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書くことの苦しさと言ったら。

どうも。

昨日、久しぶりに目標などを改めて投稿したわけだが、一つ驚いたことがあった。(文体が全く統一されない自分についても驚いたがそうではなく。)

なんと言っても、心の内を文字に起こして文章として意味のある形に変換すること、書くことがこんなにも苦しいとは思わなかった。書くためにはまず、輪郭のぼやけたモヤモヤと自分の中に渦巻くものを、言葉によって形作らなければならないのである。これがどうにもひどく苦しい。
書くには、形のないものを言葉という枠でくくるには、それについて考え抜いていることが必要だった。今こうして書いていることは、単に感じたことをつらつら並べているだけだからそれほど苦しくはない。しかし、将来に向けて今の自分がどんなことを考えているかを残そうとするときは、そもそも自分がそれほど考え抜いているわけではないことを痛感させられ、目標達成に向けた具体的方法を考こうにもその妥当性については検討できていないことに気付かされた。
要するに、考えたことをまず言語化してこのようにアウトプットするには、まずそれについて「とことん考え抜くこと」が必要だったのである。この過程をすっ飛ばした暁には、次回書きますなどと逃げ、結局また投稿の間隔を引き伸ばし、久しぶりです!22歳になりました!などと私はきっと言い出すのである。人の(いや自分の)意志の弱さと言ったら筆舌に尽くしがたいものがある。それを自覚したからこそ、せめてそれはやめようと、せっかく読んでくださってる皆様には見苦しかろうとは思いつつ、今ここで苦し紛れにこうして苦労しますアピールをしている次第である。そう、苦虫を潰したような顔で今書いているのである。言語化って大変である。

今何となくでも考えていることを記そうと思っても、それでも最低限考えておかないことには、例え小さなことであってもどうにも書けない。普段私達の身の回りには情報が溢れかえっていて、もはやそれに溺れている状態であるのだ。大量の情報や知識を取り込んでおきながら(知識かどうかも怪しいが)、それを咀嚼してしっかり理解しているのかは怪しい。得られた情報、他人の意見をもとに何か述べてみても、本当にそれが自分の考えであるかは怪しい。いかんせん、自分の考えを持ち、それを述べる機会が減っているのだ。情報を発信することはかつて無いほどに簡単になっているにもかかわらず、その受け手としてただ浴びることしかできていなかった。考えることから逃げてはいけない、のだ。

と、自戒の念を連ねてきたがなんとも言い難いものがある。この書きたいけど書けない状況を打破するには、やっぱりこうしてどんなことでも書いてみること、思いを吐き出す訓練をすることのほかないだろう。考えるためにも知識が必要で、その勉強や調査、分析といったものも面倒臭がらずに取り組むほかないだろう。

他にもこうした書く難しさを抱えている人はいるだろうか。それはどう乗り越えていこうと思っているんだろうか。もし良かったら教えてもらいたい。就職活動にあたって、自己分析なども進めているが、これもまた難しいものがある。自分がこれまで何を考え、どう行動してきたか。そして今後はどんな人物を目指し、そのためにはどんなスキルや意識・行動が必要なのか。これまで考えてこなかったツケを今まさに払わされている。一応は好機と捉えられているが、正解のない問題について答えを、最適解を導き出そうとするのはなかなかエネルギーが必要になってくる。

皆さんは、普段の生活の中で答えのない問題に対してどのように向き合っていますか。そして、それを誰かに伝えようとしてみたことはありますか。何か形にしようとしてそれが難しくなったとき、どうやって乗り越えていますか。

書く、伝える、考えることに関してなにかおすすめのやり方や本などがあればぜひ教えてください。
私の場合はひたすらに勉強不足な点が課題です。これからしっかり食らいつきたいと思います。

それでは、今日のところはここまでとしましょう。


考えることを放棄するな!人間であれ自分!

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