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《映画日記8》 キーレン・パン、 枝優花作品、ほか

本エッセイは
《映画日記7》濱口竜介、イエジー・スコリモフスキ作品、ほか
の続編です。

東京の職業としての映画インフルエンサーのSNSに映画を見に行こうという気にさせる紹介文はあまりない。SNSに書かれている文で映画の内容(物語、映画構文ともに)が推察でき、それ以上でも以下でもないのだろうな、自分の推察を良い意味で裏切ってくれることはないだろうな、という思いが先行し、映画を見に行かない日々がひと月近く続くこともある。わたしの『映画日記』もその程度かもしれないと思うと悲しいのだが、それでも自己に向けるピンポン作業である「日記」形式に魅力を感じるのは、ときにはアルキメデス的な螺旋構造の、終わりの見えないダイナミックな永久運動となることがあるからだ。まれに雑誌等から原稿依頼があるのだが、わたしは「映画アマチュア」主義から逸れることのない日々を過ごしたいと思っている。なぜなら、「わたしは映画のアマチュア」は「わたしは映画好き」と同義なのだから。「Je suis amateur de cinéma.」

このエッセイはわたしがつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。 


深田晃司『海を駆ける』(2018)

先月末に見た作品の再鑑賞。
「I love you=月がきれいですね」は漱石由来のラブコールである。翻訳により、本来の意味の直接性が、月の光が夜空に滲むかのような奇妙な様相へと変換される。深田晃司『海を駆ける』とは無関係なように思うかもしれないが、本作を見て、漱石の「I love you=月がきれいですね」を思い出した。『海を駆ける』は変換(=翻訳)の映画である。変換による様相の変位で人々は狼狽し、自己を見失いそうになる。片言の日本語とインドネシア語を話す「ラウ」の存在は変換そのものだ。その存在は身体といってもよく、身体そのものが変換なのだ。まず、背中の圧倒的なボリュームとして呈示されるラウの身体の感動的なショットに映画を見るわたしは狼狽する。ここから変換の物語が始まろうとしている。


キーレン・パン『29歳問題(原題)29+1』(2017)

29歳のふたりの独身女性の、まもなく30歳になる焦りと未来への不安を描いた作品である。
化粧品会社に勤めるクリスティは長年交際している恋人がいるし、仕事では役職も部長に昇進しやりがいを感じ順風満帆のように見える。だが、恋人との会話で「結婚」というワードが出ると微妙な気持ちになる。「わたしは何かの選択を迫られている」のだろうか。それに、病気を患っている父は認知症の症状があらわれ始め気がかりでならない。そしてもうひとりの独身女性はパリに出かける。彼女も何かを探し求めている。
日本のテレビドラマでもありがちなテーマ設定で期待少なめなわたしは、見に行こうか行くまいか迷った。しかし、予告編を見てわたしの気持ちはぐらつく。色彩の豊かさ。香港の街並み。シンプルなオフィスデザイン。周囲から期待されるキャリアウーマン。キレの良い軽快なショット。パリに憧れポラの自撮りに明日を託すメガネ女性。未来に不安を抱きながらもキラキラと輝く女性たち。これだけ魅力溢れる要素が揃えば見ないで済ますことなんてできるの?と何かがわたしに告げた。

映画前半、前途洋々のキャリアウーマンであるクリスティの時間軸が呈示される。予測通り日本のテレビドラマの映画版なのかと落胆しかけたのだが、いやいやそんなことはない。ここでは映画前半をすっとばし…前半もクリスティの29歳から30歳へと移ろうとする、男性のわたしにはない女性特有の凝縮した時間が面白いし、この前半なくして後半はありえないほどみごとに描かれている…いきなり後半に入ろう。

