曖昧な3歳までのハナシ
お爺ちゃんが亡くなった。私が3歳の頃だった。
私は、いつもたこ焼きをねだっていた。
優しいお爺ちゃん。タバコを吸っていたらしいが、そんな思い出はない。
いつも笑顔で手をつないでは、たこ焼きをねだった。
病院に行った記憶はあるのだけれど、その後、ベットで寝てるお爺ちゃん。
髪の毛はなくなり、大きな青あざができていた。
病院は転院を2回ほど。初めは、肺炎と言われていた。
でも、気がついたら、末期ガンだった。
お爺ちゃんが亡くなった時、私は妹と遊んでいた。おそらく、亡くなったと言う事実すら分かってないと思う。そんな3歳までの記憶。
あとは、妹が生まれたばかりの時、喋れないのに、お姉ちゃんと呼んでもらいたくて、でも呼んでもらえなくて、イラっとして叩いたり。
お母さんの眼鏡をたくさん壊したり。
よく噛み付いたりもした。
妹にお姉ちゃんと呼んでほしい。お母さんに構ってほしいという感情は、あったのに、お爺ちゃんが亡くなったと言う喪失感という感情はその頃はなかった。
3歳までの記憶の不思議な事。
団地の公園には、大きな受話器の遊具があったり楽しかったし、当時通っていた大きな幼稚園は孔雀がイタリ、一年に一回人形を燃やす行事があったりしたので、爺ちゃんが亡くなった事で引っ越すのが、名残惜しかった。
その頃から、名残惜しい、後悔するーあの時○○だったらと、よく思うようになっていたのかな。
そんなのは、今となってはとても意味のない事だ。
あとは、私もよく点滴を打っていた。1日入院というのが頻繁にあった。
それが、小学6年まで続いた。てんかんだった。
中学生からは統合失調症になり、今もなお通院している。
次は幼稚園から小1までの話を書きます。
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