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【映画評】 セルゲイ・ロズニツァ『粛清裁判』『国葬』『新生ロシア1991』

1964年ベラルーシ生まれ、ウクライナで育ったセルゲイ・ロズニツァ監督による『粛清裁判』(2018)
本作は、スターリンによって行われた「産業党裁判」(1930.11.25〜1930.12.7)の記録映画を基に製作したドキュメンタリー映画である。

「産業党裁判」とは、1930年のモスクワで、ソビエトの著名な工学者たちのグループが西側諸国と結託し、ソビエトの工業と運輸を破壊しようと企てた容疑で行われた裁判である。一部の被告は大粛清の犠牲となったのだが、今日ではスターリン体制下のでっち上げであったことが判明し、「見せしめ裁判」と名づけられている。

本作のフッテージとなるフィルムは、ポセリフスキーなる監督が法廷の様子を撮ったプロパガンダ映画『13日』(1930)(13日とは裁判に日数)である。アーカイブ映像として発見された映画『13日』には、冤罪である裁判の被告人たちと、彼らを裁く権力側の大胆不敵な姿が記録されていた。

反革命の陰謀を図ったとして裁かれるエリート技術者たち。彼らは、身に覚えのない罪を着せられ、法廷に引き摺り出され、我が身を守るために虚偽の陳述と反省を口にしなければならなかった。それだけではない。映画『13日』には、実際の裁判の様子にとどまらず、映画として撮られた裁判の、被告人たちの再現映像が記録されている。つまり、スターリン体制下の指示のもとに自己を演じる被告人の、残酷でしかない映像である。

映像として呈示されるのは四種類の人間の姿である。
〈被告〉、〈裁く者〉、〈裁判に集まった人々〉、そして、「反革命分子に死を!」と叫びデモ行進する〈群衆〉。
裁判の三種類の人間〈被告〉〈裁く者〉〈裁判に集まった人々〉は映画『13日』の再編集であり、デモの〈群衆〉は別のアーカイブ・フッテージからの挿入である。

『粛清裁判』にとどまらず、同監督によるスターリンの葬儀を描いた『国葬』(2019)の興味深さは、監督の同時代人によるのではなく、アーカイブ・フッテージによる、モニター上での編集映画ということである。『国葬』のフッテージ・フィルムは、1950年に撮られたものである。

1953年3月5日。スターリンの死がソビエト全土に報じられ、同時代の200名弱のカメラマンが葬儀や民衆の様子(スターリン体制指導下の民衆の悲しむ演技を含む)を撮影。その大量のフィルムがリトアニアで発見され、編集したのが『国葬』である。

セルゲイ・ロズニツァ監督作品の特徴、それは、歴史は既に撮られており、現在を生きる者は、四角いモニター上で歴史(=物語)の再編集をおこなっているのだということだ。そのことで、見えなかった事象が見える事象となる。つまり、歴史は、再編集によって顕になり、「可視化」されるのだということだ。

セルゲイ・ロズニツァ監督作品による歴史の「可視化」が明らかにするのも、それは、全体主義は、民衆の高揚があってはじめて成り立つということである。狂人的な指導者が現れ民衆は陶酔し〈群衆〉となる。いわゆる「ファシズムと陶酔」である。だが、その狂人は突如として誕生するのではない。ゆっくりと、民衆が思考することを忘れ、あるいは社会状況に思考が麻痺し、それは気づかぬように民衆を熱狂の渦に巻き込み、知らぬうちに、民衆は〈群衆〉と成すのである。

粛清裁判は、群衆と粛清する者らとの陶酔の劇場である。舞台には粛清される者たちと粛清する者らがいる。台本は既に書かれており、粛清する者らの思惟通りに舞台が進行することで、群衆は拍手喝采し、お互いに顔を見合わせ了解する。だが、粛清する者らも群衆も、粛清の正当性、全体主義の普遍性を信じているのだが、時代が変わることで、その普遍性に揺らぎが生じ、粛清する者らが粛清される者に変わるということをやがて知ることになる。つまり、粛清〈する/される〉者の関係の危うさを知ることになるのだ。

