まつもと

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最近の記事

小学生時代。補足

今日の夜は、中学校1年時代を描くのですが、小学校時代、書き足りないなと思ったので補足します。 小学4年長縄跳びで、私だけ飛べなかった中、一回、飛べた時、みんな喜んでくれたことがあった。 小学4、5年、小学1年の時に転校してきた男の子に、おたふく風邪とかあった時、仮病の歌など歌われた。いつものように先生に相談していたが、絵を見せてもらい、褒めたら柔らいだが、それもあり、男の子が怖いと思うようになる。 正露丸をよく飲んでいた。学校に行きたくなかった。 学校まで歩いて40分

    • 高学年

      小学4年、夏休み、近所の子は、私の夏休みの友を何十冊も、茂みに隠した。お母さんから貰ったサンダルも、茂みの中からボロボロの状態で見かった。それでも、親友と言ってくれた言葉を信じたかったけれど。 自分も閉じこもったし、近所の子の関心も別の子に移って行った。 小学校も高学年、思ったよりお姉さんになれていない。若い男の先生が担任で、みんな喜んだが、小学六年も同じ先生ということを知ると、みんながっかりした。 私は、売れっ子芸人のニックネームがついてから、徐々に、殻を破りたくさん

      • 中学年

        小学2年の頃、近所の子が、他の友達と、私の悪口を言っているのが気になっていた。母に相談すると、その子が言ってた悪口をめもする「悪口ノート」を作りなさいと言われた。 それは違うと思い、先生に相談したら、先生も違うと言っていた。 私はバカだったから、友達にぽろっと言った悪口ノート作ればいいんだって。次に会った時こう言われた。 「あなたの悪口全部メモしている。」 やられた。 小学3、4年は、友達関係に悩んだ。男の子に嫌いと言われてから、自信がなくなり、近所の子と、あともう

        • 低学年

          小学1年生、転校生が来た。そして、家庭の事情で、転校していく子がいた。 転校していった子は、男の子で、今どうしているかはわからない。まーまーやんちゃだったけれど、転校する前に好感度が上がる謎の現象があった。 中国から来た男の子もいたその子もヤンチャで、よく、男の子と、喧嘩していた。 ひらがな九九を覚えた時代、低学年。 小学一年の頃、2週間ほど入院した。詳しいことは忘れたが、みんなに会えないのがさみしくて泣いた。母はずっといてくれて、チャーハンとか食べられる食事を持って

          幼稚園から小1

          お爺ちゃんが亡くなって引っ越した先は、田んぼだらけののどかでいて、虫も沢山出て来るような家だった。 ばあちゃんの家と、両親、私と妹が暮らす家は、同じ土地にあった。 自宅には、沢山、植物が植えてあり、石の裏のダンゴムシを見つけては喜び、ツバメの巣を見つけたら、ひなを追いかけた。 しかし、ツバメのひなは巣から離れると、しばらくは動いたが、追いかけていくと、動かなくなった。そんな悲しい記憶がある。 幼稚園は、山の方にあった。隣に小学校。 今は幼稚園は図書館になっているよう

          幼稚園から小1

          自分史を書こうと思ったきっかけ

          最近、自分の本音をぶちまけることが無くなった。どこか我慢したり、離席したりで、我を保つようになっている。 人によって話題を変えることも多くなった。興味ないかもしれないから。 相手も自分も楽しい話をしないと意味がないし、相手が不快に思うなら去るしかないと思う。 本音をぶちまけたところで、言葉が強く、相手に伝わらないこともあり、私の元から、人はたくさん離れて行ったとさ。 伝え方の問題もあったのではないかと思える。 といいつつ、私は、面と向かっては、昔から、発言することは

          自分史を書こうと思ったきっかけ

          曖昧な3歳までのハナシ

          お爺ちゃんが亡くなった。私が3歳の頃だった。 私は、いつもたこ焼きをねだっていた。 優しいお爺ちゃん。タバコを吸っていたらしいが、そんな思い出はない。 いつも笑顔で手をつないでは、たこ焼きをねだった。 病院に行った記憶はあるのだけれど、その後、ベットで寝てるお爺ちゃん。 髪の毛はなくなり、大きな青あざができていた。 病院は転院を2回ほど。初めは、肺炎と言われていた。 でも、気がついたら、末期ガンだった。 お爺ちゃんが亡くなった時、私は妹と遊んでいた。おそらく、

          曖昧な3歳までのハナシ