はじめて路上ライブをした18歳の話。
おはようございます。
昨日は、オンライン合奏プロジェクト『MUSICING』の仲間たちとZOOM飲み会をしていました。
サロンメンバーや音大生たちで立ちあげたプロジェクトです。
いま、1曲目の作品をみんなで作っています!
(↑若者みんなで、いまだからできる音楽を作ってます!よければグループに入って応援してくださるとうれしいです!!)
さて、昨日は『音楽をやりたいと思った14歳の話』ということで、生まれてはじめてコンサートに行って、歌手になりたいと思った時の話を書きました。
たくさんの方から、共感・応援のコメントをいただけてうれしかったです。ありがとうございます!!
今日はその続きとして、『はじめて路上ライブをした18歳の話』を書いてみようかなと思います。
ちょっとだけ、時間が進みます。
高校にあがる頃には音楽をやりたいなと思っていたけれど、スポーツもやっぱり好きで、部活は結局、バドミントン部へ。
ただ、高校に上がると同時に、念願のアコースティックギターを買ってもらって、ギターのレッスンにも通うようになりました。
(ちなみにそのギターは今も朝配信でずーっと使ってるやつです)
そうして、弾き語りを練習しながら、ちょくちょく地元のイベントのステージに出たり、文化祭に出たりしていました。
でも、進学校だったし、大学にも行きたかったので、勉強もそれなりにがんばっていて、高校の頃は『音楽活動』と呼べるようなことはしていませんでした。
むしろ「大学生になったら思いっきりやろう!」と思って、高校生のうちにできることを全力でがんばっていた。
そして、なんとか受験勉強も乗り切り、無事第一志望の『大阪大学人間科学部』に入ることができました。
この『人間科学部』というのも、今わたしが通っている『東京大学 多文化共生・統合人間学コース』と同じくらい『謎組織』なんですが、ひと言でいうと、『人間』に関するあらゆる学問をやるところ。
リベラルアーツとも言えるかも。
行動学、教育学、哲学、社会学、人類学、心理学など、なんでもありの場所でした。
今振り返ってみると、もともと音楽それ自体よりも、音楽を通してみる『文化』や『人』に興味があったわたしにとって、ぴったりの学部だったと思います。
そして、そんなこんなで大学生活がスタートした4月のある日、「路上ライブをしてみよう!」と思い立ちます。
もともといきものがかりさんが好きで歌いはじめたし、なんとなくライブ配信や、音源をネットにアップするよりも、オフラインで人前で歌うことに憧れを持っていたので、「路上ライブはしてみたいなあ」と、ずっと思っていました。
ただ、すぐには勇気が出なくて、「どうしようかなあ」と思っていたけれど、ある日、「とりあえずやらなはじまらんな」と思い、ギターと譜面たてと、画用紙に手書きで書いた「まあやです」というポスターをかついで、神戸三宮駅に行きます。
どこでどんな風にやるのかも分からず、とりあえず人がたくさんいそうなセンター街の入り口に荷物をおろして、街ゆく人を眺めていた。
そして、思い切って譜面を立てて、ギターケースからギターを出して。
『気まぐれロマンティック』だったか、『ありがとう』だったか忘れてしまったけれど、よく歌っていて、有名そうな曲を歌いました。
もちろん誰も止まってくれるはずもなく、数秒こちらに目をやって、目の前を人が通り過ぎるたび、どきどきしたのを今でも覚えています。
そうして、見様見真似で『路上ライブ』っぽいことをしていると、アーティストらしき人たちと、そのファンらしき人たちがやってきました。
あとから聞いた話によると、そのアーティストさんは、その日、センター街の入り口で路上ライブをやられることを前から告知されていたそうです。
そのアーティストさんや、ファンの方達からすると、「ライブのつもりできたら、見たことない女の子がなんか歌ってる」という感じだったんだと思います(笑)
わたしは、そんなこと事情も知らず、挨拶に行くという礼儀も知らず、1人でガンガン歌っていました。
そうすると、そのアーティストさん(優しいお兄ちゃん)が話しかけてくれて、「僕たちもここで歌いたいんだけど、いい?」「もしよかったら、マイクとかアンプとか揃ってるから、一緒に交互で歌わない?」と言ってくれました。
いま思うと、素人感満載のよくわからない女の子に、よく一緒にやろうと言ってくれたなと思います(笑)
でも、そのあとも、そのアーティストさんたちには何度もお世話になって、あそこでは、新参者でも優しく受け入れてくれるような、あったかいコミュニティができていました。
そうして、その日は初めてにもかかわらず、立派な機材まで使わせてもらって、たくさんの方に歌を聴いてもらえて、とっても楽しい路上ライブデビューになりました。(自分の声が駅前に響き渡ったときの感動は今でも覚えている!)
また、ファンの方の中には、「もう10年以上、いろんなアーティストを応援している!」みたいなベテランの方もいて、交互に歌う合間の時間に、「こんなものを持っておいた方がいい」「こういう時は、ここに立った方がいい」「この時間帯はこういう人がよく来るよ」など、『路上ライブの知恵』みたいなものをたくさん教えていただきました。
「今まで歩行者として通り過ぎていた時は気がつかなかったけど、路上にはこんな世界が広がっていたんだ」
「めっちゃおもろい」
そこから、毎週金曜日のよる19時から、駅前で歌うことにしました。
そっと飲み物をおいていってくれる人がいたり、
窓の中からいつも見てくれている人がいたり、
鯛焼き買ってきてくれるおばちゃんがいたり、
いつの間にか一緒にチラシ配ってくれる人がいたり、
雨が降ったらファンの方に荷物を持ってもらって、一緒に屋根のある場所を探したり、
酔っ払いのおじちゃんに絡まれたり、
注意しにきた警察の人と仲良くなったり(笑)
本当に『路上』でいろんな出会いがありました。
路上ライブは2年くらいでやめてしまったけれど、毎週10キロくらいあるアンプをひいて電車に乗って、路上でお客さんひとりひとりと話して。
そうやって、自分で『場所』を作っていった感覚は、今でも大切な根っこになっています。
今は、たくさんの人に言葉が届く環境にいさせてもらっているけれど、誰にもふりむいてもらえなくて、折れそうになる気持ちとか、たった1人が立ち止まってくれるだけで、とってもうれしかったあの気持ちは、忘れないようにしたいなあと思います。
そして、『広場』のデザインとか、『まちづくり』とか、今のいろんな関心は、この路上ライブからつながっているんだと思う。
今日は、そんな思い出話を書いてみました。
読んでいただき、ありがとうございました^^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?