まもなく30歳になるクリスティはあまりにも早く進む時間から立ち止まることを選択し、3週間限定で見知らぬ女性のアパートの留守宅を借りることになる。そして、ふとしたことでクリスティの時間は、自分と、貸主であるアパートの居住者の女性、ふたりの女性の時間軸、つまり、ふたりの物語へと変移する。アパートの居住者の名はティロン。彼女は3週間、憧れのパリ旅行に出かける。その間のクリスティのアパート間借り生活。クリスティとティロンは全く面識がないから、いわばふたりは並行時間軸としてある。だが、クリスティがティロンの自撮りビデオと日々を綴った日記を目にする。クリスティはティロンの日記を盗み読む。彼女がクリスティと同じ年の同じ日に生まれ、パリに憧れを持ち、自分とはまったく違った人生を歩んでいることを知る。同じ年齢でありながらも、自分とは違う彼女の生活にシンパシーを感じる。そして彼女がステージ3の乳癌であることも日記から知る。そのとき、ふたりの時間軸は興味深い表情を見せ始める。といっても、映画の常套手段である見知らぬふたりの交差する時間、という凡庸な物語構成ではない。クリスティとティロンの、それぞれ異なる意味を持つ写真の巧みな時制の導入が、物語を思わぬ時間軸へと向かわせるのである。父の死を前にしたクリスティの過去としてのファミリー写真。そして乳癌ステージ3を宣告されたティロンの、今を生きている証としてのポラで撮られた現在形のプライベート写真。これら時制を異にする2種の写真。過去と現在という2つの時制がアパートの一室で出会うことで、ふたりの時間はそこに固定されるのではなく、共に未来時制へと向かい始めようとする。なんら関係のなかった時制が作品の通奏低音からテーマへと変位するのだ。それは〈生〉というテーマであり、人は生まれやがて死をむかえるにしても、いまここに生きており、確かにここに存在しているということの大切さと歓び、そして、それが未来へと向かう〈現在形の姿〉は美しい、これこそが〈生〉なのであるということ。クリスティの古いファミリー写真とティロンの現在形のポラ写真の交差が双方の境界を崩し合い侵犯の関係になる。いわば双方の共時性が〈生〉を見出す珠玉の作品となっているのだ。

写真とは、〈それは=かつて=あった(Ça-a-été)〉(ロラン・バルト『明るい部屋』(みすず書房))ことしか示さない。それ以外のことは何も語らない。「それは」という指示生、「かつて」という先行性、「あった」という存在性があるのみだ。だが、そこには呈示されるストゥディウムstudium(道徳的、政治的教養・文化という合理的な仲介者を仲立ちとした、写真に対する一般的関心)からプンクトゥムpunctum(ストディウムの場をかき乱しにやってくる偶然)への移行が立ち現れる。クリスティのファミリー写真と乳癌ステージ3であるティロンの自撮りポラ写真は、それらが交差することで骰子の一振りの作用であるかのようにクリスティの心を突き刺すプンクトゥムへと移行する。この移行が、〈現在形の姿〉の美しさを立ち現わせ、立ち現れた〈姿〉こそが〈生〉なのだと気づかせてくれる。本作は、バルトが『明るい部屋』で示した諸概念を、映像として見事に示したのが本作『29歳問題(原題)29+1』なのである。
バルトの『明るい部屋』を読み直したくなった。

キーレン・パン『29歳問題(原題)29+1』予告編


エルク・マーフーファー、ミハイル・リロフ『シェーブ・シフティングShape Shifting』19分(2015)

