私立文系大学に入るとどうなるか 現役大学1年生によるリアルな振り返り
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。公認会計士試験合格を目指し、部活動・大学生活との両立を行いながら努力しているマクベスです。
気づけばもう12月。今年もあっという間ですね。今年の振り返りはまた今度やるとして、今回の投稿では、
1.都内の私立文系大学に入学するとどうなるか(メリット・デメリット)
2.「大学1年生」とはどのような存在なのか
という2点を主題に、大学生活を約1年続けた自分の率直な気持ちを吐露したいと思います。同年代の方に読んでいただきたいのはもちろんのこと、大学受験で都内の私立文系大学を受験しようと検討している方にも読んでいただきたい内容です。細かく段落分けするので、是非、気になった所からお読みください。
ちなみに、自分は経済学科です。特定が怖いので大学名は避けますが、それなりの大学に一般受験して入学した身ですので安心して下さい。
9割超の学生は堕落する
これから一貫して述べる主張を先に言っておきます。それは、
都内私文学生は1年生で確実に堕落する
ということです。
理由は次の段落で述べますが、これは紛れもない事実です。大学に入って勉強に専念しようとしている人、自分のやりたい「何か」を行う為の環境を獲得するために大学に入学しようとしている受験生は特に気を付けてください。
授業以外の時は群がってどんちゃん騒ぎ、授業時はスマホをおしゃぶりの代わりにして半目で受講、授業が終わればそのまま学生しか行かないような場所へ一直線…… 少なくとも大学1年生ではよく見る光景です。
もちろん、このような環境は無視すれば問題ありません。実際に、自分も高校生の時に思い描いていた生活をほぼ100%実現できていますし、なんの支障もありません。
ですが、高校の時に自分が描いていた大学生像は、同志と切磋琢磨しながら勉強・遊びを両立させる日々でした。学部内にそんな人を見つけようとしましたが、見つけることはできませんでした。
自分が学部内で友達を作ることを諦めた理由
自分が入学した4月頃、6~7人のグループに所属していました。新歓等もそのメンバーで参加し、昼ご飯も一緒に食べていました。高校の時のような固定メンバーではなく、各々が呼びたい人を集めて行動する様子がまさに大学生らしいな、と感じていました。
問題があったのは、GW明けです。そのグループが全員授業を真面目に受けなくなったのです。次第に大学で定められた「昼休み」に昼食を食べる人はいなくなり、欠席が目立つようになりました。
今でも忘れない出来事があります。それは統計学の授業を受けていた時のこと。いつものように、自分は板書をルーズリーフにまとめ終えると、グループの人間から「そのメモ写真撮らせてもらっても良い?」と言われました。自分は、『何か書き忘れた式でもあったのかな』と思い、そのままルーズリーフを渡すと、グループの人間は一斉に自分のルーズリーフの写真を撮り、AirDropで拡散し始めたのです。
グループの人間が自分のルーズリーフを利用して好感度を上げることを選択したという事実に、とてもショックを受けました。それは自分の手柄が云々ということではありません。「人間」としてグループ内に所属し、大学生活を送っていると思っていた自分が、知らない間に「うまく板書をまとめることができるやつ」というただの便利グッズになっていたことがとてもショックだったんです。
次の週でも同じことを言われました。その時には流石に限界が来た為、やんわり断り、それ以降、そのグループとは一切関りを持っていません。大学は広いので、一度関係を切ってしまえば少人数でない限りはうまくフェードアウトできます。
ルーズリーフを見せて欲しいとねだられたとき、グループの人間は、「数学が分からなくて…」と繰り返し言っていたのを覚えています。恐らく、文系科目のみを用いて経済学部を受験したか推薦かといったところでしょう。生半可な気持ちで経済学部に入り、数式が分からなくなり、人に頼るしか残された道がなくなったようです。なんのために経済学部に入学したのでしょうかね。
大学受験生へ 学部の選び方
受験生の中には、学部選びで悩む人が沢山いると思います。自分も文系の学部と理系の学部のどっちにするか、どんな勉強をしたいのか等、沢山悩みました。
学部選びでのポイントは、「大学そのものに価値がある」ということに気づくことです。
A大学の方がB大学よりも偏差値が高いから良い大学
B大学の方がC大学よりも良い就職先に就けているから優秀な大学
