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「全ては幻想。全てはバーチャルなんだ。」AppleVisionPro×インド哲学談話

3月某日にワーママTEC3のアドバイザーである『えんちゃん』の会社、株式会社MESONを訪れ2月2日アメリカ発売となったAppleVisionProを体験してきたほやほやレポートを書きました。↓

 そしてそこで繰り広げられたのは・・・AppleVisionProのフィロソフィーからインド哲学まで拡がる壮大な話。でも決して遠い未来では無く、すぐそこにある現在の話。『ヴァナキュラー・テクノロジー!』
 
ヴァナキュラー(「土着の」とか「自然発生的な」)はワーママTEC3の在り方そのもだと感じています。

ワーママTEC3 座談メンバー

【談話↓始まり】

えんちゃん(以下、え):フィロソフィー、そこをどう考えるかが難しいですね・・・

まっこ(以下、ま):AppleVisionProが持つフィロソフィーって公開してないんです?

え:いや、フィロソフィーは今後も一切外に出ることないんじゃないですか?
 仮説なんですけど、テクノロジーは瞬時にコピー可能な時代になっちゃったんですよ。だけど唯一、フィロソフィーはコピー不可能なんですね。
 だからこそ、AppleVisionProはたぶんそこを凄く重要視している。

まさキング(以下、正):誰かが持ってる秘伝のタレとかもそうだよね。

マンジビーム(以下、マ):でもやっぱりジョブズじゃないの?

:確かに他界されているけど、研究開発している期間で言えばとても時間かけてる訳で、たぶん生きてる時代にもやってますかね。

こにしん(以下、こ):そしたらさ、インド哲学と禅でしょ?今回ようやくジョブスが心酔していたインド・スピリチュアリズムが日の目を見るんじゃない!?

え:僕もそんな感じがしてきてます。
 要するに、今まで僕らが合理性とか効率性とか重視してきたけれど、このデジタル情報とのお付き合いの仕方、つまり電源付ければ瞬時に情報が流れるよっていう習慣はもうやめましょうねって。たぶんそう言ってるんです。

一同:あー、なるほどね。

え:なので、私の会社(MESON)が作ったSunnyTuneというお天気アプリは、インテリアとして作っているんですよ。
 基本的に情報は出しっぱなしなので、仕事しながらちょっと気にすれば、「ああ、なるほどね」っていう情報の取得の仕方なんです。たぶん情報取得の仕方ってこうなっていく。

MESON、Apple Vision Proで利用できる天気体感アプリ「SunnyTune」をリリース

:そう考えると、メディア革新的な部分って大きいと思いません?

:まさに拡張性ですよ。完全にメディアを拡張することで、生活に根ざすっていう何かフィロソフィーがあるんだろうね。若干宗教観もあるから、そこが面白いよ。
 なんかポストヒューマニズム的に言えば宗教っていうのは、根っこにあるのは何を信じるか、何を疑うかみたいな。

:インド哲学的にはどんなシンクロがあるのですか?

:インド哲学って基本をマーヤー(摩耶)に置くんですよ。マーヤーっていうのは、幻力とか幻想という発想のことで。だから我々が見ているもの全部、ここにいる人間ですら、ここにある机すら、『全て幻想』っていうのがまず大前提

 だから我々はリアルな世界があって、バーチャルの世界があるよねっていう風にきれいに分けて世界を捉えているけど、インド哲学の世界では、全部がバーチャルだから。

:ええ!?そうなんですか?

:そう、全部が幻影であり、無なんです。インド哲学からつながる仏教の「色即是空(しきそくぜくう」の「色」がマテリアル(物質)でかつリアル(現=うつつ)なもの。このリアリティを全て「無」に帰す、というのが色即是空の考え。
 ブッダは自分の心を狂わす息子には「悪魔=ラーフラ」っていう名前をつけて、生まれ育った城を飛び出すんですよ、全部捨てて。自分がリアリティだって感じてしまうこの世界の在り方そのものが、自分の苦しみを生み出しているんだって。
 ヒンドゥー聖典の一つ「ヴィシュヌ・プラーナ」でも、森羅万象は全て変化して止まぬもので、「実在性(タットヴァ)」は存在しない、って明言されています。つまり、全てがバーチャルで、全てが欲望の生み出した妄想である、と。

