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続けるだけが能じゃない!(総督)

 最小限のモノだけで合理的な生き方を実践する「ミニマリスト」が注目を浴び、昨年の流行語大賞にもノミネートされた。料理や掃除の手間を省く「時短」テクニックが、主婦層を中心に話題となったのも記憶に新しい。「できないこと」から解放され、快適なシンプルライフを提唱するハウツー本もよく読まれてきた。

 何を隠そうこの我が輩も『やめたら、お家スッキリ!』(佐光紀子著、大和出版)にはいろいろ教えられた。ゴム手袋、トイレマット、雑巾、大掃除、まとめ買いなど、確かに今まで当然と思ってきた家事の中にも、よくよく見直してみると実は多くの無駄があることに気付く。ライフスタイルの変化に伴い、スリム化が求められるのは当然かもしれない。

 今一度、我々の教会を省みてみよう。「歴代の牧師がそうしてきたから」「この教会の伝統だから」と、うやうやしく連綿と受け継いできてしまった〝負の遺産〟はないだろうか。改めてその必要性を問われても、誰も答えられないような無駄が潜んではいないだろうか。

 「継続は力なり」との格言がある。地道な努力を積み重ねていけば、やがて大きな目標を達成できる。たゆまず続けていくことの大切さを説いた先人の知恵だが、真の「力」を得るには、安穏と「継続」するだけでなく、目的を成就させるための「不断の努力」が必要なことは言うまでもない。

 そこであえて言おう。続けるだけが能じゃない。時にはやめる勇気も持とうではないか!

 ある教会では、奉仕者の高齢化などを鑑み、「婦人会」を解散したという。これまで「婦人」たちに依存してきた教会の仕事も、全員で分担できるように仕組みを変えた。教会の新陳代謝に合わせて、形態や活動の中身が変わっていくことは必然である。長く日本の教会文化とされてきた性別、年齢、既婚か未婚かといった違いによる区分けを再編しようという試みは、勇気の要る英断だったことだろう。

 歴史のある組織ほど、「続けることに意義がある」というフレーズが有無を言わせぬ印籠のように掲げられ、中断や軌道修正に踏み切れない傾向がある。これに異を唱えようものなら、一部の熱心な抵抗勢力から「不信仰」「非聖書的」のレッテルを貼られかねない。将来を見据えた確固たる計画があれば別だが、感情的な反発に過ぎないとすれば、それはただの思考停止だ。無意味なことをただ続けていても、そこに意義は生まれない。

 当然、やめることで失われるものはある。効率のみを優先すれば、本質を見失うこともあるだろう。しかし、日々新たにされることを恐れ、意味も分からぬまま前例踏襲、現状維持に固執するのであれば、そんな組織に未来はない。

 さて。我々キョウカイジャーもそろそろ刷新を……!?

(2016年5月7日付「キリスト新聞」掲載)

【総督】 名前不明 キョウカイジャーを統括する司令塔。「神の国」建設に寄与するため、あらゆる予定調和を打ち壊し、業界の常識を覆そうと目論む野心家。地上では仮の姿でキリスト教メディアに携わる。サブカル好きの中二病。炎上体質。武器:督促メール/必殺技:連投ツイート/弱点:カマドウマ(便所コオロギ)。

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