本作を見て、同じく山村部の農業を描いた小川伸介『ニッポン国 古屋敷村』(1982)を思い出した。『ニッポン国 古屋敷村』は里山を捉えたドキュメンタリー作品なのだが、エルク・マーフーファー、ミハイル・リロフ『シェーブ・シフティング』はドキュメンタリーではなく、彼ら曰く「実験映画」であるという。両監督はドイツから京都に移り住み、里山を舞台に、そこに暮らす人々と自然との交流によって生まれる日本特有の生態系を見つめる作品を撮っている。
わたしは彼らの作品を初めて見たのは今回がはじめてである。その限りという前提なのだが、欧米人の見る「オリエンタリスム」作品というのが本作を見た正直な印象である。だが、アフタートークを聞いた限り、彼らにはその意識はない。だからといって「オリエンタリスム」的眼差しを批判するつもりはない。わたしもヨーロッパを旅行すると、教養として刷り込まれた教科書的な眼差しを、その土地に無意識に向けてしまう。その意味では、本作に「オリエンタリスム」的眼差しを感じるわたしも、欧米人の眼差しはそういったものだという先入観があることは拭えない。それは、〈東洋⇄ヨーロッパ〉双方向の眼差しによる二重の「オリエンタリスム」だろうし、この理解は留保しなければならないだろう。ただ、「オリエンタリスム」と断言できないにしても、日本人であるわたしには、彼らの眼差しは好奇心を超えないように見えた。撮影場所は山陰線の綾部。わたしが生まれ育った町の隣町だ。わたしにとれば当たり前の光景なのだが、ドイツ人による里山の断片的な映像の連なりは、はじめて目にする対象への、子どものような好奇にしか思えなかった…これを純粋な眼差しとも理解できるけれど…。さらに、里山の断片的な映像の連なりを実験映画と捉える彼らの視線。実験(エクスペリメント)というよりも、好奇に満ちた…つまりオリエンタリスム…経験(エクスペリアンス)としての眼差し=断片の連なりではないのかと思えた。子どもの好奇に満ちた眼といえばある種の新鮮さを内包した眼なのだが、わたしにはそれが感じられなかったし、実験映画という新たな試み、見る者を覚醒させるような新しさもないように思えた。とはいうものの、本作が「里山(注1)」の重要性を再認識させてくれる作品であったことには違いない。

(注1)里山が文献上の単語として現れたのは1759年の文書「木曽御材木方」だが、その再評価に繋がる言論活動を行なったのは京都大学農学部の四手井綱英(1911〜2009)である。里山は日本特有の表現で、それに該当する外国語はなく、世界的には「SATOYAMA」と表記する。
この用語が世界的に話題になったのは2010年、名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)である。そのときのフランスの新聞、ル・モンドに「SATOYAMA」の紹介があった。詳しい内容は忘れてしまったが、生物多様性を維持・推進に向け、里山概念の重要性が指摘されていた。用語「SATOYAMA」が世界語になるのは嬉しいのだが、その概念が必要なほどに、日本の農山村の風景、里山が消滅の危機にあるということにも注意を向ける必要があるだろう。


枝優花『少女邂逅』(2017)

「わたし」と意識したとき、同時にわたしと他者とを隔てるなにものかを想定することになる。そうでなければ、「わたし」という意識は存在しない。それは、他者の拒否者であったり、他者からの防御者であったり、ときにはわたしでないもの(それは目の前にある他者であることは稀で、そうではない何ものか)への脱出願望者としての「わたし」であったりと…。

ミユリはクラスメイトからいじめにあっている。けれど、ミユリはそのことを他人ひとに発信する、または訴える術を持たない。いじめから身を守るには、わたしに閉じこもることしかできない。つまり、殻を被るわたしとなることである。だが、殻を被ったからからといっても殻はわたしを永遠に守ってくれるわけではない。だから、殻を破ること、つまり、閉じこもりから解放されるには、自己から、自己であるか否かも定かでない何か…それすらも本質的には自己であるのだが…を放出しなければならない。
たとえばリストカット。リストカットでわたしの証でもある血を外部へと放出し、自己を相対化する。だが、ミユリにはその勇気がない。そんなとき、山の中で蚕を見つける。ミユリは蚕をこっそり飼い、「ツムギ」と名づける。ミユリはツムギに囁く。「わたしが困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」。ミユリの唯一の友は蚕であるツムギ。ところが、ミユリをいじめる者たちに蚕の存在がバレ、ミユリは山の中に引き連れられ、執拗ないじめを受ける。そして大切にしていた蚕のツムギも捨てられる。そのとき、見知らぬ少女がその現場を見ていた。いじめで汚れてしまったミユリの下着。少女は自分の下着を脱ぎ、ミユリに履き替えるように差し出す。下着を脱ぎ差し出すという無償の行為はエロティックであり、サクリファイスをも感じさせもするが、蚕の幼虫がほとんど移動せず、繭となり死を迎える現象を想起させる…これをエロスとタナトスと言ってもいいだろうか。蚕は家畜化された昆虫で、成虫は翅があるにも関わらず飛ぶことはできず、人間による管理なくしては生きていけないのだ。