え:幻影っていうのは初めて知ったんですけど、AppleVisionProのアプリを開発するにあたって、僕も本当に今年の初めぐらいから意識し始めたのが、西田幾多郎なんですよ。西田哲学ですね。
 このデジタル情報と物理現実世界が極限同一化する世界にあって、僕らはデジタル情報とのお付き合いの仕方を本当によく考えなきゃいけないって思ったので、西田哲学が結構はまって。
 いわゆる純粋経験って「目の前にあるものを自分がタグ付けする前の認識に戻そうよ」っていうことで、そこをだいぶ意識しましたね。

こ:つまりロゴス(言語活動)じゃなくて、ファンタジー(幻想世界)ですよね。
 まさに言語で構成される前の在り方というところに帰らなきゃいけない。西田さんもそうだけど、丸山圭三郎もソシュール言語学を引き受けた上で、「言葉」で分割する世界から感覚で構成する世界、つまり「身分け」構造の世界への回帰を考えた。

え:それって相対的に、いわゆる西洋テクノロジー的に「身の回りにあるものが、自分のコントロール可能なもの」と捉えてしまうものがテクノロジーなんですね。
 それを今まで享受し過ぎていて、ここまではマジでその文化に育ってきてしまったんですよね。なので、ここで一回戻そうねって。

こ:リアルとバーチャルという二分法を超えて、その先に行こうとしてますよね、AppleVisionProは。もう一度分割することのできない、全てが混在するイマージュの世界やファンタジーの世界への回帰というか。

え:そう、なのでそうしていこうねっていう宿題を課せられてるんですよ。

マ:難しい・・・。でも無を作るってことでしょ、これによって。

ま:でも確かに、あまり考えなくても、思考しなくとも感覚的にできるものではあり。

え:だから僕ら生活者が一番身近な感覚で言うと、そのまま無を手にするってかなりハードルの高い言葉ですけど、仮説ですけど、自分の中で利便性とか効率性よりも大事なものって見つけられるかい?ってたぶん聞いてるんですよ。
 瞬時に誰かに連絡取れることとか。メールを今すぐ送信できること以上に、大事なものって何だっけ?って言ってると。

一同:すげぇな。

正:デジタルで物を作っているとデジタル感覚に溺れるから、やっぱり時々こう息を吸うように、マテリアルなものとかを触らないと人間ってやっぱりバランスを取れないですもんね。
 デジタルで絵を描くのはめちゃめちゃ早いわけですよ。でも紙に何か書くっていう負荷は、あれでまた気持ちよくイメージできる。
 だからそこを行き来できる何か新しい言語というか、『感覚言語』みたいなものを。

え:だからテクノロジーを発展させましょうっていう文脈は、あれはあれで一つの正しさに向かっていってるのだけど、じゃあ、その主語を外して、人間としてって変えた場合に、果たしてそうだったっけ?と。
 だから昨日もちょっとその話してたんですけど、『テクノロジー』イコール『どこでもドア』って捉えた場合、全てのものがどこでもドアになって極限になっていくよって言われたら、「ああ!喉乾いた」って考えた瞬間に「ああ!おいしいって」思うじゃないですか。その生活って意味分かんないですよね。

正:余韻というか、時間差とか、それこそタイムラグがあるから感覚がふって蘇るけど。直結しちゃっていたら、ドラえもんの究極の道具っていうのが作れてないっていうのが面白いわけじゃないですか。
 あの良いところはマルチデバイスじゃなくて、どこか行きたいんだったら『どこでもドア』だけど、時間を超えるなら『タイムマシーン』。で、スモールライトとか要らないじゃないですか(笑)
 科学に基づいて人間性ってどこまで担保できるかって時に、ドラえもんの世界って未来をちゃんと描いてるっていう。

こ:だからそれぞれの利便性に合わせて個別の道具があるんだね。あえて使い勝手の悪さを残しているというか・・・。

正:究極を出しちゃったら終わっちゃうじゃないですか(笑)

