見出し画像

沖縄いち巨大で、沖縄いち有名で、沖縄いちお手軽な廃墟は中城に。~中城高原ホテル~

※2020年から取り壊しが始まり、2020年3月現在で、ほぼ何もなくなってしまいました。

(あくまで自己責任ということでご覧ください)

前回ご紹介した中城城を奥の方に歩いて行くと、だんだんと鉄筋コンクリートの構造物が見えてきます。実は沖縄好きの人からするとけっこう有名な廃墟なのですが、あまりにあっさりとその姿を表わすので最初に訪れたときは本当に驚きました。

このホテルは「中城高原ホテル」という名前で、海洋博(1975年)の観光客を目当てに計画されたホテルでした。後に世界遺産となる中城城に隣接するとあって開発会社側と地元民側で相当な交渉が行われたようなのですが、結果、計画をすすめることに決定しました。そんな経緯があったにも関わらず開発会社が倒産したことにより計画は頓挫。内装工事を待つばかりといった状態で、そのまま放り出されれることになりました。

画像1

普通、廃墟ってそれなりに奥まったところ、草むらをかき分けると出現といったイメージですが、ここのはキレイに整備された中城城公園のすぐ先にあります。この写真でも右下はきちんと舗装されていてその先にあることがわかるかと思います。

画像2

最初にいったときは近づくのも少し怖く、何よりそんなに近づけないのではと思い外観の写真だけとって引き返しましたが、2回めに行ったときは「どこまでいけるのだろう」と近くまで寄ってみました。すると、看板は立っているものの特に「通行禁止」といった感はなく、どんどんと中に入っていくことができました。

画像3

舗装された道(崩れているところもあるけど)を挟んで、左側がどうもメインの建物、右側が宿泊棟といった風情です。建物の周りはご覧のとおり草木が生い茂っており、建物にはいたるところに落書きがされています。(なかに入るのは本当に危険だと思うのでお気をつけ下さい)

画像4

少し歩いて行くと左の棟と右の棟を結ぶ渡り廊下がでてきます。山の稜線をうまく使ったおもしろいプランになっているようです。

画像5

ここはきっとメインエントランスになるはずだったのでしょうが、シャッターは下ろされたまま。

画像6

道沿いにおおよそ100mくらいでしょうか。建物は続いてきます。

ちなみにこのホテルを計画した人は高良一(たからはじめ)という人。この人は戦後沖縄初の映画館「国際館」を開いた人で、その国際館があったことからその通りが国際通りと名付けられました。かれは米軍とも懇意にし、銀行を開いたり、市議会議員、市議会議長を努めるなど戦後沖縄をリードしましたが、この計画は見事な失敗になった模様。

画像7

なお、この道は「ハンタ道」という古道の一部となっており、特に通行禁止とはなっていません。(でも、中にはいるのはやめましょう)

画像8

中を除くと調理器具か冷蔵庫のようなものの残骸があります。オープン準備で持ち込まれたものなのか、あるいは廃棄された粗大ごみなのか。

画像9

鉄筋コンクリートが組まれただけのところもあれば、場所によっては家具も入っているところもあります。ここはちゃんとしたしつらえまで仕上げた後に放置された場所かと思われます。

画像10

建物の中の巨大な岩。どこかから持ってきたのではなく、もともとあったものを活かしたような作りです。木材は誰かが持ってきたものなのか、周りの建築材が風邪などで集まってきたものなのかこれまた不明。

画像11

そして、このスポットは外人にも大人気ということでいたるところにアメリカ~ンな落書きが書かれています。

画像12

バーになるはずだったんでしょうか。カウンターももうグズグズになっています。

画像13

いつも不思議なのは、なんで落書きを書く人はこういう高いところ、危険なところまで落書きを書くのでしょうか。。。

画像14

もう40年以上も放置されている中城ホテルですが、さすがにそろそろ取り壊しという話も出てきているそうです。廃墟好きでもなければワザワザ行く必要はないかもしれませんが、なにせ素晴らしい史跡である中城城の隣(徒歩2,3分)にありますので、せっかく中城のキャンプに来たのならついでに寄られるといかがでしょう。ただし、なかに入るのは危険ですよ。


しがない(ほぼ)無職の中年ですが、サポートしていただけたら喜びます。