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食と韓国語・翻訳ノート14:챙기다(管理する)

아무리 바빠도/ 밥은 꼭-/ 챙겨 드세요!
いくら忙しくてもごはんはかならず、ちゃんと食べてください。

以前から利用していたけど、コロナ禍が本格的になってからは特に、Eマートの配送サービスのお世話になっている。Eマートは、流通大手の大型スーパーマーケット(むろん財閥系)。ネットで4万ウォン以上注文すれば配送が無料になる。配送員は商品をドアの前に置き、SNSで「着きました」と伝えて去っていく。その商品の紙袋に、大きな字で「ちゃんとメシ食えよ」と言われる。注文するたびに母親に説教されているような気分になる。こんな簡単なもんばっか食うな、と言ってるのか、また次も買ってね、と言ってるのか。もちろん後者だろうけど、わたしは微妙に前者のにおいもかぎとってしまう。まちがいなく自分の罪悪感の投影だけど。

この「챙겨 드세요」は敬語で、普通体なら「챙겨 먹다」。日本語なら「ちゃんと食べる」としか言いようがない。食べる(먹다)の前にある「챙기다(チェンギダ)」は、韓国での生活に欠かせない、ある「感じ」を表現する言葉だと思う。

짐 잘 챙겨. 荷物忘れるなよ。
선생님은 학생들을 잘 챙겨주신다.  先生は学生の面倒見がいい。

忘れない、面倒をみる、ちゃんと食べる。
わかりにくいから辞書を引いてみる。

챙기다
他動詞
1. (必要な物ものを)取りまとめる, 取りそろえる.
2. (欠かさず, 抜かさず)準備する.
3. 人の物をかすめる, 着服する.

荷物のほうは2番。先生のほうは、よくわからない。でも韓国の人は相対的に、家族や恋人や友人を、チェンギるべきだと考えているようにみえる。要するに、いいかげんにしない、ちゃんと関心をもつ、自分にとって大事な人やものとして管理する、などの、ある行動規範。韓国では人もごはんもお金もチェンギらないといけない。それがありがたいこともあるし、やや過干渉に感じることもある。

わたしが感じた「母親に説教されているような気分」はそのためだ。「밥 잘 챙겨 먹어(ごはんちゃんと食べなさい)」と自分に対して言う存在というのは、やっぱり家族であり、親しい間柄の人びとだ。だから、Eマートさんとしては、うちはそういう、あなたの健康を心配する家族のような企業でっせと言いたいわけだ。ほかにも、やたら干渉してくる系の広告やコピーは日本に比べると多い気もする。これが気持ちいい人なら、韓国生活はハッピーなはずだ。

「食べる」ことに関しては、ことさらこの感覚が強くなる。一時期、韓国で「孤独のグルメ」がもてはやされたのも、人間関係から離れ、たった一人で目の前の食に向き合う井之頭五郎の姿が、とても新鮮な異文化だったからだと思う。それくらい韓国では、食は共有するものであり、共同体や人間関係とともにあるものだった。韓国を旅行したことのある人なら、食堂のおばさんに「맛있게 드세요(おいしく食べなさい)」「많이 잡수세요(たくさん食べなさい)」と、親切に命令されたことがあるはずだ。こと食に関して、人は人にかかわっていい、かかわるべきだ。毎日、あいさつのように、韓国では食を助言し、推奨し、干渉し、命令しあっている。

周永河は、それが、戦争と飢えの記憶につながっていると言う。

戦争中に最悪の飢饉を経験した母親たちは、ごはん時になるときまって、子どもたちにたくさん食べるように言うようになった 。
――『食卓の上の韓国史』プロローグ

けれども、近代という考え方は、食を個人の領域へと区分してきた。わたしの祖母は食事時にきまって、「あんたが食べんさい」と言っては自分のおかずをわたしの皿に載せてきた。それを母は「みんな自分のぶんがあると」と言って制止した。自分のごはん、自分のおかず、自分のサラダ。思えば1970年代の日本の食卓でも、前近代のチェンギる思想と、近代の個の思想がせめぎあっていた。

コロナ禍は、韓国の食のありかたにも、かなり根本的な変化を要求しつつある。孤独な食生活を支える配送サービスに、あの韓国らしいコピー。そこには、めんどくさいけど、なくなるとさびしいものがある。

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