こ:でも一つだけ究極のがありましてね・・・それは「もしもボックス」。もしもこんなことがあればって言えば、その体験を可能にするような実験装置。あれ1つあれば、とりあえずあらゆるものがバーチャルに解決するっていう、実は一番作っちゃいけないやつを作っちゃったんですね(笑)。

正:でも面白いのが、イフ(IF)の世界を経験しながらまた現実世界に戻ってくるという部分。そこが面白いよね。

え:だからドラえもんで描いてるのって、この道具すごいでしょ!ていうのを描いてる訳ではないんですよね。

正:AppleVisionProは、日本人の感覚にちょっと近いような気がする。色んなものに宿ってるなっていうのもあるし。
 そう、あの『ゴレンジャー』をわざわざ5人に分けたっていうのと同じで、スーパーマン1人より、なんでわざわざ5人に分けたのかっていう、日本の文化。白波五人男にしても「名を名乗れ!」から始まって・・・。名を名乗ってる場合じゃないじゃない?
 でもやっぱりそれぞれの良さを統合していかないと、相手には勝てないみたいなロジックが5人組にさせている。
 若干、このAppleVisionProは5人組感がある気がする。

え:これ本当に国によって、捉え方がまるで違うんだろうなって思いますね。僕はこれは壮大な宿題だと思っています。

ま:宿題もらうのにちょうど良い年齢ですよね。積み重ねてきたバイアスがあるし。

え:その宿題を分からん!って言いながら死んでいくんですよ(笑)
 察するに、個人主義が強い国の場合は、これイコール「正しさ」として受け取ってしまう人たちが大半な気がしてますね。

こ:日本だと、結構アニミズム※的な捉え方が広がっていくんじゃないかなって。

※ラテン語で「霊魂」を意味するアニマanimaから作られた用語で、人間、動植物、無生物などすべてのものに霊魂が認められると仮定された信仰体系の一形態。

ま:アニミズムというと?

こ:全てに神が宿っている。そういう意味では、人間の最も原初的な宗教形態であって。石があってエネルギーを感じるとか、木があってあたたかいって感じるだとか、あの感覚。トイレにだって神様いるわけだからね。
 火の熱さや輝き自体を神様にしていくっていう、あの感覚って、自分の身の回りの世界が全部バーチャルだって知っているっていう状態だと思うんですよね。
 その未分化な世界を分離させて、「自然」なるものを対象化してどうやって人間が効率的に使用しコントロールするかっていう世界になっていくと、それまでとは全く違うフェーズに入っていくみたいな。そこからバーチャルが分離されちゃう。

え:一応、うちの会社MESONにおける空間コンピューティングとは何か?と言った時に、人類つまり僕らが見てる目の前からコンピューティングを消していくっていう風に考えてるんですよ。見えないものになっていく。
 落合陽一さんもデジタルネイチャーって言ってますよね。

正:インターネットデジタルにも愛着を持って、なんかちょっとこう、ズレっていうか、スーパーテクノロジーに溺れるじゃなくて、そこからズレていくっていう反動も新しく生まれそうだよね。

え:この中身40%くらい日本の工場が作ってる部品らしくて。

一同:宿ってるね、ちゃんと産業的にも。

え:ディスプレイもSONY製のものが入っているので。
 僕の持論は、フィロソフィ=哲学っていうものをその産業に実装する習慣が未だかつてあまり無いと思っていて。

こ:確かに、ちょっと分離し過ぎちゃったよね。

え:それをちゃんとやれば、多分このデバイス以上のものが日本から生まれる気がしてますよ。

正:できそうな気がするよね。
 東洋医学の限界と西洋医学の合理性と、更に超えていく世界の医学ってなんだろうと思って。

え:お坊さんともお話しした時に、日本人的感覚で言うと、西洋の個人主義は神がいて、私たち人間がいるって一対一の関係じゃないですか。
 だけど、そのインドの仏教もそうかもしれないですけど、日本の仏教的な考え方で言うと、『メッシュ構造』なんです。人がいるし、自然がある。それぞ全部繋がっていくっていう。ここに、自然・人間・あとデジタル情報っていうものもばら撒かれてメッシュで繋がっていくっていう。仏教の言葉でいうと「法」。

