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「イジリ」と「イジメ」は紙一重!正しくイジるためのたった1つの心がけ

「イジリ」は相手を立てるため、「イジメ」は自分を立てるため


「イジリ」と「イジメ」、違いはたった一文字なのに、その意味にも、それがもたらす結果にも、大きすぎる違いが生まれます。

何が違うのか?

「イジリ」は相手を立てるため
「イジメ」は自分を立てるため

これに尽きると思うのです。

でも最近は、この二つがごちゃ混ぜに使われているように感じます。無邪気に誰かを傷つけてしまうという悲しい事故が、そこかしこで起きています。そして私も、よく事故を起こします。

そんな意図せぬ事故が少しでも減るようにと願って、私が考える、そのために必要なたった1つの大切な心がけについて書いていきます。

わたしの失敗例


研修ファシリテーターとしても、家庭でも、私はたくさん失敗してしまいます。「イジリ」のつもりが、相手を不快にさせたり、ときには怒らせることすらあるのです。

原因は明白。失敗するのはいつも、「相手をネタに、自分のために笑いを取りにいく」とき。

最近も、研修の冒頭の硬い雰囲気を和ませようとして、参加者の発言に対してちょっとだけきついツッコミを入れました。すると、どうなったでしょう。

会場には苦笑が漏れ、ツッコまれた参加者本人は口をつぐんでしまいました。失敗に気づき焦った私は、一日かけて埋め合わせを試みましたが、最後まで参加者の心の窓が私に対して開かれることはありませんでした。

とても申し訳なく、とても後悔しています。

それが「イジリ」ではなく「イジメ」だったと言われても、何も言い返すことはできません。私は、私のために相手をネタにし、結果として相手を傷つけてしまったのでした。

「イジリ」には「相手を立たせたい」という心からの思いやりが必要


「イジリ」には、「この人を何とか引き立てたい」「この人の埋もれた価値をみんなに知らせたい」という、心からの思いやりが必要です。

そこには、自分がウケたいという思いは、みじんもありません。

「相手を引き立てよう」というたったひとつの心がけを持つだけで、言葉選びが優しくなり、声のトーンに温かみが宿り、イジる側にもイジられる側にも、笑顔が生まれます。

イジるべきは、短所ではなく長所


イジるネタにも注意が必要です。

よくある間違いは、相手の「短所」をネタにしてしまうということ。それが身体的なことであれ、性格的なことであれ、何であれ、です。

「短所」をネタにすると、相手にとって一生忘れられない傷や、取り返しのつかない関係性へのヒビを作ってしまいかねません。

そんな仕打ちに笑顔で耐えられるのは、「短所」を商売道具にしているお笑い芸人の方くらい。

イジるべきは、相手の「長所」だと思うのです。例えば、こんな感じで。

  • 「ちょっと皆さん、今の●●さんの発言、カッコ良すぎません??」

  • 「●●さん、また出番ですよ。困った時の●●さんですからね!」

  • 「皆さん、●●さんの笑顔を見ると癒されません?ずっと見ていたくなりますね〜」

そうすると、その空間に幸せな雰囲気と一体感が生まれます。

ついでに、最近流行りの「心理的安全性」が高まり、発言するハードルがどんどん下がっていくのを実感します。

まとめ


いかがでしたでしょうか。
誰かネタにして笑いを取りたいと思ったら、ちょっとだけ立ち止まり、それが相手のためなのか、はたまた自分のためなのかを考えてみる、というお話でした。お役に立てていれば嬉しいです。

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