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【映画評】 ダニエル・シュミット『書かれた顔』 24回の嘘と1回の真実

ダニエル・シュミット『書かれた顔』(1995)

わたしが見たのは、4Kレストア版である。

歌舞伎における女形という特異なジェンダーを通し、ドキュメンタリーとフィクションを交差しながら、虚実(境界の曖昧さ)を幻想的に描いた作品である。
出演:坂東玉三郎、武原はん、杉村春子、大野一雄、蔦清小松朝じ、坂東彌十郎、宍戸開、永澤俊矢。

「書かれた顔(visage écrit)」の意味とは、化粧により作られた歌舞伎役者の顔、つまり顔を描くという即物的意味があるのだが、それ以上に、男が女を演じるということ、女形の意味もあるのだろう。主演の坂東玉三郎が本作でいみじくも語るように、女を演じているけれど、「女の目で世の中を見たことはない」「自分の目はいつも男だった」ことに、ダニエル・シュミット監督も気づいている。つまり、玉三郎は女になるのではなく、どこまでも男であるということであり、女という記号を纏うのである。これは、女を「表象」するのではなく、女を「意味する」のだというロラン・バルトの言説に通じる。舞踏家の大野一雄も化粧を施し、女装としての記号を舞う。ダニエル・シュミットは、そのことを、「書かれた顔」(ロラン・バルト『記号の国』の用語)と表現したに違いない。

本作では3人の女性が出演している。日本舞踊の武原はん、俳優の杉村春子、東京柳橋芸者の蔦清小松朝じ。
その中で、玉三郎が先生と仰ぐ杉村春子がとりわけ印象的だった。杉村春子の代表作といってもいい成瀬巳喜男『晩菊』(1954)のシーンが挿入され、俳優としての杉村の仕草の素晴らしさに改めて感動させる映像の引用であった。玉三郎が述べた「ある空間が与えられたとき、そこにいるだけでその空間を別な空間に変容させる力をもった人たちが俳優なんだ」とは、まさに杉村春子のことである。また、本作の劇中劇『黄昏芸者情話(ゲイシャ・トワイライト・ストーリー)』の「トワイライト」。これは本作のサブタイトルでもあると思うのだが、杉村春子が舞台袖に引き上げるとき、一瞬後ろを振り返える仕草の魅力、これがトワイライトの美しさなのだと思った。
武原はん、杉村春子、蔦清小松朝じの出演を要請したのは、監督と玉三郎との対話からなのだろうか。また、本作は35ミリフィルムで撮られているのだが、玉三郎は1950年生まれだから、本作の製作年である1995年は40代半ば。脂の乗り切った時代をフィルムに収めておきたいということが、玉三郎が出演を承諾した理由の一つなのかもしれない。もちろん、監督がダニエル・シュミットであり、撮影監督がレナート・ベルタだからこその承諾もあるだろう。なぜなら、二人はフィルムの魔術師でもあるのだから。

撮影監督のレナート・ベルタ。実は、わたしがダニエル・シュミット監督の名を知ったのは、レナート・ベルタが撮影監督をした作品がまとめて上映された「レナート・ベルタ映画祭」(アテネ・フランセシネマテークで開催)のときである。そのときに見たダニエル・シュミット監督作品は『今宵かぎりは』(1972)『ラ・パロマ』(1974)だったと思う。わたしは彼ら二人が作り出す耽美的映像世界に溺れてしまった。

『はだかのゆめ』(2022)の監督であり、ミュージシャンの甫木元空(ほきもとそら)が本作を学生時代に鑑賞したそうで、そのときの印象を述べている。興味深い印象なので、本作理解の補足として、部分的に引用したい。

「嘘に開き直ったドキュメンタリー」「映し出されるすべての動作がアクションのようであり踊りのようであり、それらの動作をまるで一筆書きのようにつなげるだけで映画って成立するのだと、衝撃を受けた」。

この中で、「嘘に開き直った」「動作」「一筆書き」という用語が興味深い。映画とは動作のカットという時間の切断と「一筆書き」のような時間の持続で成り立つ「嘘」であることを、彼は本作から読みとっており、さすが学生時代の甫木本空監督である。わたしは彼の言葉を拾い読みしながら、「一筆書き」と「嘘」をメビウスの帯で展開したら面白いだろうと思った。帯上に鉛筆を滑らすうちに、いつの間にか表でも裏でもない表面上の地点、しかも、それが元の地点であるのかそうでないのか誰も見定めることのできない地点にたどり着く。そのとき、1秒間に24回の嘘の中に(注*)、ある種の開き直りともいえいる1回の真実が現れてくるに違いないだろう。『書かれた顔』はそんなことを教えてくれる作品なのである。

(注*)映画は1秒間に24コマの画で構成され、その光の瞬きが残像となり連続イメージを形成する。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督は、その中に1回の真実があると述べている。ファスビンダーは『第三世代』(79)において、出演者に次の台詞を喋らせている。「映画は1秒間に25回の嘘。真実は嘘の中にある」。「1秒間に25回」というのはファスビンダーの謎なのだが、1秒間24コマの中に1コマの真実を立ち現せることで「1秒間に25回」としたのかもしれない。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ダニエル・シュミット『書かれた顔』予告編


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