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定点観測する人たち・現状維持の難しさ -映画『PERFECT DAYS』

今年初めての映画館。

トイレの清掃員をしている平山は、スカイツリーを見上げる浅草の、風呂もないようなアパートに住んでいる。早朝から夕方にかけての、平山の日々の生活が描かれる。日めくりカレンダーのように、毎日、毎日。

平山は朝の缶コーヒー、通勤の車内で聴くカセット、銭湯、飲み屋など、ルーティンを守りながら暮らしている。仕事ぶりも丁寧で、生活も質素だ。
物語の途中から、彼のこの徹底した態度が、続く生活への祈りのように思えてくる。平和な日常というものが、いかに壊れやすいかを知っていて、どうか失われることがありませんように、と。静かにただ淡々と日々をこなすことで自分の世界を守っているのだ。(実際、休日になると平山は神社で手を合わせる習慣を持っている)

変化に一番敏感なのは、定点観測する人だ。そして、変化に対して臆病なのも。
私の好きな映画『パターソン』に出てくるバスの運転手・パターソンも、日々同じルーティン(=パターン)を繰り返す人物だ。平山とパターソンは寡黙なところも少し似ている。パターソンの方が突撃に弱いかもしれないが。その点、平山は、ルーティンが崩されてもそれほど慌てることなく、(さすがに金がなくなった時は困っていたが)窓辺にやってきた小鳥を眺めるように、変化を楽しめる人だ。
定点観測をする彼らは目立たず、重要視されることは少ないが、彼らこそ、世の中が滞りなく運転するための、大きな役割を負っているのではないか。

平山、という名前自体が、すでに彼の属性を表しているようにも見える。たとえば、”森山”ではだめなのだ。ルーティーンを好み、激しい起伏のない穏やかな性質。ビル群に囲まれた東京の、それでも空の端に緑を探すような、ふとした時に見上げた木の葉のざわめき、こもれびに喜びを見出す彼なのだから。

平日は時計を持たない主義らしい彼の世界では、時間が止まっているように見える。(驚いたことに、目覚ましもかけずに起床する。)平山が、日々アパートで丹精している植物たちだけが成長し、未来に進んでいるかのようだ。古いカセットを繰り返し聴き、SPOTIFYの存在も知らない。だが、これから成長していく者、年若い者に対する平山の情愛は、子供たちへの優しい眼差し、姪のニコの写真をたくさん撮る姿にも表れている。

昼食をとっている公園で、平山は持ち歩いているフィルムカメラに”こもれび”を収める。四角いアルミの缶に敷き詰められていく”こもれび”の写真は、一枚として同じものはなく、ルーティンを守る彼が、それでも日々変化していること、の証明なのである。何十年分になるのだろう、押し入れいっぱいに”こもれび”の写真は収納され、その重量はそのまま、積み重ねられてきた彼の堅実な生活、ひいては孤独に変換される。画面に一瞬映っただけにもかかわらず、その圧倒的な重みに、ポップコーンを探る手が静止した。

***

「生活」を考え始めた今観たからこそ、思うことがたくさんあった。現状維持が一番難しい、ということ。どうせ汚れるのに、なぜそこまでして綺麗にする必要があるのか。平山の同僚であるたかしの言葉はもっともだ。だが、だからこそ、壊れやすいからこそ、生活には日々の丹精が必要なのだ。

自分の机の上を定点観測。
カーテンの影が映っていた。

トイレの掃除用品を切らしていたことを思い出し、ドラックストアに寄ることにする。それにしても、東京には面白いトイレがたくさんある。

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