高学年

小学4年、夏休み、近所の子は、私の夏休みの友を何十冊も、茂みに隠した。お母さんから貰ったサンダルも、茂みの中からボロボロの状態で見かった。それでも、親友と言ってくれた言葉を信じたかったけれど。

自分も閉じこもったし、近所の子の関心も別の子に移って行った。

小学校も高学年、思ったよりお姉さんになれていない。若い男の先生が担任で、みんな喜んだが、小学六年も同じ先生ということを知ると、みんながっかりした。

私は、売れっ子芸人のニックネームがついてから、徐々に、殻を破りたくさん喋るようになった。

いじりというのが発生しても大丈夫だったけれど。近所の子以外のちょっと、派手なグループと付き合うようになった。

コックリさん遊びをしたり、パーティーも、たくさんの子とした。

でも、ちょっとだけ無理はしていた。

一人の女の子が、同じ服を着ているということで、ターゲットになった。

また、みんなで、無視した。サビと呼んでいた。

終礼時の終わりの会では、その女の子と、小2の時にお漏らしをした男の子が、皆んなを告発する時間だった。

告発された側は、「ごめんなさい。」と言うが、形だけだった。

印象的なことは、今も付き合いのある女の子Mさんが、学芸会でしたい芝居の脚本を書いて先生に提出した「オペラ座の怪人」というものだ。

これは人権劇とは違うと、先生は却下した。

友達は自分が書いた脚本をビリビリに破いた。悔しかったと思う。

小学5年の時に一人男の子転校生、すぐに人気者になった。

小学6年の時に女の子転校生、私は、気持ちが分かるはずなのに、始めだけ喋ったけれど、その子と距離をとってしまった。他の子も一緒だった。楽しいとかそういう感情の出し方が、不自然だったというのがあるけれど、今も、悔いが残っている。

社会人になって社長になった男の子。みんなの私物にいたずらしてロッカーにしまっていた。死んでしまったひよこをテッシュにくるんでいるところを、ほかの男子に汚い、変なやつだと言われていた。

正直、近所の子しか知らなかったが、他の子もそれなりに、不完全だった。私も、みんなもムリしてたんじゃないかと思った。

私は要領が悪く、たまごっちを持ってきた事件も嘘がばれ、怒られたり、オペラ座の怪人却下の件を日記に書いて先生に訴えたり、まーまー生意気になってきたと思う。

Mさんは、人気者、前から、絵が上手いから好きだった。私も絵が好きだから。常にクラスの男子と恋の噂もあったりした。でも、ちょっと気性が荒く、バケツの中の水をぶっかけられたり、本棚の本をぶちまけられたりした。中学でさらに深く関わっていくことになるとは思っていなかった。

私は、いじられていた。犬に追いかけられたりもした。でも不思議と、近所の子といる時よりは満たされていた。

その時、妹のクラスは、担任の先生が優しすぎて学級崩壊を起こしていた。

小学6年の時、象徴的な出来事は、ゴミ箱が燃えたことだった。

他にも、何回か事件が起こるが、先生が犯人は手を上げろというと、なぜかやってもいない警察官の息子が毎回、手をあげていた。

みんな、先生が嫌いになっていた。。今思えば一生懸命だったけれど、正義とか色々、児童に押し付けている感じがあったかもしれない。多分、若さが。

中学に上がる前

私が「先輩に目をつけられている」という噂があり、毎晩、ベットの中で泣いた。中学が怖くて仕方がなかった。

同時に、本当の友達ってなんなのかよく分からないと思うようにもなる。








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