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犬は素直

昔、実家でハスキー犬を飼っていた。

わたしが幼稚園に通い始めたくらいの頃に
父親が急に連れて帰ってきた。

家に来た時はまだ子犬で
とても小さかったけれど
わたしも同じく子供で小さかったからか
初めて会った時は、少し怖かった。

母親は、「かわいいかわいい」と言って
子犬の頃は四六時中抱っこしていた。

けれどわたしはその子犬を見て、
かわいいというよりも
なんか、たぶん、「ちっちゃいオオカミ、、、」
みたいなことを思っていて、、、

ハスキー犬だから、子犬でも
顔つきが凛々しかったせいも
あるかもしれないけれど、
母親に手伝ってもらいながら
恐る恐る抱っこした記憶が、うっすらとある。

もしかすると子供の頃は、
犬のことを今よりももっと対等で、
「自分と違う種類の動物」として
認識していたのかもしれない。

ハリーと名付けられたその犬は
(当時父親が好きだった海外の俳優の名前からとったらしい)

飼い主に似たのか、
元々の性格なのかわからないけれど
見た目と違って、ずいぶんぼーっとした犬だった。

子犬の頃、ベランダの冊子の隙間に
首を突っ込んで抜けなくなったり、

首輪に繋いでいるリードが
自分の足に絡まってとれなくなったり・・・

おっちょこちょいというか何というか、
わりとどんくさい犬だった。

そんなハリーが、わたしが小学校低学年くらい頃に
父親との散歩中に足を怪我して帰ってきたことがあった。

父親曰く、いつもみたいにリードを離したら
走って川飛び込んで、
気持ちよさそうに犬かきしてるなー思たら
数分後に足ひきづって帰ってきた、とのこと。

見たら肉球のあたりが切れて血が出ていた。

見ているこっちが痛くなってきて
痛くないん?と聞いてみたが、
ハリーはいつもと変わらず
ぼーっとした表情で舌をだしていた。

怪我の状態はよくわからなかったけれど
その様子に、なんだか少し安心したのを覚えている。

すぐに、父親の運転する車で
動物病院に連れて行くと
結局数針縫うことになった。

ものの数分で治療は終わり、
包帯で足をぐるぐる巻きにされたハリーが
父親に抱っこされて治療室から出てきた。

その様子を見た瞬間、
なぜかわたしは急に泣き始めてしまった。

今になって思うと、
わたしもまだ幼かったからか、
いつも元気な大きな犬が
大きな父親に抱っこされている姿を見て

「身近な存在が怪我をした」という現実に
実感が湧いて怖くなったのかもしれない。

そんなわたしを見た父親は
「なんでお前が泣くねん、お前は痛ないやろ」
と言って大笑いしていたが、

父親に泣いている理由を説明できない自分も
かと言って泣きやむことが出来ない自分も
嫌で、恥ずかしくて、
ますます大泣きしてしまった。

そうこうしていると
そんな一部始終を見ていた獣医さんが、
父親と同じように笑いながら
わたしのところにやってきた。

「心配せんでもすぐ治るよ、犬は素直やから」。

意味がわからずポカンとしているわたしに
「犬はお姉ちゃんみたいに
色々考えへんから、すぐ治る」と続けた。

確かに、自分はちょっと体調が悪くなっただけでも
色々考える。

「しんどい、明日仕事どうしよ、
治るまで何日かかる?
症状がひどくならないといいな、
何でこうなったんだろう、、、」
とか何とか、考えても仕方のないことを考える。

もちろん考えたくて考えているわけじゃなく
起こった出来事に付随して、
勝手に不安や反省に意識が向いていく。

自動的に思考が働く。

当時は獣医さんの言った言葉の意味も
わからなかったし
そもそもそんな出来事を
長い間思い出すこともなかった。

けれどふと思い出すことができて、

とても大切な話を、正しくやさしく
教えてくれた大人がいたんだなぁ、と思って
うれしくなった。

ハリーは先生の言った通り、
あっという間に良くなって
あっという間に、また川に飛び込むようになった。

怪我をしたあの日、
ハリーが何を考えていたのかはわからない。

「痛かった、足に何か巻かれた、
お腹すいた、早く川入りたい」
くらいのことを思っていたのかもしれない。

わからないけれど、
すぐに元気になってくれてよかった。



ハリーが死んで随分と経つ。

たまに思い出すのは

あの、ぼーっとした表情と
冬に積もった雪の上を全速力で走っている姿。

寒い地域の犬だからか、本能なのか
雪を見ると、周りのことはお構いなしで
本当にびっくりするくらいのスピードで走りだす。

その様子を思い出すたび
やっぱり犬は「最高にかっこいい動物だ」と思うのだ。


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