見出し画像

「おごり返せる人生を目指して」を読んで

この記事を読んだ。書いてある内容とは少し異なるが、僕なりに刺激を受けたので僕なりにおもうところを書いてみる。

−−−

僕の人生は、これまで圧倒的に「おごられる」ことが多かった。

それはなぜかとかんがえたら、小学校、中学、高校、大学、社会人、といくつもの組織に所属して、それなりに多くの人間と付き合ってきたのだが、同輩や後輩よりも(僕からみて)先輩や年上の人と過ごす時間が長かったからだとおもう。

そのときの心境は、「最高学年のいっこ下」というポジションが妙に心地よく、満足のいくものだったのだと。だからいざ、僕が最高学年という立場になると急に熱が冷め、飽きてしまい、さいあくの場合、その組織をやめてしまうことも何度かあった。

先輩にたよりがいがあって、実力もあるからチームとして成績も残せる。とてもいい環境に身を置いていたんだなとかんじるが、未来の僕から言わせれば「自分の責任で動くことができない虎の威をかる狐にすぎない」ともとれる。

−−−

だからというか、なんというか。結果的に僕はよくおごられていた。問題なのは、「おごり返した」経験がほとんどないことだ。

おごるという意識が芽生えてきたのは、高校か大学ぐらいのときだ。「お前が先輩になったとき、同じように後輩におごってやれ」といってくれたカッチョイイ先輩もいたのだが、先述のとおり僕は最高学年になる前後でやめてしまっている。前職の建設会社でも、現場に後輩がやってきたらすぐに僕は転職をしてしまった。

後輩がむりなら、おごってくれた先輩にそのままおごり返そうとしたこともあったが、その先輩はついぞ僕のお金を受け取らなかった。それを受け取らない人間であればこそおごってくれるのだろうが、ありがたいと同時になんだか少し申し訳ない気持ちにもなる。

−−−

ところで、あと1週と少しでバレンタインデーだ。

『バレンタインデー』は日本大百科全書によると、「のちの迷いをなくすために兵士の結婚を禁止したローマ皇帝にたいして、異論をとなえたバレンタイン司祭が処刑された日」である。

そこから、はじめの頃は親子の愛の教訓と感謝を書き記したカードを交換するという風習になった。それが20世紀になり、女性が男性に愛の気持ちを告白する唯一の日になった、といわれている。

−−−

数や頻度はべつにして、僕はこれまでほんとうに「受け取る側」になることが多かった。

近年では、男性から女性に、デートでも割り勘というのも違和感がなくなってきたような気もするが、おごる練習として「まずはチョコレート」というのもありな気がする。

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

55,586件

僕の記事をここまでお読み頂きありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 頂いたご支援は、自己研鑽や今後の記事執筆のために使わせていただきます。