などというように比較しがちだと思いますが、これは大学に4年間(またはそれ以上)在籍することが確約されている前提で成り立つ議論です。そのことを絶対に忘れないでください。
高校を卒業しても金銭的に支援してくれる保護者がいる。
帰る家がある(一人暮らしを許されている家庭は本当に素晴らしい環境です)。
好きなものを買ったり、チャレンジする環境が整っている。
どれも奇跡と表現するだけでは物足りない、素晴らしい事実です。
それを踏まえた上で、自分が提案する具体的な学部選びは、「積極的な消去法」です。
積極的な消去法
具体例を提示すればすぐに理解していただけるかと思います。例えば、
大学生活は(自宅通い・一人暮らし)が良い(出来る)
(文系・理系)が好きだ
大学では(人気な・有名な・強豪の・活発な・独特な)(部活・サークル)に入りたい
大学は(地元・都会)が良い
○○をやりたいという強い意志がある
といったところでしょうか。
「○○大学に入りたい!」というのをモチベーションをしていただいても結構ですが、落ちた時というリスクヘッジが効きにくいです。別の大学に入学すれば、「●●大学じゃなければ…」という無駄な妄想を繰り返す『ざんねんないきもの』になってしまうかもしれません。
これは自分の経験を交えた明確な主張です。自分は国立大学の経済学部を受験しましたが結果は不合格。浪人はせず、私立の文系大学に入学しました。
始めは少し未練がありましたが、今ではとても満足のいく大学生活を送っています。それは、良い人間がその大学にいるからではなく、自分が大学生でやりたかったことができているからです。
とにかく、「これをするために大学に行くんだ」という強い意志を持つことを強く推奨します。大学名などの表面的な目標ではなく、自分の心に訴えかける明確なビジョンを持つということです。
なぜ私文は1年生で堕落するのか
次に、これまで述べてきた「都内私文大学生は9割超が堕落する」という主張の根拠に関して話したいと思います。それは、
空白の時間の埋め方が分からないから
です。 これ意外と皆さん気づいてないんじゃないんですかね。
思い返してみてください。小学校・中学校・高校。いずれも連続して「授業」という枠組みが与えられているうえに、休みの時間すらも固定されている環境ではないでしょうか?私たちは9年間という義務教育、3年間という高校での教育を受けたとしても、空きコマの過ごし方は学んでいないのです。
だから堕落するんじゃないかな、と自分は考えています。完全には固定されない生活リズムに順応できず、オンオフの切り替えができない。最終的にはオフの状態で授業を受ける割合が増えていき、しまいには授業にすら顔を出さなくなってしまう。文系学生は特にこの割合が高いと思います。
同時に「理系はマジメ」というイメージもあると思いますが、これも、上記の考えに基づけば「似て非なるもの」です。高校時代の知人の証言に基づいたものですが、2コマ連続の授業があったり、連続して必修授業を受ける日が自然と多くなってしまうと聞きました。結局のところ、これまでの学生生活に近いからうまくこなせているだけではないでしょうか。別に理系の学生が優秀だから、とも言いきれないと思います。明確なデータがあれば明示したいところですが、そんな研究誰もやってないと思いますからね。もし見つけたらまた書きたいと思います。
加えて、大学1年生は教養科目を必然的に受講すると思います。この「教養科目」も堕落の罠だと自分は考えます。なぜなら、私たち19,20そこらの大学1年生が教養科目の重要性を把握しきれていないからです。
教養科目の重要性は書物だけでなく、大学のHPでも公開されているほど、大学では重要な位置づけです。しかしながら、学部学科という枠組みに囚われている私たちは授業のジャンルではなく、「必修か否か」「2年生以降に直結するか否か」に固執してしまいます。結果として、教養科目のレポートはネットで散見されるまとめ記事のようになってしまったり、過去問の流出が当たり前になったりするのではないでしょうか。日本の若者が戦争の恐ろしさを肌で感じていないように、大学1年生は教養科目の重要性を理解していないのですから。
皮肉なことに、教養科目で身に着けた「まとめ記事風レポート」や「過去問の有効活用」が2年生以降でも活用できてしまうんですよね。終いには学部必修の授業も教養科目の要領でこなしてしまう。恐ろしい話です。
「大学生活での勉強は役に立たない」といった極論も納得がいくかと思います。一つ目に「専門的な学習・新たな理論を発見するフェーズにまで到達する人は少ない為」、二つ目に、「勉強したことを何も覚えていないのが大学生な為」だからなのではないでしょうか?
