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忘れられた青たち

薄青いステンド硝子が、
寂寞としたサンルームに水面のような光を映す。
その水源は、此処から遥か遠くであった。

立ち枯れた観葉植物は隅で静かに眠り、
埃をかぶった八角形のテーブルと椅子は、
あの女(ひと)が立ち去ったときのまま
何も言わずに佇んでいる。
こちらに向いたままの椅子が、なにかを言おうとして押し黙っているように思えて、わたしはたまらず目を逸らした。

邸の部屋から部屋へうつるたび、
重厚な木の姿見がわたしの姿をとらえ、
床がうめき声をあげる。

最後に此処で過ごしてから、
どれほど長い時が経ったことだろう。
いつかは陶器に喩えられた指先も、頬も、
寄せる波のような皺におおわれてしまった。

かつて永遠と信じて疑わなかったあの日々は、
なんと儚い一瞬だったか。
いや。

若いわたしは、自らの熱と訴えが
大人たちに何の感動も呼び起こさないことに絶望し、
躍起になって手足をばたつかせていたが、
若者の生気というのは、相対的に比べられるものではないのだ。

象と鼠の時間が違う速度で流れるように、
わたし個人のもつ時間は確かに在った。
そして、それを共有できる女(ひと)が現れたとき、
はじめて永遠という概念が生まれた。

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青い硝子がサファイアのような煌めきを注ぐサンルームが、
わたしたちだけの花園だった。
彼女が持ち寄る花々と、紅茶の香りが隅々まで満たされた室(へや)は、
約束されたわたしたちの幸福を守る騎士だった。

白い繻子のブラウスが、青の光をうけて宝石のように光る。
わたしが戯れで首元のリボンをほどくと、
小鳥が慎ましく囀った。

彼方が黙れば此方も黙り、目を伏せれば同じように卓の上の薔薇を見つめる。
沈黙と、視線すべてに意味と言葉があり、
互いに理解ができるという奇跡を、
わたしは目の当たりにしていた。

大人から教わらずとも、幸福は自ら発見できるものであると
わたしは日記に記した記憶がある。

ただ、永遠という概念は存在するが、
それは数多の時流の中にできた淀みで、
何かの切っ掛けによって生まれたり消えたりする。
だから、わたしが掃き出された後も、永遠は
ずっと其処に在るのかもしれない。

--------------

或る冬の朝、重い音をたてて、薔薇が咢ごと落ちた。
拾おうと腰を屈めるわたしより先に
椅子から立ち上がった彼女の、侮蔑と嘲笑が入り混じった目は
まっすぐにわたしを射抜き、
一番深いところの柔らかな肉に
決して消えない傷を残そうと燃えた。

それは青い炎だった。

わたしは、膝にのせた白無垢を
きつく握り締めて、痛みを呑み込むほかなかった。
そしてこの痛みと火傷を、生涯背負って生きるのだと
火刑の灰から目覚めたわたしは解した。

一粒の麦もし地に落ちて死なずば、
唯一つにて在らん、
もし死なば多くの実を結ぶべし。

聖書の一節が幾度も往き来し、張り裂けるからだを縫い留めた。

焼け跡のなかで、手中の白無垢だけが
絹を黄昏に照らされ、不気味に艶やかであった。

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爪先に触れた小石も、
オパールだった頃の面影はなく
永年の空気に晒されセピア色と化している。

いま、此の室(へや)を支配するのは寂寥と
微かな青の香りだけである。

老いたわたしにとって、
若い生気を大人たちが目前にしたとき
薄ら笑いを浮かべるのは
誰しも青の記憶を持っており、
なぜ其処に留まることができなかったのか
未だ理由を探す己を嘲笑しているからだと
理解するのは容易かった。

わたしは、卓に積み置かれた一冊の本に
先刻、指先の触れた跡があることに気づいた。
黄ばんだ頁をめくると、深紅の鮮やかな
花弁が一枚、舞いおちた。

あの女(ひと)が今際になって再び此処を訪れた事実、
そして此の薔薇が告げるのは、
彼女が狭き門を潜った証明だった。
正義と利己を掲げて広き門に入場し、
錆びた玉座を手に入れたわたしとは
決して交わらない場所に在る。

眠る邸を起こさないように、
わたしは静かに本を閉じ、
薔薇の栞を遺してサンルームを後にした。

次にやってくる永遠が死であることを、
きっとあの女(ひと)も知っている。



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