本作品から思うこと、それは粛清というファシズムの自動システムの恐ろしさのみではなく、残されたフィルムの膨大さである。量としての膨大さが、ファシズムの大きさ、つまり、その正統性(=普遍性)である。だが、残されたことで参照、継承され、そして解釈され、批判されるという反語となる。

歴史とは、資料としてのフッテージを残すのか、それとも改竄・消滅させるのかの恣意と闘争であるともいえる。残されたものがなければ歴史は消滅する。

(補)

1991年8月19日。ゴルバチョフ大統領が進めるペレストロイカに反対する「国家非常事態委員会」を称する共産党保守派が大統領を軟禁し軍事クーデター(「ソ連8月クーデター」)を宣言した。このクーデターはウラジミール・クリュチコフKGB議長が計画したのだが、陸軍最精鋭舞台と空軍の参加が得られず、また、モスクワ市民が銃や火炎瓶で反撃したこともあり失敗に終わった。テレビはニュース速報の代わりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を全土に流し、モスクワで起きた緊急事態にレニングラードは困惑した市民で溢れかえった。

セルゲイ・ロズニツァ監督『新生ロシア1991』(2015)は、1991年、レニングラードの広場で撮影されたフッテージ・フィルムを再編集・構成したドキュメンタリー映画である。

『新生ロシア1991』(2015)を見て思うのは、やはりロズニツァは〈群衆〉の作家であるということだ。レニングラード・ドキュメンタリー映画スタジオの8人のカメラマンはレニングラードの広場に入り、クーデターの行方に一喜一憂し反クーデター行動をとる市民を撮ったのだから、〈群衆〉は必然なのかもしれない。だが、演台に立ち市民に呼びかける政治家、学者、宗教家がいたに違いないし、それを捉えたフィルムも膨大な量になっていただろう。それらを編集すれば、特定の人物にフレームアップした劇的なドキュメンタリーになっただろう。しかし、それに抗い、〈群衆〉を中心に据えた編集は、まさしくロズニツァ的映画となっている。〈群衆〉が世界の中心であり、彼らが世界を作るロズニツァ映画は、〈群衆〉を再構築し、〈群衆〉を見出すのである。とはいえ、いかなる人物もフレームの中心に据えない、といのではない。レニングラード市長アナトリー・サプチャークはフレームの中心にフレームアップされ、レニングラード市民にモスクワの状況経過を説明し、反クーデター行動をとることを訴える。だが、ロズニツァは彼をフレーム化したかったのだろうか。それはYESでありNOである。なにゆえNOと思うのか。アナトリー・サプチャークをフレーム化したのは、彼の側近であったプーチンをワキとしてフレームに捉えたかったのではないのか。プーチンはそのとき、政治家ではなかった。サプチャークはレニングラード市長となる前、レニングラード大学の教授であった。プーチンはそのときの教え子である。おそらく、プーチンは優秀な学生で、彼のお気に入りだったのだろう。市長となった後も、後継者として側に置いていたと思われる。1991年のクーデターはサプチャークが市長になった直後であり、その後、プーチンを副市長として政治の世界へと誘った。

サプチャークが演台からレニングラード市民に呼びかけ、そして車に乗り込む。そのときの、サプチャークの側にいるプーチンの、わずか数秒をショットに捉えている。レニングラード・ドキュメンタリー映画スタジオの8人が撮った数十時間、いや、百時間を遥かに超えたかもしれないフィルム群。その中から、セルゲイ・ロズニツァ監督は、プーチンの数秒のワンショットを見逃さなかった。政治家になる前の初々しい青年である本作のプーチン。ロズニツァは群衆の中の普通のひとりとしてプーチンを捉えたかったのかもしれない。それは、時代の流れで誰もがモンスターになるのだということ。すべてはふとしたきっかけで群衆の中から生まれ、時代の波は強大化するということを。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

セルゲイ・ロズニツァ監督『粛清裁判』(2018)予告編

セルゲイ・ロズニツァ監督『国葬』(2019)予告編

セルゲイ・ロズニツァ監督『新生ロシア1991』(2015)予告編


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