宗教は社会の役になんか立たない
(2012年5月26日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)
去年のクリスマスプレゼントに、こんな絵本をもらった。
絵を描くのが好きなねこが、シャツをつくるうさぎ、魚を釣るきつね、大工のさるたちから「えなんて なんの やくにもたたない」と言われながら、それでも好きな絵を描き続け、最後には「えをかくのが すきで じょうずで、ほんとに よかった」と思えるようになるお話。
初めて知った絵本だが、実に深い。無謀にもかつて漫画家を目指していた身として、痛いほどよくわかる。幼いころから聞かされてきたのは、「マンガなんて なんの やくにもたたない」という声なき声。
90年代末。新自由主義の煽りを受けた公的機関の民営化や大学の独立行政法人化が顕著な例だが、企業原理の導入により、中・長期的視野が求められる研究機関にも成果主義・競争主義がなだれ込んだ。
結果が見えにくい人文系の学部は予算を大幅に削られた。就活では、企業にとって最も「使えない」のが教育学部卒の新卒者だと言われたりする。教師としての専門性など、社会では必要とされにくい。おそらく文学部や神学部なども同列の扱い。
目に見えて、数で計れて、結果がすぐに出るものを追い求めようとする実利的・即物的な風潮。
合理性を追求することは場合によっては必要。前例を踏襲して一向に非合理性を改善しようとしない体質にはうんざりするし、それを「無駄の中にこそ宝がある」と正当化してはばからない態度もいかがなものかと思う。
ただ、目に見えず、数で計れず、結果もすぐには出ないような部分の価値をも認められる社会であってほしい。芸術や宗教なども、時代の閉塞状況においては真っ先に切り捨てられる分野。成果などすぐには出ない。
誤解を恐れずに言えば……宗教は社会の役になんか立たない。そもそも世俗的な意味で「役に立つ」ことが最終目的ではない。とりわけ震災の後、宗教の側から自らの有用性を説き、社会貢献の度合いを競い合い、「こんなに役に立ちますよ」と喧伝するのは何か違うような気がしている。
「オウムや統一協会と違って社会のお役に立ちますから、バッシングせずに公益性も認めて、温かく見守ってくださいね」と、媚びる必要があるのか。社会的存在として相応の責任は当然果たすべきだが、俗社会と一切摩擦を生じさせないような宗教に、「地の塩」としての存在意義はあるのか?
しかし同時に、直接役に立ちそうもない、即効性の期待できない、合理的かつ実利的でないもの(文学、哲学、教育、宗教、芸術、サブカルなど)を削ぎ落とした社会がいかに貧しいかについては、いくら強調してもし過ぎることはないだろう。
「Ministry」第12号でもご登場いただいた漫画家の里中満智子さんが、『ダカーポ』のインタビューに答えてこんなことを語っている。
「結果を出すこと」「役に立つ」ことを目的としないものが、実は大局的に見れば(より本質的に)、期待をはるかに上回る大きな成果をあげるということは、十分にあり得る。
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