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12年前の3月11日

はじめまして、こんにちは☺️

今日は震災のあの日を振り返って
noteを書いてみようと思います。

関心のある方、見てくださったら嬉しいです。


***


あの日、私は高校を卒業したばかりで
自宅でのんびりと過ごしていました。


高校生活の3年間は私にとって暗くて
窮屈でとても辛く感じる時間でした。


そこから解放されホッとしているような
でも特に心が浮き立つこともなく、
あの頃の私は生きているのかどうなのか
分からないほど無の中にありました。


そんな中突然降りかかった震災。


もうやりたいことも、
楽しみもないような気持ちになっていた私でも、
実際に死が、終わりが、
近づいて来た瞬間ものすごい恐怖に襲われ、

まだ生きたい😭!!と
どこに向けてか分からない嘆願と祈りを
必死に捧げていました。


収まらない揺れ。


今にもすべてが崩れて
押しつぶされてしまいそうなほどの
経験のない揺れに
不安と恐怖と、生への執着だけが
増していくのを感じていました。


揺れが収まったあと、
鳴り響いたのは大津波警報。


これまで通っていた学校でも
避難訓練はありましたが、


津波に言及されたことはほぼなく、

建物の下敷きになることを避けるため
校庭や屋外に避難することを
私たちは教育されていました。


津波?どこにくるの?
どこへ逃げたらいいの?

初めての経験に、
初めて聞く
大津波警報。


私と家族は犬を飼っていたこともあり、
自宅に留まるという決断をしました。


結論からいえば、
私たちの出した答えは正解でした。


避難場所へ向かう途中の道も津波がきていて、
避難する途中に津波に巻き込まれた恐れが
あったからです。


でもそれは結果論でしかなく、
もし私の住む家にも津波が到達していれば
私は今生きていなかったかもしれません。


 友達や知り合い、身近な人も命を落としました。


みなそれぞれ、避難する途中だったり、
私と同じように家に留まる選択をしたり、
生きるためにどうするかを
悩み迷った結果でした。


私たちはよく知らなかった。


どこにどの程度の津波が来るのか、
どこへ行けば無事なのか、
どれぐらいの時間で津波が到達するのか。


そして今も、その現状は
さほど変わっていないと感じています。


避難場所は最寄の学校や高台ということに
なっていますが、


夜の時間帯や冬の寒さ・雪の中で
地震が来たら、
避難が間に合わない可能性もあります。


それぞれの近くに避難タワーのようなものが
出来ればと思うこともありますが
国や自治体も予算や計画がありますし、
すべての住民のために対策を練ることは
きっと難しいのだと思います。


最後には個々の選択がすべて。

どこへ避難するのか、
なにを持ち出すのか、
誰とどこで待ち合わせるのか。


すべてが自分の選択に委ねられます。


いざ自分がその立場になったとき
どこへ向かうのか、
どこで家族と待ち合わせするのか、
話し合っておくことは大事だと
強く強く思います。


家族が心配で、自宅が心配で
様子を見に行く途中で
命を落とした人があの日多くいました。


互いが避難していることを信じて
待ち合わせる準備が
あの頃にはできていませんでした。


冒頭の話に戻りますが、
私はあの時、無気力で生きていました。


でも、死が身近にあると感じたとき
このまま終わりたくないと
心が叫ぶのを感じました。


日々をなあなあに過ごしたり
まぁいいかと惰性に流されたり
そんな日も時にはあるけれど、


それでも、3月11日が来るたびに
その瞬間の気持ちを思い出します。


今日で私の生が終わるとしても
『素晴らしい人生だった』
『やれることはやった』と
そう思えるように生きよう。


あの日感じた恐怖の中に

生き延びたからこそ
生かされたからこそ

生への希望を掴むことができています。


亡くなった人の分まで、
そんなに立派には
私は生きられないかもしれない。


それでも自分の生は全うしようと
そう思うのです。

今隣にいてくれる人も、
今住んでいる家も、
家族がいることも、

すべてが当たり前ではないと知ったから。


当たり前の日々が続くこと以上に
幸せなことは何もないのだと
分かったから。


だから、今日
伝えなければと思います。


自分の命を守ることの大切さを。
生きているだけで素晴らしいのだということを。



被災地や亡くなった人に想いをよせる
それだけが弔いではないと思っています。

身近で起きたことでなければ
実感は湧きにくい。

それは仕方のないことだと思います。

今日という日を楽しんで幸せに
生きている人がひとりでも多いこと

それだって
誰かの救いや慰めになること
なんじゃないかなと私は考えています。


自宅も家族も無事だった私は
被災者として綴ることにも
後ろめたさがありました。


でも12年経って、
書きたいと思って
noteを更新しました。


必要以上に恐れることは
してほしくないけれど、

でもいつ来るか分からないから

せめて今日を、
大事な人と過ごす瞬間を
自分として生きる時間を
大切にしてほしい。


生きてるだけで価値がある
そのことを知ってほしい。


あなたの今日が
笑顔と優しい心に包まれますように。


最後まで読んでくださって
ありがとうございます♡

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