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【社会人】「ワーキングホリデー(ワーホリ)ってなに?」(前編)ワーホリ制度・よかったこと

こんにちは😄

自己紹介でワーホリの経験についてご紹介させていただいたので、ここで補足します⭐

まず、ワーキング・ホリデー制度ってなんだ?と思われる方もいると思うので、概要の説明と、私がワーホリでカナダに行ってよかった体験をこの記事でシェアします。
ここでは収まりきらなかったので、実際のワーホリの準備などについては、別記事で紹介します😄

ワーホリは、2015年〜2016年の間にカナダ行き、ワーホリビザと観光ビザで最大1.5年滞在しました。
転職期間中で次のキャリアをどうするか悩んでいた頃、友達がワーホリに行くというのを聞いて「海外という選択肢があった!!」と飛びついた私です。
バイト&就職後もお世話になった人生の先輩の一人から、「千里は器用な人間じゃないんだから、泥臭くやんないと1年なんてあっという間だからね」と発破をかけていただいて、初めて「本気でやろう」と気合を入れました。
ただ、当時は実家住まいの社会人1年目だったこともあり、一人暮らしの経験もなかったため、周囲に頼れる人も、同じ言語も喋れるひとがいない環境ということで決死の覚悟でカナダへ行きました😂

自己紹介記事はこちら


ワーキング・ホリデー制度の話

ワーキング・ホリデー制度(通称、ワーホリ)は、は日本と相手国の承認のもと、「滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための」期間の制限付きで就労ができる制度です。
だいたい1年程度の滞在ができ、ワーホリビザの期間内であれば、観光ビザと同じように出入国ができます。
学生ビザや就労ビザ、永住権とは違うので、大学などで専門的に学びたい、海外に住みたい・働きたい場合は違う手順を踏む必要があります。

 ワーキング・ホリデー制度とは、二国・地域間の取決め等に基づき、各々が、相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です。各々の国・地域が、その文化や一般的な生活様式を理解する機会を相手国・地域の青少年に対して提供し、二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨とします。
我が国は、昭和55年(1980年)にオーストラリアとの間でワーキング・ホリデー制度を開始したのを皮切りに、以下の29か国・地域との間で同制度を導入しています(令和5年8月1日現在)。

外務省「ワーキング・ホリデー制度」より https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/working_h.html

ワーホリの手続きについて

ワーホリに行くには、ワーキング・ホリデー査証等の申請を行います。手続きについては、各国の行政のページに記載しています。
駐留外国大使館に直接赴くか、いまはインターネットでも申請できるようですね🧐
私のときは大使館に行きました。通帳残高のコピーとったのと、パスポートのコピーをとった記憶があります。(他にも必要な資料があったはず・・・)
ワーホリビザの発行には半年以上かかりました。
語学学校への入校日は決まっていたので、観光ビザで先にカナダに入ってワーホリビザの発行を待ち、ワーホリビザが発行された後は、一度カナダを出国してワーホリビザで再入国しました。


ワーホリでよかったなぁと思うこと

ワーホリでよかったことは、コミュニケーション能力の高い文化のなかで学べたことと、時間を自分でコーディネートできることと、視野が広がったことでした。

よくこんな言葉を友人からいただきます。
「ワーホリ行くくらいだから、最初からコミュ力があったんですよね?」

コミュ力があったかどうかは自分では良くわかりません。振り返ってみれば、「実家を出たばかりの社会人1年目のコミュ力」という程度でした。
ただ、渡航当初の私は「人と接するのが苦手」だと感じていました。

私は中高大学まで人間関係の濃いなかで育ちました。その中には、いじめも含まれます。その結果、19歳にして人間関係に疲れまして、本当に仲の良い人を除いて、人との関わりを極力避けていました。

視野が広がり、寛容になることを覚えた。

視野が広がる最初のきっかけの一つは同じ語学学校にいたブラジル出身の女性のデボラです。一時帰国から戻ってきたデボラに、ほっぺたに挨拶のキスされて、私は固まってしまいました。
「チューされたあぁあああ!!!(※当時、24歳 処ジョ)」と内心パニックでした。笑

そんな驚きと発見ばっかりだったので、大抵のことは「そういうものなのかな」と動じなくなりました。😂

「何があっても生き抜ける」という自信につながった。

日本を立つ前、初めてのことが多すぎて死ぬんじゃないかと思った私ですが、初めての土地で全く違う文化の中で暮らすうちに、大抵のことは乗り越えられると気づきました。
ただ、悪いことは立て続けにやってくるもの、というのもこの時期に学びました。特に貯金が底をつきそうな中、バイト先を即日でクビになったり、定期券をなくすなどが立て続けに起こるなど、お金のことに関するトラブルはワーホリの中で一番大きかったように思います。
だからこそなのか、この時期を生き抜いてみて、なんでも行ける気がするという自信にもつながったように思います。

日本に対する印象が変わった。

日本からのワーホリの受け入れ国が10年前よりも増えている実績や、実際に足を運んだ現地の方の温かいお声がけで、自分でも気づかずに抱えていた「敗戦国」というコンプレックスから日本への印象がガラリと変わりました。

私の常識は、彼の非常識

特に覚えているのは、サウジアラビアから留学で来ていた友人からの言葉でした。
その友人は歴史に詳しい人でしたが、一度だけ、第二次世界大戦の解釈について意見が真っ向から割れたことがありました。

私は、「日本は戦争に負けたんだよ」と話すと彼は、私が冗談を言ってると思ったのか、結構な大声で笑って「No」と言い返してきました。だってアメリカに負けたじゃん!と私も言い返した結果、彼は、日本の経済を発展させたことなどを例に上げて、負けてないと主張してきました。
私が正しいと思ってきたことは、相手にとっては非常識だったんです。


ここまでの振り返り

私の過ごしていたトロントという都市は、当時失業率が高い街でした。
それまで日本で受験や就職に失敗したら自分のキャリアは終わりだと思っていましたが、トロントの人たちのなかには仕事を失ったからといってネガティブに捉えるのではなく、次のキャリア準備のために大学に通われる40代の方なども多くいました。
「新卒じゃないと」とか、そんなことを気にしているのは私だけで、どんな状態からでも、何歳からでもチャレンジできるという勇気をもらいました。

ワーホリに行こうと思ったきっかけは、履歴書に一文「海外経験有り」と欲しかったからですが、実際に日本を出てみて、履歴書に一文書くこと以上に視野を広げることの大事さに気づけて、本当によかったです。


ここまでがワーキングホリデー制度についてとワーホリに行って良かったことです。後半では、ワーホリ前の準備についてシェアします⭐

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