マイナスな世界を一変させる、ちいさな魔法
わたしの名前は、政耶(まや)。
女性らしくやわらかな響きとは対照的に、その綴りは男らしく勇ましい。
きっとこれは、祖父から譲り受けた『政』の字のせいだと思う。
*
小学生のころ、この「漢字」が大嫌いだった。
新学期になると「マサヤくん」と間違えられたり「ええっと…なんて読むの?」という展開はオハコ。それに加えて、クラスの男の子からは「お前の名前、男みたい!」と、よくからかわれた。
まやという「響き」は好きだけど、とにかく「漢字」は大嫌い。
祖母の字をもらった姉はかわいい漢字なのに、なんでひとつ下の私は男みたいな名前なんだ?
麻耶とか茉耶とか、もっとかわいい字がよかったよ…なんて、ちょっぴり祖父を憎んだ。(ごめんね)
こんな言葉を聞いたことがあるけれど、まさにそうだと思う。
だって自分の「名前」をバカにされると、「自分自身」を否定された気分になってしまうから。
名前を読み間違えられたり、からかわれたり…。そんな一瞬の積み重ねが、小さなわたしにとっては大きなコンプレックスだった。
さすがに大人になった今は、漢字でメソメソすることはない。…というより最近は「政耶」と名乗ることがなくなった。
わたしは今、東南アジアのベトナムに住んでいる。だから「政耶」というより「Maya」だ。
ローマ字なら、漢字みたいに読み間違えられることはない。漢字にコンプレックスを抱えていたわたしからすると、この体験は想像以上にストレスフリーだった。
それゆえZoomもFacebookもなにもかもMayaへと変更し、いつの間にか「政耶」と名乗ることはなくなっていった。
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そんな中、ある一冊の本と出会った。
コピーライターである阿部広太郎さんの新刊、「それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習」だ。
この本には、世の中で起こっている事象への「解釈」を広げ、だれかの正解にしばられない生き方のヒントが数多く書かれている。
この本の第一章は、自分編。自分の「名前」を解釈するためのワークが紹介されていた。
受け取った名前の解釈を広げて、自分なりに意志を見出す。そうすることで、ただの名前が唯一無二のキャッチコピーへと変化する…とのこと。
(政耶なんて名乗ること無くなったけど、やってみるか…。)
本に流されるように、このワークをはじめてみた。
調べてみると、自分の知らないおもしろい一面がわかった。
「政」は、政治、政府など社会的な言葉として使われている。
その起源をさかのぼると「自ら棍棒(こんぼう)を用いて他人を既定の目標に向かわせること」だった。なんともイカツイ漢字だこと。
しかしその意味を、そのまま受け止める必要はない。
だからわたしは「政」の字には、次のような意味があると解釈した。
解釈ひとつで、受け取る印象が大きく変わる。
つまり解釈で、マイナスな事象もプラスへと変換できるということだ。
どうしても好きになれなかった、わたしの名前。それはきっと解釈を誤っていたのかもしれない。
先ほどのワークを続け、わたしは自分の名前をこのように解釈した。
この本を読んで、思った。
解釈とは、「願い」だ。
その物事の事象を知り、自分なりの「願い」を込めることで、マイナスだった世界が一変する。
周囲の価値観や世間の一般論なんか、どうだっていい。
大切なのは、自分がどうありたいかなんだ。
わたしは政耶という名に、「順位や優劣よりも自分の意思を大切にする」という解釈をした。
これには自分が「そうなりたい」という願いが込められている。
長らく避けていた、政耶という漢字。
政耶という名前にふさわしい人生を、わたしは謳歌したい。
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