「二兎追うものは一兎をも得ず」。「教養人」と「研究者」という2つの枠組みを4年間やそこらの年数で追うのは現実的には不可能だと思います。本質を見抜けない私たちはなぜか楽な大学のシステムに甘え、堕落の一途を辿るのみです。
大学受験生へ 教養人と研究者どっちが良い?
上記で述べましたが、大学のシステムは崩壊しています。今後さらに崩壊していくことでしょう。学生数が減っていき、大学の数は増えていく。最近では学費無償化などという話も出てきましたね。
ここからは妄想になります。このままでは日本の大学システムは金持ちの家庭のみが救われる最悪のシステムになります。
貨幣の価値が下がるように大学そのものの価値がなくなる。結果として就職で問われるのは大学内での生活ではなく、その人間そのものの質になるのではないでしょうか(今でも十分そうですがね)。
もしかすると、企業が運営する大学が誕生するかもしれないですよね。ソニー大学みたいな。中高一貫校のように、会社で有能な人材を作る為だけの大学が出てきてもおかしくないです。だって学費が無料になれば大学そのものの敷居は下がりますからね。通いたくなるような魅力を全面的に出す大学が出てきてもおかしくないです。
もしかすると、海外のように、ボランティアや企業をする為だけのツアーが一般化するかもしれないですね。大学に通う為の費用が下がれば自然とお金が余るわけですから(高所得者の場合です)。真の「教育格差」が生まれてもおかしくはないです。
だからこそ、受験生の皆さんには強く訴えたいです。
大学で何をしたいのですか?
呆然と4年間を過ごしても何も起こりません。大学は何もしてくれません。それなのに、就職では当たり前のように「大学生活で力を入れたことーガクチカ」を聞いてきます。
1・2年生は周りに流されるがままに遊び、3年生になってから就活へと急ハンドル。そんな演劇部のような生活をするためだけに大学に通うのですか?
違いますよね。
大学では4年間、「人生について考える」時間・空白の時間が生まれるんです。そこをいかにして充実させていくか。大まかなビジョンを立てた上で入学すれば、おのずと満足の行く学生生活を送ることができるはずです。
大学卒業後の方が人生は長いわけですから。受験生であったとしても、勉強だけをするのではなく、将来を華やかにするために何をすべきか一度は考えるべきだと思います。
おわりに より充実した大学生活を送るために
ざっくりにはなりますが、以上が自分が大学1年生を過ごして感じた大まかなことです。
分かっているとは思うのですが、「勉強しろ!」みたいな真面目なことだけを言いたいわけではないです。King Gnuの最新曲、「):阿修羅:(」を知っていますか?
遊ぶこと、人間関係を構築すること「も」、もちろん大切です。人間は1人では生きていけないですからね。将来より楽しい人生を過ごすためにも学生生活の意義を考えてみることは大切なのではないか、と思います。
自分がどんな意志をもって大学生活を過ごしているか気になる方はこちらの記事を是非お読みください。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。よろしければスキ・コメント・フォローよろしくお願い致します。励みになります。
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