ある日、ミユリのクラスにひとりの少女が転校してきた。名は富田紬。あのときの少女だ。彼女もミユリの存在に気づき、目で合図を送る。ふたりは親友となる。

蚕と少女の名の紬。これは枝優花という女性監督の文脈、女性性の文脈から描かれていると解釈もできるのだが、作品の女性性、男性性という二分方ではなにかが抜け落ちるような気もする。つまり富田紬は蚕の化身からの脱却としての紬という、“内/外”の二項対立を前提とする物語構造を崩すことは可能なのだろうかと思った。絶え間なく挿入される蚕と繭の象徴的な映像。そこにあるのは女性の身体の内部、もしくは“生死/死”を絶え間なく生み出す表象的身体であり、立ち入ることができるのは女性性を持つ者のみであるのだろうか。そして富田の皮膚から創出される紬の萌え。女性性の相対化は可能なのだろうか。この問いを引き受けたのが枝優花監督なのだろうし、彼女の未来なのだろう。そして『少女邂逅』の問いなのだろう。

ところで、蚕による女性性の表象は日本特有の現象なのだろうか。蚕は「古事記」にも記述があるほど長い養育の歴史があるが、「シルクロード」の名で知られるように、東アジアや東南アジアの風土的産物でもある。ということは、女性性としての蚕の表象は日本特有の現象ではないに違いない。映画に限定して探してみると、蚕による表象をベトナム映画に見つけることができる。アッシュ・メイフェア『第三夫人と髪飾り』(2018)である。ベトナム語の原題は『第三夫人』である。わたしはこの作品を台北で見たのだが、台湾でのタイトルは『落紅』。「落紅」には「妊娠」の意味があり、流れ落ちる血、死、誕生の多義性でもある。これは『少女邂逅』の〈蚕→繭→紬〉に見る“生/死”“死/生成“と同相と言えるのではないだろうか。
アッシュ・メイフェア『第三夫人と髪飾り』の詳細は下記サイトを。

枝優花『少女邂逅』予告編


久しぶりの東京。森美術館に行く。
アピチャポン+久門剛史インスタレーション『シンクロニシティ』

丸い穴の開いた変形フレームに投影。イメージは丸い穴からフレームの背後へも入り込む。映像の境界、遠近、“見える/見えない”。フレーム背後の電球・光源がフレーム前面に回り込む。投影光と電球光の二重性。アピチャッポンの映像は個人の記憶と眠り、社会と国家、そして集合的な記憶。これまでアピチャッポンが繰り返し呈示してきた世界だ。それほど広くはないインスタレーション会場を歩きながら、わたしはどこにいるのか、そしてどこにいなければならないの。世界は混沌としながらも、なにかに包まれている。

『シンクロニシティ』は深層心理学や脳神経学を参照しながら、個人の記憶と、社会や国家などの集合的な記憶の対比をテーマとし、アピチャッポンが同テーマで南米のコロンビアで製作した映画『メモリア』(2019)の関連作品である。
久門剛史がタイのチェンマイにあるアピチャッポンのスタジオに滞在し、脚本の構想段階からアイデアを共有し、共同制作をしてきたという。2 人のアーティストの対話的なプロセスから生まれた互呼応の実験的な作品である。
アピチャッポン『メモリア』の映画評が下記サイトでお読みいただけます。

《映画日記9》
に続く

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)


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