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「行ってきます」のとき泣いちゃう3歳への声掛けを変えたらメタ認知発言が出てきた

次男3歳、年少さん。
ここ2週間ほど、登園時ママとお別れのときには毎日泣いてしまいます。

ルーティーンはこんな感じ。

保育園到着→
まるで今生の別れのごとく大泣き、「ママ、ママ」と言ってしがみついてくる→
先生になんとか抱っこしてもらう→
バイバイの儀式(タッチ、ぎゅー、頬にちゅっの3点盛り)→
私、後ろ髪引かれつつなんとか出発。

「ママと離れたくない泣き」長男のとき

「ママとバイバイがさみしくなっちゃう」と次男。
気持ちはわかる。

長男(現在8歳)が年少さんのときも登園時の「ママと離れたくない泣き」がよくあった。
まだその頃は自分の気持ちの言語化も難しい4~5歳。私もママとしても経験値4~5年であり、長男が泣いてしまう理由も対処も良く分からず、事態をただ受け止め、自分もしっかりとダメージを受けていた。
私はわんわん泣いて首元にしがみついてくる長男を抱きかかえながら、ぐぐっと感情移入して、時には自分も目をうるうるさせていた。
(こんなに泣く子を置いて仕事に行くのは母として間違っているのでは?)
(仕事を早く終わらせて一刻も早くお迎えにいかねば!)
なんて思って、切ない気分になりながら出勤したりしていた。

そうやって自分を責めながら、育児と仕事をこなしていた日々はなかなかに苦しかった。あの頃を思い返すと、私はなにかと思い詰めがちで、「長男が泣くこと=良くないこと」と捉えて勝手に悩み困っていた。困っている私を見て長男も不安だったろうなぁ。

しかしその泣きも時期によってあったりなかったり。
また子の成長に伴い少なくなっていくことを、私は長男と過ごした日々により学習した。子の成長は早い。

「ママと離れたくない泣き」次男なう

現在進行形で泣いている次男。
しかしそれを受け止める母である私は、長男のころと比べずいぶんどっしりした。
次男は毎日泣く。だが、これが「一時的なもので、彼らの成長の上で通る道であり、私が泣いても何も変わらない」ということを私は長男のときに知った。
そこで、次男への声掛けを1つ試してみた。

それは、
「泣いてもいいよ。」である。

泣いてしまうけど、いいんだよと。泣いてしまうあなたをどーんと受け止めましょうと。そんなマインドでいること。

夕方迎えに行くと、楽しく1日を過ごした様子が分かる。
朝は少なからず心配はするものの、夕方はにこにこでいろいろお話してくれるから、こちらも安心する。
次男「○○ちゃん、また泣いちゃったよね。さみしくなっちゃうんだよね。」
私「そうだね。さみしくなっちゃうよねぇ。泣いてもいいんだよ。いつも泣いてもいいよ。」
自分の気持ちを良く表してくれる次男とのおしゃべりはおもしろい。
こうやって、泣くことを承認する日が続いた。
すると、ある日おもしろい変化が起きた。

どうやら自分が泣くことメタ認知してるぞ?

「今日ほいくえん?○○ちゃんねぇ、今日も泣いちゃうよ?」
朝の支度をしているときに言い出した。
ついに泣く予告してきやがった!笑
「いいよ。わかったよ。泣いていいんだよ。」
と言うと、
「○○ちゃんねぇ、泣いてぇ~、先生にだっこしてもらってぇ~、ママとバイバイしてぇ~、お教室入ったらにこにこになるのぉ」
ですって。
彼は登園前からこの4つのタスクを決めていた。

そして予告通り、登園時泣いた。笑
予告されていたからこちらも心の準備ができている。
(よし、タスク通り、先生にだっこしてもらえばいいんだね?)
そして無事先生にだっこしていただき、バイバイの儀式3点盛りを済ますと、すんなり行けた。子の成長は早い。

彼を送り出したあと出勤中の車中で、思った。
次男は自分が泣いてることを客観視できてるんだなぁ。ただ感情に飲まれて泣くのではなく、「いま泣いている自分」を認知していて、さらにその後どう対処したら良いかも分かってて教えてくれてるんだなぁ。
…これ、メタ認知しとるな。

サイト引用→
『メタ認知の定義は、「認知していることを認知すること」です。つまり、人が認知するに至ったきっかけから結果に至るまでのすべてのことを、自分自身で把握する、ということです。~中略~ 自分が能動的に行っている言動について、もう一人の自分が客観的な立場から、その言動を調整したり調和したりする能力をもって、「メタ認知」と定義しているのです。』

まさに次男だ。
泣いている自分を客観視し、
→「〇〇ちゃん泣いちゃうよ?」
もう1人の自分が客観的な立場からその言動を調整したり調和したりする
→「先生にだっこしてもらってぇ、ママとバイバイしてぇ、お教室でにこにこになる」

最近読んだ本の影響から私の中でメタ認知が流行っていたので、たまげた。

「泣いてもいいよ」の声かけが次男のメタ認知力を高めたかは全く分からないけど、彼的には「ちょっと安心して泣けるようになった」んじゃないかなぁと感じる。
長男の時の不安な母親よりは、どーんと構えた母親の方が、安心感はあるだろうなぁ。

子どもの可能性は無限大。
彼らとの生活は本当におもしろい。
彼らの成長のためにちょっと役に立つ声かけが出来たらいいなぁと思い、今日も過ごそうと思う。それが自分の成長にもなるなぁと思いながら。

最近読んだ本はこちら↓






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