偽善者の使い方が間違っている

本当の意味の偽善とは、その名の通り偽の善なわけで、善を嫌々やっているということだと思ってる。たとえるなら人当たりのいいレイプ犯である。

被災地に寄付をした有名人に対し「偽善」という人がいるが、あれは完全に善そのものだと思う。

その有名人の性格は知らないが、人より稼いでいるので、不幸にあった地域に多大な寄付ができる。その金は決して不当に手に入れたものではない。芸能人なら枕したかもしれないし、誰かを蹴落として勝ち上がってきたと思う。それは純粋な努力と競争だと思う。わずかな不正があってチャンスをつかんだとしても、それを生かせる強みと持続力があったということになる。だから寄付できるほどの金がある。

彼らは戦に勝ったから「善」を行う余裕があるのだ。

これを偽善と呼び寄付したことを悪いことのように言うのはただの「悪」だといえる。困っている人たちを助けるのを邪魔して、金の動きを止めることで経済も停滞させる。

日本を衰退させることを目的とした工作員でなく、日本国籍を持った日本人なら、ただの愚か者だとしか言えない。自分が被災者になると助けてもらえないし、寄付という富の再分配を拒否することで自分の暮らしも苦しくなる。

偽善者と叫ぶ人間はただ、自分が恵まれてないことによる嫉妬からただ不平不満を言いたいだけ。

知識がなくて、自分の行動がどうなるか想定できず、自分と他者を陥れる行為は無自覚の悪だ。無自覚なので自分のせいだとも思えない、また別の他者を責めて何かしらの害を撒く。

それが集団になるともはや災害。

災害を起こす無自覚な悪。「災悪」

なんかこれが言いたいだけみたいになってしまった。

いわゆる偽善という他者のために他者が喜ぶことをすると、最終的には自分が幸せになると思うんだけどな。人が喜ぶと気持ちいいし、それで金ももらえる。たぶんモテるし、信用される。人にやさしくすることは自分のためだから偽善だと思う。本当の意味の「偽善」は悪だけど、現代で一般的に使用されている偽善はいいことだと思う。

圧倒的勝者は人を陥れるサイコパスが多いってのも事実だけど、彼らには罪悪感がないし、人の気持ちがわからない。後悔や人を傷つけてしまったとか、思ったことがある人は偽善者になる方が絶対自分のためだと思ったってことです。

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