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【映画評】 ルーカス・ドン『Girl/ ガール』トランスジェンダーであるがゆえの眼の周辺のショット

ベルギーの映画ルーカス・ドン『Girl/ガール』(2018)
男の子の体に生まれ、バレリーナを夢見る15歳のトランスジェンダーの女の子ララ(ビクトール・ポルスター)の物語。

トランスジェンダーを真正面から扱った作品だからといって、その社会的視点でみで興味を惹きつけるわけではない。そこには映画文法を変える、トランスジェンダーゆえの眼の視点がある。

映画文法におけるショット。たとえば〈客観ショット〉〈主観ショット〉。〈客観ショット〉とはカメラが見えたものを写すショットで、状況描写や人物の位置関係を示すショットあり、〈主観ショット〉は主人公の目線にたったショットで、主人公が何をみているかを示すショットである。

ところが、近年、そのいずれでもない、主人公の〈眼の周辺のショット〉とでもいうべきショットが現れてきた。全編に亘り主人公の眼の周辺のショットに徹する新しい映画文法の出現である。

今年見た作品としては、メネシュ・ラースロー『サンセット』(2018)がある。ヒロインのイリス(ユリ・ヤカブ)の眼の周辺のショットなのだが、カメラの視線がイリスの眼と一体になる、いわゆる主観ショットというのではなく、あくまでも眼の周辺、イリスの眼の周りの状況をカメラが捉え、そして彼女が耳にしている周辺の音をマイクが拾うのである。つまり、イリスのいる場所と時間が一体となる映画である。『Girl/ ガール』も同じく、ヒロイン・ララの周辺の眼のショットで構成されている。

ところが、『サンセット』と『Girl/ ガール』には大きな違いがある。それは、前者においては、眼の周辺のショットといっても、イリスの眼というよりも、イリスの周辺を客観的に捉えているということである。それに対し、後者はそれとはまったく別の要素が滲み出ている。たとえばララを見つめる心ない視線であるとか、ララの心理的な不安がより鮮明に現れる心の瞬きのようなショット、そしてララの主観的要素の強いショット。『Girl/ ガール』においてはそのことが徹底的に追及されており、『サンセット』とはいくぶん位相を異にした〈眼の周辺のショット〉が、ララの心理劇ともいうべきサスペンスを構成していることに、わたしは驚きを覚えた。まるでヒチコックの作品を見ているかのような錯覚さえ起こすのだ。

これだけでも感動を禁じ得ないのだが、『Girl/ ガール』においては、そのことすらも一瞬にして崩れるショットが呈示される。それは、身体的には女の子になりきれないララが自分の性器を鋏で切った後、救急の連絡を受けた父親がアパートに駆けつけるのだが、アパートの階段を駆け上る父親の姿をカメラが捉えるショットのことだ。そのとき、父親を追うカメラの上昇運動はララの〈眼の周辺〉であることをやめ、ララの視線を父親がすべて引き受けることを呈示することでララを解放することになるのである。まるで、カメラの上昇運動が、ララを解放するショットを演じているかのような印象的なシーンであった。この視点という位相の突然の転位に、わたしは驚き、心が震えたのである。

監督ルーカス・ドンの長編第一作。アイデンティティの多数性を描いた素晴らしい作品に出会えた。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ルーカス・ドン『『Girl/ガール』予告編



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