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【映画評】 牧原依里・雫境(DAKEI)『LISTENリッスン』 organからlistenへ

名詞「音楽」と、動詞「聞く」「見る」あるいは「見える」。
名詞と動詞が結びつく。
たとえば「音楽を聞く」「音楽を見る」「音楽が見える」。その結びつきの基本は個人に属し、そのことで現象の立ち現れも違ってくる。そして、その立ち現れが社会となる。

牧原依里・雫境(DAKEI)『LISTENリッスン』(2016)は聾者たちが無音から「音楽」を創り出し、耳を傾ける映像詩である。

聾者にとり音とはなにか、音楽とはなにか。わたしはそのことを知らないし、経験することもできない。彼らは「音楽が見える」「魂から溢れる〝気〟のようなものから音楽を感じる」という。

なるほど、〝気〟は気配、あるいはなんらかの力として確かに感じる。ならば〝気〟を感じると同時に発することで音楽を奏でることもできる。手話言語を通じて日常的に身体表現に熟達した彼らは、身体による音楽を奏でることができるだろう。身体からの溢れが表現として聞こえてくる。その溢れは小さいこともあれば大きなこともある。

たとえば、指が触れ合う、掌が触れ合う、そして、触れ、重ねる。その行為は身体の器官に通じるだろう。それが音楽だ。器官(organ)はオルガンの音管、オルガン(organ)にも変異する。

映画の中盤、一組のカップルがテーブルをはさんでお茶を飲んでいる。見つめ合う二人。二人の指が触れ合い、離れ、触れ、触(さわ)るへと移行する。そして掌を重ね、引き寄せる。これは二人のエロチックな音楽。男は硬くし、女は濡れる、のかもしれない。organから派生する快楽(orgasm)。二人にとり、それが「LISTEN」なのかもしれない。

(注)organとorgasmは語源的には無関係とされています。「organから派生するorgasm」、それは単なるわたしの夢想です。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

牧原依里・雫境(DAKEI)『LISTENリッスン』予告編


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