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「上手い」と「速い」と「沢山できる」

最近慣れていないお仕事が続いています。初めてやることもたくさん。

慣れていないので、そもそも、上手くできなくて普通。速くできなくて普通。たくさんできなくて普通。

なんですが、「旨い! 速い! 安い!」みたいな類の言葉が、まるで正義のように出回ってるもので、完全に自分のハンドル握れていませんでした。
自分のハンドル握れてないと、何が起こるかと言うと、イライラ、モヤモヤ…不安が募ります。

みなさんも子どもの頃に経験あると思います。

図画工作の時間に、上手にできた子が先生に褒められるやつ
「すごいね~ 上手にできたね~」

体育の時間に、走るの速い子が1等賞とれるやつ
「速いね~ すごいね~」

算数の時間に時間図って、何問とけるか競うやつ
あと、家庭科の時間に1分できゅうりの輪切り(3㎜以内)を何枚切れるかもやりました
「たくさん解けたね~(切れたね~) すごいね~」

その対象の外にいることが多かった私は、その人たちが羨ましくて、必死になって計算の練習をしたことがありました。芸術と運動のセンスは磨けなかったです。

大人になった今、「どこと比べて…」という基準は自分が決めるということを知りました。それにも拘らず、「上手い」「速い」「たくさんできる」が正しい、という思い込みが時折邪魔をします。

私も含め、今の自分に目を向けることをすっ飛ばして、つい大きく、遠く、華やかな世界を見て、自分責めが始まる女性は多いような気がします。特にSNSは無意識にそれを感じやすい。

それも波のうちなので、理想に届かない自分も「大丈夫、大丈夫。まだ道半ば、全て順調」と、自分を信じて、自分のやりたいことにまっすぐでいることは、とても大切なように思います。「自分と自分がいる環境」を受け入れる力。

「上手い」「速い」「たくさんできる」は素晴らしいです。けれど、自分についての「上手い」「速い」「たくさんできる」の基準はいつも自分自身に置いておきたいものです。

そうすることで、また一歩前に踏み出せるような気がします。

ではまた♡




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