、ということ。なぜだろう。促音や濁音の連続(というふうに日本語的には聞こえる)のせいだろうか。クッパ、ビビンバ、ユッケジャン、カンジャンケジャンなんかは、確かにカタカナで書くとなんとなく強そうに感じる。スーパーマリオのラスボスの名前になったものもある。韓国語の、特に子音の連続は、日本語の開音節に比べるとリズムに独特のキレを生むし、それがある種のユニークさや感情的な印象を与えるのかもしれない。

もうひとつの発見は、こういうコンテンツが成立するほどに、日本社会に韓国料理の名前が浸透している、ということ。キムチ、カクテキ、カルビ、クッパ、ユッケ、ビビンバはすでに殿堂入りの先輩として、ダッカルビ、カンジャンケジャン、タッカンマリ、ヤンニョムチキンなどの名称が、ほんとにここ10年あまりで急速にふつうになってきている気がする。わたしが日本にいた20年以上前には、サムギョプサルと言ってもわかる人は少なかった。コリアタウンを例外とすれば、一般的な日本人が知っている韓国料理の名前は、町の焼き肉屋のメニューにあるものがすべてだった。

キンパ VS キムパプ

日本の事情をあまり知らぬまま、韓国の日常にどっぷりつかっているわたしのような中途半端な日本人には、昨今の韓国料理の浸透には驚かされることが多い。なかでもけっこうショックを受けたのは、「キンパ」が幅をきかせる現状だった。それを実感したのは、今年の冬、北九州に一時帰国中に姪っ子と回転ずしチェーン店でテイクアウトしたとき、レジで見たこれだった。

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最初は意味がわからず、姪に「このキンパって何?」と尋ねたくらいだった。韓国帰りのくせにキンパも知らないの、という姪の反応で、ああ、김밥のことね、と納得した。

ちょうど同じころ、コリアン・フード・コラムニストの八田靖史さんがこんなことをつぶやいて、韓国語界隈がちょっとざわついていた。

けっこうなベテラン勢からの「五稜郭の八田さんが陥落したのでキムパブ勢はもうダメです」「八田さんが「キンパ」と言ってるので、もうそれしかないでしょう」という反応からも、これはちょっとしたエポックメーキングだったらしい。じっさい、これ以降、八田さんは怒涛のように「キンパ」のバリエーションを紹介し続けている。こうなってくると、わたしも翻訳中の原稿の「キムパプ」を、一括置換で「キンパ」に替えざるをえなくなる。

さらに、有名な韓国語の先生のゆうきこと稲川右樹さんも、「김밥はいかにしてキンパとなったか」を研究して発表するという。

稲川さんの研究成果を待ちたいところだが、この現象は、韓国語の専門家や翻訳家によってではなく、消費の波によることは間違いなさそうだ(専門家ならキムパプを通す)。そういう意味では、かつてクッパやカクテキ、ユッケなどが日本語に定着するとき、あるいは中国語由来のラーメンやぎょうざやチャーハンが、もっと古いところなら、ポルトガル語由来のてんぷらやカステラが、なんの違和感もなく日本語の日常世界に溶けこむような、そんな瞬間にわたしたちは立ち会っているらしい。キンパが国語辞典に載る日も、そう遠くないのかもしれない。そうなったとき、キンパは「韓国のキムパプ(김밥)を語源とし、日本で独自に進化したのり巻き」になるに違いない。

キンパ VS 巻き寿司

だが、そもそもキンパ自体のはじまりが、日本料理に深く関係している。というより、韓国人の手で進化した日本料理のヴァリエーションともいえるもので、だとすればこれは、上海で日本のラーメンがはやるとか、インドで日本のカレーがはやるとか、日本でカリフォルニアロールがはやる、というたぐいの話になってくる。そういえばカリフォルニアロールもキンパといえなくもない。

『食卓の上の韓国史』で紹介されるキンパの古いレシピには、この料理が「김쌈밥(노리마기스시)」、つまり「のり包みごはん(ノリマキスシ)」と書かれている。ちなみにキムパプの直訳は「のりごはん」「のりめし」だ。

(가)カンピョ〔巻きずしの材料となる干瓢〕を水でもどし、日本醤油と砂糖、みりんで味をととのえて混ぜておく
(나)しいたけもかんぴょうと同じようにする
(타)よくといた卵を、三分ほどの厚さに焼き、三分の幅で縦に切っておく。
(라)デンブという、タイの身を細かくほぐして焼き、味つけして薄紅色に染めたものが市場に売っているので、それも準備する
 以上、準備がととのったら、「スシス」(すし簾)の上にのりを載せ、ごはんを三分の厚さで、両側を残してのりのなかに広げ、ごはんのなかにかんぴょう、シイタケ、卵、デンブを、色を合わせて一文字に載せ、手前側から巻いていきます。簡単に巻きすぎるとのりが破れ、ゆるく巻きすぎると切れやすくなります。何本でも、ある分をすべて巻き、少し置いてから、よく切れる包丁で八個から十個に切り分け、きれいに盛りつけます。日本の紅ショウガを細かく切って、いっしょに食べます。
(一九三〇年三月七日付『東亜日報』1930年3月7日付「婦人の知っておくべき春の料理法(2)」)

1930年の時点で、「婦人の知っておくべき」とされたキンパは、キンパというより巻き寿司に近い。ゴマ油も塗らないし、エゴマの葉もたくあんも入っていない。おまけにデンブまで入っている。ただ、ごはんが酢飯でないのは、今のキンパと同じだ。でも、1937年に京城で出された日本語の『割烹研究』という本に出ている「海苔巻寿司」は「御飯は少し固めに炊いて熱い中に酢・砂糖・鹽(しお)・味の素を入れた汁を振りかける」と、酢飯をつくっている。こちらのほうが忠実な巻き寿司だ。

そもそも具材についていえば、巻き寿司もキンパも比較的自由な食べ物だから、韓国で手に入りにくい材料が別のものになるのは自然なこと。ならば両者の違いは、ふつうのごはんか酢飯か、それに、ゴマ油を使うか、にあるんじゃなかろうか。酢飯やデンブは、韓国人の舌には甘すぎる。ゴマ油は、のりが水分を吸って崩れるのを防いでいる。日本の分厚いのりなら崩れなくても、薄手の韓国のりはごはんの水分で崩れやすい。なによりゴマ油の風味が好みに合うのもある。

なにより不思議なのは、冷や飯を嫌う韓国の人びとが、キンパについては許容することだ(おすしも大好き)。それから、キンパとともに韓国に定着した日本料理、いなりずし(유부초밥)の存在。こちらは日本と同じく酢飯で、かなり甘い。うちの近所にもいなりずしの専門店が二軒もあるし、スーパーにはいなりずし用に味つけされた油揚げがたくさん売られている。このいなりずし愛はどういうことだろう。

巻き寿司を、材料や味つけをアレンジして生まれたキンパ。そのキンパが日本で、ふたたびアレンジされて日本の食文化の仲間入りをしつつある。もはやどっちの国のものかという問いじたいがばかばかしい。それでよい。

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