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総員、名刺を装備せよ!(総督)

 日本の牧師は奥ゆかしすぎる。個人を崇敬の対象とすることを極端に嫌うプロテスタント故なのか、あるいは謙遜を美徳とする国民性によるものかは知らないが、とにかく目立つことを避ける。

 逆に少しでも「出る杭」があれば、寄ってたかって打ちまくる。そして、せっかく育ち始めた若い芽も根こそぎ引っこ抜かれ、荒涼とした不毛の地だけが残る。だから、賢い後進はますます表舞台に出たがらない。

 傍若無人に出しゃばれとまでは言わないが、せめてもう少し自らの存在感をアピールしてはどうかと、時折もどかしくなる。本人の意図がどうあれ、牧師は教会の顔である。教会の私物化は論外にしても、教会の看板を背負った営業マンとして、もっと顔と名前を売る努力はしてもいい。

 全国100以上の教会を渡り歩いてきた歴戦のノンクリ教会ウォッチャー・八木谷涼子氏は、牧師たちに「名刺を持ってほしい」と呼びかける。「教会の住所を書いた名刺サイズのカードでも結構です。……あとで連絡したいとか、本を送りたいというような時に、いちいち『キリスト教年鑑』や週報などで住所を探すのはたいへん」なのだという。

 「ポリシーとして名刺は持たない」と豪語する牧師に何度かお目にかかったことがある。「国籍は天にある」「紙っぺら1枚や肩書きで判断されたくない」という主張も分からなくはない。しかし、パソコンで自作の名刺を印刷したり、個人のブログを開設したりということを手軽にできてしまう人種に対し、決して「自分はできない」などと認めず、「持たない主義」「やらない主義」と言い訳するのはちょっと痛々しい。

 名刺を持たない営業マンはいない。キリスト教の「広告塔」として、教会とは何か、福音とは何か、牧師というものが何者であるかを世に知らしめるために、最低限必要な武器になり得る。初対面の人と顔を合わせず、身内だけで職務が遂行できてしまうぬるい環境に身を置いている限り、伝道などできるわけがない。

 ただ、持てばいいというものでもない。正しく「装備」しなければ効果は半減してしまう。名前の読み仮名は必須。海外からの来客も想定し、英字表記があればベター。やたら肩書きが列挙されているのはNG。とりわけ「名誉教授」「名誉牧師」的な肩書きを堂々と自称できてしまうのも個人的に好きではない。また、一風変わった紙質やデザインで個性を主張する系もクリエイターのアート作品なら分かるが、便宜上は扱いづらいだけなので避けてほしい。

 いずれにしても、SNS全盛の時代に、牧師による発信の質も問われてくるに違いない。最前線で日々戦うキョウカイジャー諸君も、心して装備せよ。

(2016年10月22日付「キリスト新聞」掲載)

【総督】名前不明 キョウカイジャーを統括する司令塔。「神の国」建設に寄与するため、あらゆる予定調和を打ち壊し、業界の常識を覆そうと目論む野心家。地上では仮の姿でキリスト教メディアに携わる。サブカル好きの中二病。炎上体質。武器:督促メール/必殺技:連投ツイート/弱点:カマドウマ(便所コオロギ)。

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