中学年

小学2年の頃、近所の子が、他の友達と、私の悪口を言っているのが気になっていた。母に相談すると、その子が言ってた悪口をめもする「悪口ノート」を作りなさいと言われた。

それは違うと思い、先生に相談したら、先生も違うと言っていた。

私はバカだったから、友達にぽろっと言った悪口ノート作ればいいんだって。次に会った時こう言われた。

「あなたの悪口全部メモしている。」

やられた。

小学3、4年は、友達関係に悩んだ。男の子に嫌いと言われてから、自信がなくなり、近所の子と、あともう一人の女の子以外とまともにコミュニケーションが取れなくなった。そして、近所の子は、私が他の子と仲良くしようとすると、嫉妬し厳しく当たって来た。近所の子は、他の子と仲良くしているのに。とよく泣いた。あともう一人の女の子は、笑顔の可愛い子だった。愛嬌もある。でも、皆んなとはあんまり仲が良くなかった。一緒にいよう。親友だよ。そんな言葉を軽々しく使う時期だった。

手紙の往復で、近所の子ともう一人の子ともめた。

ちょっといい顔されると、すぐに別の子の方になびくような微妙な友達関係だった。

実は、僕は味方だよと、近所の男の子は言ってくれた。実は優しい人だと言うのが分かった。

掃除の時、「〇〇ちゃんのバカ 他の子の名前」を雑巾で書いた。バレないと思ったけど、見つかって、誰が書いた?となった時、あまり絡みのない女の子が庇ってくれ、あとで、話を聞いてくれた。

仲良くしたいなあと思ったら、転校していった。

小学3年の担任の先生は男性で、当時、65歳。今も、年賀状のやり取りがある。

チョークが飛んで来たり、分度器でグリグリしたりしていたけれど、優しい先生だった。

お漏らしをしてしまい、あの男の子と同じように標的にされるのかと怯えていた私の手を握って、一緒に保健室に行ってくれた。

そして小学3年が終わる頃、定年退職して行った。

妹も小学校一年になり、集団登校一緒になった。よく、男の子に泣かされていた。

小学4年の頃、近所の子ともう一人の女の子と3人で居るようになってから、近所の子とその女の子がヒソヒソ言っているのが気になり、ふさぎ込むようになる。女子トイレに引きこもったり、誰とも、会話しないことも多くなった。

その時に、黙る。ことを覚えた。でもすごいストレスだった。

心のどこかで、親友だよと言ってくれた近所の子は見放さないと思っていた。でも、、

「あの子、喋ってくれないから何考えているか分からない。」

近所の子との付き合いは徐々に薄れていく。

今も付き合いのある二人と絡むようになったはじめの時期がくる。

笑った顔が、あるお笑い芸人の顔に似てると言ってきた。

それは、喋れるようになるが、波乱の始まりでもあった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?