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イギリスのモッドな若者達に愛されたロックの最重要ルーツ/ブルースとR&B

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©English Wikipedia 

ロックンロールは、本国アメリカにおいては一過性のブームとして過ぎ去りました。

しかしながら、ブリティッシュ・インヴェイジョンという一大現象が物語るように、イギリスにおいてはロックンロールが一部のティーンエイジャーの間で愛着を持って親しまれました。

ロック・ミュージック、つまりブリティッシュ・ビートを展開する彼らが特に敬愛を示したのは、ブラック・ミュージック、特にブルース/R&Bでした。

ブルース/R&Bの特徴であるモダンなサウンドやダンサブルなビート、そして、「野生的かつ性的暗示にみちた」(1)という特質は、英国のモッドな若者達の心を揺さぶり、やがて彼らのカヴァーを通してロックの原石となります。

音楽機材の発達やアフリカ系アメリカ人/黒人達の大都市への移動から進展を遂げたブルース/R&Bは、例えば、フランク・シナトラらに代表されるような古き良き資本主義における象徴的な音楽であるアメリカン・ポップスとは異なる魅力があり、そして、彼らの表現には、当時の米国社会、特に大都市における生活者達のリアリティの反映がありました。

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Muddy Waters/『The Best of Muddy Waters』(1958)

作品評価★★★★★(5stars)

シカゴ・ブルースの帝王による1stは、40年代後半~50年代前半の楽曲群を編纂する形でブルースの名門チェスから上梓される事となった。

南部ミシシッピにルーツを持つマディ・ウォーターズは、北部シカゴへ渡った後、レーベルメイトのリトル・ウォルターやオーティス・スパンらとセッションを重ね、各パートにおける電気楽器の使用からカントリー・ブルースをアーバン・ブルースへ発展させていく。

当時、キャリアの絶頂期に達していたウォーターズは、ワンコードで貫かれた特徴的なスライドを軸とした貫禄のある歌とバンド・サウンドで、自身がモダン・ブルースのボスである事をロックに重く突き付けた。

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Bo Diddley/『Bo Diddley』(1958)

作品評価★★★★(4stars)

チェス・レーベルの傘下から現れたボ・ディドリーは、同じくチェス在籍のチャック・ベリーと対を成すロック黎明期における開拓者だ。

ロックンロールの王様ベリーとは対照的なギタースタイルを持つ無冠の帝王ディドリーは、自身の名を冠したジャングル・ビートの展開からロックンロールのもう一つの原型を築き上げた。

ブリティッシュ・インヴェイジョンの前夜、変形エレクトリック・ギターを完成させたディドリーは、より強化されたトレモロサウンドでUKチャートに侵攻し、ストーンズらを始めとするボ・ビート信奉者達の獲得に成功した。

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Sam Cooke/『Sam Cooke』(1958)

作品評価★★★★(4stars)

元ソウル・スターラーズの貴公子が発表した処女作は、宗教音楽であるゴスペルと商業音楽であるR&Bが見事に重なり合う瞬間が収められた記念碑的なアルバムである。

甘い歌声とルックスを兼ね備えたサム・クックは、後に国際的なシンガーとして君臨するレイ・チャールズより先駆けて、黒人と白人の両マーケットで大ヒットを記録し、ブラック・ミュージックの代名詞とも言えるソウルの一般化に貢献した。

歌手、ソングライター、音楽プロデューサーとあらゆる才能に恵まれていたクックは、時代や社会の一つ先を読み、自主的な出版社/レーベルの設立から若手シンガーの育成までも手掛け、遺作においては米国音楽史に残る普遍的な楽曲さえ書き上げた。

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James Brown/『Please Please Please』(1958)

作品評価★★★★(4stars)

後にソウルのゴッド・ファーザーとして喝采を浴びる異端者のキャリアは、ゴスペルで交わされる熱情的な儀式をショービジネスへ持ち出し、熱狂的なエンターテイメントとして披露する事から始まった。

初期のジェームス・ブラウンは、バラードナンバーとダンスチューンの大きな二つの引き出しを備えているが、よりリズムに特化する事でやがてファンクを確立していく。

シーンの主流でのサヴァイヴを常に図っていたJBは、時に社会運動と関わりを持ちながら、大規模な興行を一団率いて展開した。そして、本領を発揮したライヴ・アルバムにおいては、並々ならぬ野心を宿していた。

註(1)キャサリン・チャールトン『ロック・ミュージックの歴史 上 スタイル&アーティスト』佐藤実訳、音楽乃友社(1996)

最後に、今日セレクトしたアルバムの中から筆者が「これぞ!」と唸る一曲をご紹介させて頂きます。



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