[011]noteをはじめて知ったこと+α


少し前に「noteをはじめて知ったこと」という記事を書き、項目を4つに絞ったつもりで記事を書きながら、”この4つぐらいじゃ、終わらんだろうなぁ”と思っていた。

案外それが早く来てしまった。


ここで書いた記事は主にTwitterやFacebookで共有をかけているが、noteをはじめた頃から思っていたのは「この記事をどこまで共有するか」ということだった。

しかしながら、記事を10本ほど出していってまず感じたのは、どこの誰まで共有するかを考えて記事を作っていくのはものすごく疲れる、という感触だった。


そもそも、「どこまで共有するか」は本線ではないと思い出し、noteを書いている人種(という呼称で失礼…)にとっては、いかにも似つかわしくない考え方だと考え直した。


そう思うと、「何を書きたいか」「何を伝えたいか」のように、「何を共有するか」を本線に置くべきであったと、気づかされる。

そして、もう少し上段を見据えるなら、不特定多数の人を相手にしたときに自分の伝えたいことをより濃くより多く、そして大きく傷つけずに共有することができるか、を考えなければならない。
(そもそも、情報を広く伝えたいのなら、情報共有のレンジを狭めてどうする、という本末転倒な話であった)


誰かがその記事を見て腹を立てても、上手に優しく包み込み、それでいてイイタイコトを過不足なく言い切っている記事、書き手さんをみると、自分はやはりまだまだ小手先ばかりになってしまっているように感じてしまい、やや落ち込む。
いや、だいぶ落ち込む。


小手先の技術にならぬよう、この自粛期間を生かして活字を多く読みたいと思っていたので、予定通りそうすることにしようと思う。



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