見出し画像

【映画評】 アピチャッポン・ウィーラセタクン『メモリア』映像、あるいは音のインスタレーション

アピチャッポン・ウィーラセタクン『メモリア』(2021)を見たのは1年前、那覇市の桜坂劇場だった。映画を観たあと「備忘録」として書き散らし、そのまま眠らせていた。
今回、「備忘録」の断片を拾い集め、不完全だが、とりあえずの映画評としてまとめてみた。

映画冒頭、薄暗い部屋にカーテン。カーテンにうかぶ薄明らしき柔らかな光。突然、衝撃音がし、カーテンを背景に起き上がる女のシルエットが映し出される。それは植物のある室内の、夢遊病者のように佇むジェシカ(ティルダ・スウィントン)だ。ジェシカは目覚めているのか、それとも衝撃音とともに夢か何かの中に入り込んだのかだろうか。

ここで重要なのは、衝撃音による「目覚め」であることだ。それが後に、夢を見ない男の、数世代も前の記憶へと繋がってゆく。

夜明けの駐車場。カメラは緩やかに前進する。すると、車のアラーム音が鳴りヘッドライトが点滅する。それに呼応するかのように駐車場のいくつもの車からアラーム音とクラクションとヘッドライトの点滅。これも冒頭の衝撃音による「目覚め」と関連があるのかもしれない。

病室。先ほどのジェシカと病床の女。女はジェシカの妹カレン(アグネス・ブレッケ)。カレンは犬の夢を見たという。ひき逃げされた犬の夢。その日から体に変調をきたしたと語るカレン。カレンは犬の思い出を語り、再び眠りにつく。

街路。一発の銃声のような音。歩道の男が倒れ、すぐに立ち上がる。フレームにエンジンの排気口から煙を吐くワゴン車があり、先ほどの銃声はワゴン車が発した音なのだろうか。倒れた男は、何かに怯えているかのように駆けだす。通行人は男の様子を見て怪訝な表情を浮かべる。ジェシカは確実に音を聞いている。ジェシカも怯えているかのような表情なのだ。音は倒れた男とジェシカだけのものか。

続いてスコールのシーン、大きな雨音。

大学の階段教室でのギターの素材と構造による音響の違いについての講義のシーン。

大学のカフェでのジェシカと建築家らしき男の会話。「建設現場は終わらないのか。朝早く音がした」とジェシカ。「建設なんかしていない」と男。

音響スタジオのミキサー室に若い音響エンジニアの男エリナン(エルキン・ディアス)。PAからチェロとピアノの楽曲。ジェシカが入室し、衝撃音の再現を依頼する。巨大なコンクリートボールが金属の穴に落下したような音だという。次第にジェシカが思い描く音に近づく。

夜の公園にジェシカ。彼女の怯えているような足取り。野良犬が姿を現すが、ややあって姿を消す。ジェシカのショットがあり、ベンチに腰を下ろす。再び映画冒頭の衝撃音。

公園にジェシカと音響エンジニアのエリナン。ふたりはエリナンが再現した音をヘッドホンで聴く。エリナンはバンドをやっていると言う。

ジェシカは音響スタジオのある建物にエリナンを訪れる。だが、「そんな人はいない」とスタジオのスタッフは告げる。

音響スタジオのビルの一室からバンドの楽曲が聞こえ、ジェシカはその部屋を覗く。ビルの階下に降りると直交する二面の打ちっぱなしのコンクリート壁があり、それに対面する直行二面はガラス張りである。両者で囲まれたガランドウの四角い明るい空間構造である。本作にはガランドウな空間がいくつか登場する。

ガランドウの空間

考古学研究所の人体骨。少女の人体骨。6000年前の少女の人骨だと研究員は言う。頭蓋骨の頭部に丸い穴があり、「悪霊を追い払うために開けられたのだ」と研究員は述べる。