※インド思想で「法」を意味した。仏教以前からのインドの思想で、「保つもの」の意味。法律だけでなく、倫理、道徳、正義なども含む、人生の正しい行いを守ることを意味した。

こ:ダルマ(Dharma)ですね。

え:そういうイメージで、インターネットとかっていうものを日本が作っていけたらいいなと思います。

こ:なんか何がバーチャルだ、リアルだとか言ってる事がバカバカしくなってくるよね。結局、全部がバーチャルなんだって、たぶん多くの人が気づきはじめてる。

え:だって「バーチャル」って元を正せば「実際的に」っていう意味ですよね。

マ:そう!?そうなんだ。へっー!

こ:メッシュ構造で全部複雑に絡み合って蠢いているだけだから、それがたまたま、くるくるって結び目ができあがった瞬間に現象が起きるっていう。人間なる存在もそこで生まれちゃうっていうか。

正:それがさっきの時間の話でいくと、そのA系B系※っていうのがあって、神の目線と矢のように過去未来っていうのを意識しているのは人間だけで。つまり視点から見て、メッシュ構造の中でただ息づいてるだけなんですよ。だから死生観も変わる。

※A系B系 -まさキング補足-
もとはマクタガートが論文「時間の非実在性」で導入した2つの概念。A系列(過去、現在、未来)とB系列(より前、より後)をめぐり、時間が実在しないことを証明しようとした。
「メッシュ構造」の話を聞いて、『未来とは何か』(デイビッド・クリスチャン)の冒頭で、A系列(川の流れ、パサージュ、サンサーラ)B系列(地図の俯瞰、神の視点、変化は幻想)のことをふと思い出す💡
XRを考えていく上で、時空間(メディア?)の新たなレイヤー(環世界?)を想定すると面白い気がする・・・

こ:文化人類学者のティム・インゴルドっていう人は、ネットワーク的発想を否定するんですよ。ネットワークってAとBとCとかっていうアクターを先に設定して、実在論的にそれを捉えて、それが網の目状に点と点を結ぶ形でネットワーキングが完成するという。

 実は我々が生きてる世界っていうのは、メッシュワーク構造を持っていて、それが絡み合っているだけで、それがどこにでも拡散するし、結びついて何かぐるぐるって現象を起こし、いつの間にか弾けて飛ぶように広がってるっていう。
 そういう風に考えると、もともと存在してるものじゃなくて、たまたま結びついてしまったり、結び目とか渦みたいな現象としか世界を捉えてない。自分っていう存在も、他者との対話や絡み合いの中で、たまたまボッと顕在化したようにみえる儚いものでしかないから
 それを『ネットワーク』じゃなくて、『メッシュワーク』として世界を捉え直そうぜっていう人類学者なんです、インゴルドは。めっちゃ面白いのよ。

[参考記事】
「線が織り成すメッシュワークに没入し、生成の物語を語れ:インゴルドとともに「生きていること」を生け捕りにする」
https://dokushojin.com/review.html?id=8636

〜奥野克己 週刊読書人2022年1月21日号〜

 でもメッシュワーク構造って、ナーガールジュナというインド哲学者が言ってることとか、その後、法華経を通じて宮沢賢治が言おうとしてることと全く一緒なんですよ。結局人類史では連綿と「世界=幻影」思想が流れている。

正:過去や未来っていう流れじゃなくて、一つの平面上にいるってことですね。

こ:メッシュワーク構造の中でたまたま、ただそこに在るようにみえる。身体って常に生まれ変わってるじゃないですか。細胞分裂して老廃物を出して。3年後に僕らが会ってもマテリアル(物質的であること)なものとして全く違うものになって生まれ変わっている。
 ただバチバチ光っている渦でしかない。だから本当の自分なんて存在しない。本当の身体も存在しない。ただ、ここでこうやってみんなで集まって、ワイワイ言ってるのも、火花が散っているだけで。
 だから二度と会わないかもしれない。いったん外に出たらあっという間に死ぬかもしれない訳で。でも、僕らはいま、こうして対話を楽しんでる。

マ:でもそれで言ったら、意識って不思議じゃないですか?

