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息抜きの息継ぎ:23「鳥」




愛と癒しの歌姫。
結論付けるのなら、そういうことになるのだと思う。

Coccoさんの最新リリース曲
『願い叶えば』のMVを見て感じたことは沢山あるけれど、
にこやかなCoccoさんと共演している
素敵な息子さんの姿は、やはり特に印象に残った。

これが彼女の回答だ。と思った。

物事の結果はひとつじゃない、
成功、失敗、幸せ、不幸せ、などという安直単語だけでは到底表現が出来ない。

正しい間違いで計れない領域だってある。
だから彼女は表現をし続けているのだろうし

だからこういう叶え方、実らせ方もあるのだな、と教えられた。


簡単にいえば
デビューアルバムど頭の衝撃曲、
『首。』や『カウントダウン』や、『ベビーベッド』などの作品を生むきっかけになったと思われる
彼女の恋愛経験に対するひとつの回答を、
曲で、MVで
しっかりと見せてくれたように感じた。

活動、創作を続け、こういう形で実りを見せてくれるのは
聴き手側からするととても有難いことでもあるし、

単純に、本当に、嬉しかった。


私も彼女の曲に、これまで沢山助けられた。
デビューアルバムのブーゲンビリアからサングローズまでは当時かなり聴き込んだ。


・星に願いを
・SING A SONG NO MUSIC NO LIFE
・樹海の糸
・初花凛々(バンドsingersonger名義)


は特に今でも大好きな曲。どの曲も美しい。

(松田聖子の渚のバルコニーのカバーも可愛いのでオススメ!)

ツイッターにはこう書いた。


・coccoさんの曲から
好きだったものだけを集めて通して聴いたら感動しすぎて胸がいっぱいで苦しい。
幸せだほんとに。

こういう向き合い方が出来るようになるのなら、それなりに長く生きるのも悪くはないなと思った。
(いや死にたいと思ったことはないしまだ生きる全然生きるけど



・今は19年サイクルの節目、
2000年頃、もしくは自分が19歳だった頃の事象が完結する時期なんだそう。

その頃聴いていた曲が回答や力になってやたら背中を押される気がするのはそのせいか。
ネガティブな曲でも、その曲を大事にした経験からは幸せしか感じないんよね。



という訳で
昔1曲でもCoccoさんの曲を好んで聴いた経験のある方(特に女性)は改めてまた曲を聴きなおし
当時を振り返りながら向き合ってみて欲しい。

捨てたくないけれど捨てなければならなかったもの、
離れたくはなかったけれど離れてしまったもの、置いて来てしまった気がするもの、

今、何処を探しても見あたらない答えがちゃんと入っているから。

そして内側から沸き上がるように、心の底から強く自己肯定が出来るから。


私の場合は
この素晴らしいアーティスト、この曲達と
純粋で多感な時期に自分なりに(時には自分の恋愛を投影しながら)真正面から向き合った経験があるのなら、

絶対に、もう大丈夫だ、表現する側にまわれる。という強い肯定感と自信が生まれた。


(実は前回の息継ぎ22に書いた、スガさんの曲を振り返った時にもそう感じた。
どのアーティストのものにせよ、昔好きだった曲を「今」まとめて一気に聴くこと、おすすめです。

時代のサイクル的にも
節目に当たる時期ですから

「今」自分の中でまとめる、まとめておくことに意味があるように思います)



そして最近Coccoさんのことを知った方は、アルバムを聴いて、激しさと美しさ酔いながら、衝撃を受けてみて欲しい。

特に初期の曲の特性でもある
エヴァネッセンスもびっくりの激情狂気ロック。
(今で言うメンヘラやヤンデレ曲とはちょっと次元が違う)


初めて彼女を知った頃の私はまだ高校生だった。
これらの曲に驚いたり引いたりもせずに
完成度の高い音楽、として普通に受け入れ聴けたのは

音楽としてのバンドアレンジが最高レベルに良かったことと
(Coccoさんとバンドチームの関係性の良さは当時のインタビュー記事からも伝わってきた)

当時の若い女性アーティストは皆身を削って表現をしていたこと、

→自己の恋愛観や恋愛経験をさらすのと同じ

アイドルやプロデュースされた女の子達とは違う、
その捨て身加減を同じ女性として
分かっていたから、
どんな表現にも敬意を払っていたのだと思う。

当時沢山の女性アーティストが良い曲を生み出してくれたけれど
その中でもCoccoさんは本当に突出した存在だった。

とても感謝をしている。


今はSNSなどで簡単に、体験や感情の共有が出来る分、
身を削り、苦しみながら表現をする型ではなく

エンタメ要素のつよい見せ方であったり、
他者を楽しませる、ことを目的とした音楽の方が、時代に合っている、と個人的には感じている。
(Coccoさんでさえ、そちらにシフトしている)


その全体の流れも、喜ばしいことだと思っている。


だからこそ、あの頃、リアルタイムで
その時代ならではの強烈な音楽体験が出来たことに心から感謝をしたい。


鳥、や羽根、というモチーフを使った曲が印象に残っていることもあり、
今回は羽ばたく姿をした「鳥」をイメージし、サブタイに入れた。


昔は『男性に生まれたらよかったのに』と思うことの多かった私も
最近は女性に生まれてよかっな、と思うことが増えてきた。


ただ作品内で女性的な部分を全面に出す表現をすることは好きではないので、

今後も「私」という一人称で物語や詩を書く割合は少ないだろうと思う。

それでも「私」を表に出さねばならない時には
沢山の女性アーティストに助けれてきたことを思い出しながら、
一人の女性としてお礼のつもりで綴ってみたい。


キリストの唄う歌
マリアの唄う歌

アダムが唄う歌
イブが唄う歌

もちろん聴いたことはないけれど、
そういうものがあったとして、
想像してみると
男女どちらにも違った役割がある、気がする。

菅原道真の唄も
小野小町の唄も違った良さがある。


古今東西
女性が(あるいは男性であっても女性性サイドから)紡ぐ愛と癒しのことばには、特別な何かがある、と思っている。


女である私にとっても未知数なところがある。
陰にもなれるし陽にもなれる。
女性の癒しの力をあなどってはならない、と思っている。

私もあなたも、その気になれば

もしかしたら人ひとりを救うどころじゃなくて

世界を救ってしまうことだってあるかもしれないのだから。








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