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【映画評】 ウォン・カーワイ『若き仕立屋の恋人 Long version』 エロスを記憶する手

ウォン・カーワイ『若き仕立屋の恋人 Long version』(原題)愛神 手(2004)

2001年のオムニバス映画『愛の神、エロス』の一編として発表された短編「若き仕立屋の恋」。
本作は再編集による「Long version」。とはいえ、時間は56分の中編である。

娼婦ホアに最後の衣装を届けるチャン(チャン・チェン)のクローズアップシーンで映画は始まる。そのとき、ホアは落ちぶれ、死を待つ病身となっていた。カメラはホア(コン・リー)を見つめるチャンの顔を捉え、ホアは自己の境遇を語るオフ・ヴォイスとして呈示される。

1960年代、香港の高級娼婦として名を馳せていたホア。仕立屋で働く見習いの若者チャンは、経営者の命で娼婦館を訪れる。そこで美しい高級娼婦ホアと出会い、彼女に魅了される。チャンはホアの専属仕立て職人となり、何年にもわたり、愛情を込めホアの服を仕立てる。それは、他の男たちのために着飾る服であった。

だが、移ろう時は残酷である。ホアを求め部屋を訪れる客はいなくなり、生きるために雨の日でも街頭に立つ身となる。そのとき、ホアは伝染性の肺の病におかされていた。だが、ホアのことを一心に思い続けていたチャン。娼婦館から姿を消した彼女の居場所を見つけ、最後の衣装を作ることを決意する。落ちぶれたホアは痩せ衰え、かつての採寸では合わなくなっていた。だが、チャンは彼女に告げる。「私の手が覚えています」と。チャンは採寸としてホアの身体のラインに触れるのみなのだが、触れる手というのはエロスとしての記憶でもある。ホアの手もチャンの身体を覚えている。実は、チャンが若き仕立屋としてはじめてホアの元を訪れたとき、エロスとしての愛がなければ良い仕立てはできないと、ホアの手は、チャンの身体を静かに愛撫した。

衣装としてのホアのラインを記憶しているチャンの手。エロスとしてのチャンの身体を記憶しているホアの手。その意味としての本作の原題「愛神 手」である。「愛神」とはエロス、エロスを記憶する「手」の触手。

手はエロスの作家ともいえる川端康成を想起させる。川端の場合、手というよりも指としたほうがいいだろう。他者の手のひらに指で文字を記し気持ちを伝える。指という触手を介することによる世界との交信である。その意味で、チャンの手もホアの手も、相互の愛の交信なのかもしれない。

撮影監督はウォン・カーワイとは名コンビのクリストファー・ドイル。『欲望の翼』『恋する惑星』『ブエノスアイレス』『花様年華』……。列挙すればキリがないが、わたしたち観客を魅了した撮影監督である。本作の映像も素晴らしい。雨のシーン、ただ雨が降っているだけで物語を凝縮させるクリストファー・ドイルの魔術的映像。彼にとり、顔のクローズアップも道路に弾ける雨粒も、表情として世界に呈示することで等価なのだ。濃密な56分だった。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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