正:そうなんですよ、いまだに解明されてない。

こ:脳の動きだってさ、数百億の神経細胞が電気信号をシナプスで送りあって、バババッって光ってるだけで。だから意識をコントロールしたり、思考しているわけじゃない。パチパチ光りながら現れた偶発的な現象を、たまたま「認識した」「意識した」と思い込んでるけど、実は何も見えてなかったっていう話なんだよね。

正:幻想だよね。

こ:だから何かを捉えていくっていうこととか、何かを理解しました!っていうのは全部幻想だよね。自我意識だって刻々と変わってますからね。自己イメージも。
 「私はこういう人間である」ってしがみつくこともできるけど、固執したって良いことないよね。

え:最近AIとかも触ってるので、AI触ってるとなんか既視感(デジャビュ)があるんですよ。「あ。俺かな」みたいな。

こ:何をもって「自分」とするかっていう。
 勝手に想定してるだけだから、自分ってこういう人間なんですよって勝手に思い込んでるわけじゃないですか。
 それって、たぶん他者との関係の蓄積の中で、なんとなく自己イメージみたいなものが少しずつ作られてきてっていうだけなので。
 すごい強烈な出会いや経験が訪れると、それまでの自己イメージがいきなりひっくり返ったりすることもある。全く違う経験をしたら全く違う自分が溢れ出してきちゃうっていうことがあるので、やっぱり僕らは偶発的なメッシュ構造のなかで光ってるだけなのかな、って。

 宮沢賢治が言っているんですよ。
「たまたま色んな電流が交差して、たまたま光ってしまった青い光が僕なんです」って。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

〜宮沢賢治『春と修羅』(1924)より 〜

で、そこにコレですよ▼

【Apple Vision Pro】

インド哲学→仏教→スティーブ・ジョブズ→からのコレ。全部繋がってると思えなくもない。

一同:そうすると凄いね、やっぱり。身震いするね。

こ:このデバイスからこんなに話が拡がるとは!(笑)

え:いやいや、このデバイスだからこんなに拡がったんですよ。

こ:なんか凄い体験をさせてもらったな。テクノロジーでテクノロジーが完全に超えられていく世界というか。
 テクノロジーが囲い込んだ「バーチャル」っていうんじゃなくて、それを遥かに超えたところで、我々が靴紐を結んだり、野菜を切ったりとか、そういう日常性のレベルの中で、バーチャル的なものが溢れ出してくるっていう所に行こうとしている感じがして。二分法を超えたところで、全てを飲み込んで接合させていくみたいな。

え:でもそのメッセージをどれだけの人が受け取れるかなんですよね。

ま:でも私の体験として、超感覚的に何も考えずに受け取る人は結構いると思っていて。特に女性なんかは「なんか良いねー」で使えちゃう。

ワーママTEC3メンバー活動の様子から

え:ぜひともワーママTECには、その感覚で突き進んで欲しいと思っていて。結構このテクノロジーの文脈って「いや、違うでしょ」っていう人たちも多い。

こ:なんか世界を掌握してコントロールして操作してやるっていう今までの志向性。自分の手中に収めて、所有し、操作し、使いこなそうとするデバイスの世界って、すごく男性的な世界だったじゃない?でもAppleVisionProは、そういう世界とはちょっと違う。日常性や生活世界にまで目を向けて落とし込んでいる。
 ヴァナキュラー・テクノロジーみたいな。日常に最も根差した土着の世界における手の動きとか。画面から構成される世界とか、インターフェースそのものが、すごく卑近な生活世界に近づいているというか。

※ヴァナキュラー(Vernacular)とは「土着の」とか「自然発生的な」という意味を持つ言葉

 まさにバーチャル・テクノロジーヴァナキュラー・テクノロジーを融合させようとしているのかなと。今までテクノロジーっていうと、ちょっとマスキュラーな、男性のホモソーシャル的な世界に囲われていたものが、これによって女性的な力が発現できる世界に流れ込んでくるっていう。そんな予感がしました。

ま:それにいち早く気づいちゃったのがワーママTEC3か!

一同:(笑)
【座談↑終わり】


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