医師の涙
ぼくの医師人生を決定づけた萩原さんと、研修医一年目の冬、出会いました。
萩原さんは58歳男性、腹水のため入院されました。
診断はすぐつきました。
肝癌。しかも末期。癌を良くする治療はありませんでした。
家族は、もちろん諦めません。
ある時、藁にもすがる思いで健康食品の内服を懇願されました。
先輩医師に相談すると大反対されました。意味が無いと。そこで、先輩と看護師にバレないよう、こっそり飲んでもらいました。
ある時、自宅に外泊したいと願われます。先輩医師はやはり反対。家で急変したらどうするのだと。しかし強行。外泊から無事戻られた際の笑顔は忘れられません。
本人に真実は伝えられませんでした。ご家族の強い意向です。
ぼくは癌とばれぬよう演じました。でも、萩原さんはきっと気づいていたのではと今では思います。息子ほどの年齢のボクのつたない演技を、温かく見守っていらっしゃったのかなと。
萩原さんと、萩原さんのご家族、そしてぼくの共闘の日々が静かに過ぎゆく中、悲劇は突然やってきました。想定外の心肺停止。予後がまだあると考えていた私にとっても、ご家族とご本人にとっても想定外だったことでしょう。最期を迎える心の準備はいまだ整っていませんでした。
傍らにいた研修医仲間たちが慌てて心肺蘇生しました。なんとか心拍再開、意識も戻ったころ、ぼくもやっとベッドサイドに到着(不覚にも私は病棟に不在)。
意識が遠のいてゆく萩原さんに、奥様は号泣しながら何度も、何度も語りかけていました。
「お父さん、松嶋先生だよ、松嶋先生が来たんだよ」
萩原さんは目をしっかり開き、確かに頷かれました。ぼくは涙をこらえられませんでした。「医師は泣いてはいけない」と思っていましたから、涙を隠そうと何度もトイレを往復しました。無駄でした。涙をいくら拭いても、溢れ続ける涙は止まらないのです。
まもなく萩原さんは息を引き取りました。ご家族と一緒に泣きじゃくっていたぼくが、どのように臨終を宣告したのか全く覚えていません。
病室をあとにし医師室で呆然としていたぼくに先輩医師が、「松嶋君、医師は冷静でなければいけない。泣いてはいけないよ」と。
冷静さは保っていたつもりでしたが、少なくとも平静ではありませんでした。ただ悲しかったのです。大好きだった患者さんがお亡くなりになったのですから。
医師にとって、「冷静」とは何でしょうか。
「冷静」を広辞苑で調べると、「感情に動かされることなく、落ち着いていて物事に動じないこと」とあります。「落ち着いて物事に動じないこと」が医師に重要なことに異論はありません。しかし、医師が感情に動かされてはいけないでしょうか。
中村が、著書「臨床の知とは何か」の中で語っています。
「これまで、科学的立場に立つと自称する医者たちが、客観主義や普遍主義の名のもとに、どんなに多くの場合に責任を回避してきたことだろうか。そのために失われた医者への信頼が少なくないのである」
ショックでした。EBMを叩き込まれ、最新・最良のエビデンスを患者に提供することこそが医師の重大な使命だと信じていた私が「責任を回避していた」とは。
中村は続けます。「医者も身体を持った人間である限り、パトス的存在であることを自覚することであり、医療の専門家である前に、一人の人間として患者の苦しみや痛みを他人事だと思わないことである」と。
私は、あの時、自分のパトスには無自覚でした。ただし、少なくとも、萩原さんやご家族の苦しみは他人事とは思えませんでした。2人称まではいかずとも、2.1人称くらいだったのではと。
Rita Charonは医師の専門性を、「進歩しつつある科学的な専門的知識を持つと同時に、患者の言葉に耳を傾け、病いという試練を可能な限り理解し、患者の語る病いのナラティブの意味付けを尊重し、目にしたことに心を動かされて患者のために行動できるようになること」としています。
救われた気持ちでした。医師が感情に動かされてよいとまでは仰っていませんが、患者のナラティブに医師が心を動かされて行動することは医師の役割だと。
私の座右の銘をご紹介します。
「患者の感情に敏感になること」
私の恩師の佐藤元美先生(一関市国民健康保険藤沢病院 事業管理者)の教えです。
私は、最近、若干付け加えています。「患者さんの感情に敏感であるのと同じくらい、自分(医師)の感情にもずっと敏感であること」と。
目の前の患者には豊かな感情と物語があります。同時に、私たち医師にもまた豊かな感情と物語があります。いわば、患者と医師は、感情と物語という大海原で出会った一隻の船同士。大海原で出会った私たちは、どちらが上、どちらが下ということを言っている場合でもないですよね。だから、お互い、相手の感情はもちろん、自分の感情にもまっすぐに向き合う価値はあると思うのです。
医師は確かに冷静であるべきでしょうが、感情を捨てるという意味はないと信じます。冷静ではあっても、冷酷に至ってはいけません。あなたも私も同じ人間なのですから。
話を萩原さんに戻しましょう。
萩原さんの臨終確認後、萩原さんのお兄さんが声をかけてくださいました。
「いいお医者さんになってね」
医師なりたてで駆け出しのぼくへの激励だったのでしょう。
あれから約20年。患者さんやご家族の前で泣くたび、この言葉を想い出します。
萩原さん、ぼくはいい医者になったでしょうか。
(盛岡タイムス掲載済み、一部改変)
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