【限定3週間那覇で生きる】大好きな街での何でもない一日④
2023年10月、3週間那覇に滞在しました。
途中、南大東・北大東・座間味・久米島にそれぞれ3〜4日行ったのですが、こちらでは那覇滞在の部分だけを記していきます。
こちらのフォルダにまとめていますので、ぜひ他の日もお読みいただけますとうれしいです
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今朝も上階の方の足音で目が覚める。
今日も晴れ。夕べの雨は上がっていた。
ビルとビルの間から海が見える。
あれ?あんなマンションあったっけ??いや違う!!あれ、クルーズ船じゃん。
遠くからでもわかる、船にそのままホテルを乗せたような形。
残念ながらまだ乗ったことは無いけれど。
11時に友人が営む店でレイキを予約していたのでそれまではゴロゴロ過ごした。
歩いて友人の店へ。途中、とまりんを通り抜ける。ここからは座間味島や久米島など、離島を結ぶ船が出ている。
私は座間味島が大好きで年4回程訪れている。とまりんは楽しい旅の玄関口、だいすきスポットだ。
殆どの船が朝9時から10時にそれぞれの離島へ向けて出航するため、港はがらーんとしていた。
※ちなみに泊にあるから“とまりん”。駐車場から夕日が結構きれいに見られる
レイキをしてくれた友人とは、かれこれ10年来の付き合いだ。今は閉店してしまった那覇のとあるBARで出会い、何度か顔を合わせるうちに話すようになり、仲良くなった。
友人はこの春、念願の店舗を構えた。パワーストーンを扱い、レイキも行っている。
物音や人の醸し出すものに過敏で心身ともにへたりやすい私にとって、気を整えてくれるレイキは強い味方。
施術が終って、お茶を頂いていると「綱引き行くの?」と聞かれた。今日は那覇の大綱曳がある。
那覇の大綱曳はすごい。その長さ200m、重さは40tだ。ギネス記録を持っている。
県内一大きい国道58号線をダーンと通行止めにしてビルの柱ですか?ってくらい太く編まれた綱を挽くのだ。太く編まれた綱からは、それでも両手で掴まなくてはならない細めの綱が無数に出ていてそれをみんなで引っ張る。
誰でも参加OKなのだが、人混みが苦手なのであまり気が進まなかった。
これからシンポジウム聞きに行くから………と言葉を濁す。友人は“もし行ったら綱もらってきて。縁起がいいから。カッター持ってくといいよ”と教えてくれた。
シンポジウムは「琉球の海倭寇の海」というタイトルで、研究者の方が4名講演された。なかでも琉球の海の港と航路という講演に興味を引かれた。
那覇港は周辺を珊瑚礁が囲むため、船の往来が難しく倭寇が攻め入りづらかったことや、梅毒が日本に持ち込まれたのは琉球からで、当時“琉球瘡”と呼ばれていたことなどを学んだ。
そういえば新型コロナの際に大騒ぎとなった某クルーズ船も、横浜港へ辿り着く前に那覇港へ寄港していて、その際に乗船客を乗せたタクシードライバーや接客をした土産ショップの店員が県内初でコロナ感染したなと思い出す。
シンポジウムを聞き終えて一旦宿へ。大綱曳に向けて上空をヘリコプターが飛び交い、県庁方面からは何かアナウンスが聞こえてくる。
意を決して大綱曳を見に行くことにした。
県庁方面に向けて歩き始める。いつもは車やバスが行き交う国道58線も既に通行止め。人と重機で賑わっていた。各“字”のものだろうか、旗頭もずらりと並び壮観だ。
綱引きは既に始まっていた。老若男女、国籍問わずみんな顔を真っ赤にして綱を挽いている。潰されそうになりながらちびっ子も必死。
ひと目見てみようと、綱の近くへ近くへと移動してみる。これは東京のラッシュも顔負けだ。ちょうど目の前にいたグループが「もうダメ。お姉さんがんばって」と私に綱を譲り去っていった。
運動会以来、とてつもない綱引きに参加してしまった。
あっという間に全身汗だく!キツイ!!
何度も止めようと思ったが、合図に合わせて綱を引くと自分たちの方に来るのが楽しくてやめられなかった。最後の方はぐんぐんこちらの方に綱が引っ張られて東町の勝利!
勝利を祝い合ったのも束の間、一斉にあちこちで糸鋸やナイフを取り出して綱を切り始める。
みんなこんな刃物を持って綱を引いてたんだと思うとちょっと恐怖ね。
友人のアドバイスを聞かず手ぶらで来た私に米軍の方が綱を切ってくれた。友人の分と3本手に入れることができた。
夕飯は友人達と北谷の凡蔵へ。いつもと変わらぬユーモア爆発のマスター&おいしい料理で楽しい夜を過ごした。
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