考古学研究所

巨大なガランドウのトンネル内で人骨の発掘を行うショットが挿入される。

川のほとりにひとりの男(エリナンと同じ俳優が演じている。この男はエリナンなのだろうか。本稿ではエリナンと記す)とジェシカ。魚の鱗の処理をするエリナン。彼は見たものすべてを記憶するという。だから目に入るものを制限している。彼は石を拾い、石の音を聞く。石から男の声が聞こえると言う。記憶の嵐が制御できなくなるとも言う。だから魚の鱗を取っていると。エリナンは眠りと夢について語るのだが、眠ればなにもない、夢は見ないとも言う。ジェシカはエリナンに眠ってもらう。眠るエリナンの側のジェシカ。ややあって、エリナン目覚める。

二人はエリナンが薬草で作った強い酒を飲む。酒は夢だとエリナン。机の上にエリナンが作った奇妙なオブジェ。触れるとオブジェの一部が回転する。ジューサーの刃の回転体もあり、刃で切った血がオブジェに付着している。エリナンはジェシカの手を触れる。すると、「あの音が聞こえる。もっと聞いていたい」とジェシカ。赤ん坊の頃が蘇る。記憶を辿り始めるジェシカ。少女の頃のこと、母の記憶、ジェシカは記憶を語り始める。「わたしはハードディスク、あなたはアンテナのようなもの」だと。だからあなたはわたしの記憶を読んでいると。「あのベッドの下に隠れていた。」「一晩中わたしたちを探していた。」「わたしはここにいた。」「ベッドのカバーも青かった。」「あの音も聞こえる。」「それもあなたの記憶。」エリナンはジェシカの手を取り「ああ」と答える。「もっと昔からだった。」ややあって雨音。ジェシカは自分の手をゆっくりと頭に。すると雨音は止み無音となる。しばらく後、野外の自然音。自然音に混じり諍う音、いつの時代の音なのか、6000年前の少女の頭蓋骨の穴の音、記憶の古層の音なのか。記憶、それとも夢なのか。

ルソーの絵画を思わせる密林が映し出される。カメラはやや下方から密林を捉える。するとフレーム中央に目のような丸い輪郭が現れ、それは巨大な魚の眼であることがわかる。魚は緩やかに浮かび上がり、圧縮された空気のような破裂音がしたかと思うと、魚は飛び去っていく。残ったのは炸裂で現れた丸い亀裂光のような痕。それも緩やかに消えてゆく。

腰を下ろし、外を眺めるエリナンを斜め後ろから捉えるショット。エリナンは痙攣したかのように頭を何度か振る。そして両手で頭を抱える。記憶が逃げていったのか。

山岳地の長閑な密林の光景が映し出される。山道には兵士たち、それは戦争の記憶、それとも戦死した者たちの亡霊なのか。

そして自然音、雷鳴、人々の幽かな音。ここで映像は終わり次第に強い雨音となる。

夢を〈見る/見ない〉の境界面に触れる(手を触れる)とき、記憶も多層面的な古層となる。見ることのできない夢、それは古層となった記憶なのか。そして時空を突き破る衝撃音、それは古層という時空をひっちゃぶく音なのだろうか。

アピチャッポンの映画は、物語も興味深いのだが、映像と音のインスタレーションとみても味わい深い。『メモリア』は、その到達点といっても過言ではない。この場合の到達点とは、終点ということではない。

ジェシカは巨大なコンクリートボールが落下したような衝撃音で目覚める。それは目覚めではなく、夢の世界へ入り込んだと言ってもあながち間違いではない。そして、その衝撃音の再現。音響エンジニアの男がそのことに成功する。ところがその男は存在しない。

さらに、ジェシカと夢を見ることのない男との対話。そこには、夢と記憶との境界面に触れることで新たな展開を見せる。そこには時間を超えた記憶の古層がある、たとえば6000年前の記憶とか……。

本作はスペイン語と英語で語られるのだが、アピチャッポンにとり、スペイン語は意味以前に音である。意味ではなく音としての言語。アピチャッポンはこれから何処に向かうのだろうか。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

アピチャッポン・ウィーラセタクン『メモリア』予告編


この記事が参加している募集

サポートしていただき、嬉しいかぎりです。 これからもよろしくお願いいたします。