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ミイラ女

山奥の小さな村に、ミイラ女という若い女が住んでいました。ミイラ女は、全身傷だらけで包帯で体中をぐるぐる巻きにしており、その一風変わった姿に、近くに寄る者はほとんどいませんでした。ミイラ女もまた、村人たちを避けて、山奥のはずれに家を建ててひっそりと暮らしていました。
 ミイラ女の家はその静かなたたずまいとは対照的に、村の外から訪ねてくる薬売りたちでにぎわっています。薬売りたちの間では、ミイラ女を少しちやほやすればどんな薬でも簡単に買うと有名で、毎日のようにたくさんの薬売りがミイラ女のもとを訪れます。
「この薬は最近新たに開発された薬で、効き目が抜群なんです。一番にあなたに使っていただきたくて持ってきました。」
「この薬は、塗って1日2日で、驚くほどきれいに傷跡を消してくれるんですよ。すごいでしょう。」
「ミイラ女さんのようなすばらしい方にぜひ使っていただきたくて」
 薬売りたちはいつでも言葉巧みに、その辺の葉を煎じた効果のない薬を売りつけます。
「私のために、こんなに人が来てくれるなんて」
 ミイラ女は、自分が人気者になったと思い、ついつい薬を買ってしまいます。買った薬を傷口に塗りこむと、効果がないどころか傷がずきずき痛み出したり、悪くなることもあります。だまされたことに気付いてもミイラ女は薬を買うことをやめることができません。業者が家に来なくなり、ひとりぼっちになることが、ミイラ女は寂しくてたまらないのです。
 また、ミイラ女は、薬売りたちがいつもその衣服の裏側をつぎはぎだらけにしていることに気が付いていました。医者が出す薬が重宝されるこのご時勢、医者を通さず商売をする薬売りは、村人から信頼されておらず、もうかる仕事ではありませんでした。薬売りたちもそれぞれ家族があり、生きて行かなくてはいけない。ミイラ女は、そんな事情を察して、彼らの懐を少しでも暖かくできればと、ついつい、いらぬ薬を買っては傷を深くしていきました。

「ミイラ女、あのいやしい薬売りたちから薬を買うの、いい加減やめなさいよ!」
 ミイラ女を訪ねてくる、ただ一人の村人のマチルダはミイラ女のこのような行動にいつも口出しをします。
 「あいつらは、ミイラ女のことなんか考えちゃいないよ。自分たちが儲けて美味しい思いをすることしか考えていないんだから」
 「マチルダ、おせっかいはよしてよ。薬を買うのは私の勝手でしょ?それに、あの人たちだってかわいそうな人たちなんだから」
 「あんた、自分のことをもっと考えなさいよ。村人たちもあんたのこと、気の毒にみているわよ。」
 「村人たちなんか最悪よ。私に近づこうともしないじゃない。どうせ、私のような奇妙な人間のことを面白おかしく噂しているだけでしょ。あなたも帰ってよ。私のことはほっといてよ!」
 「あんたって人は……、もういいわ。勝手にしなさい」
 マチルダはため息をついて、帰っていきました。
 ミイラ女を見ていつもこそこそとうわさ話をしたり、逃げていく村人たちなんかこっちからお断りだわと、冷たい態度で接していました。唯一忠告してくれるマチルダのことも、追い返してしまいます。

 
 風がビュービューと吹きつけるある夜のこと、ミイラ女の傷がいつもよりも強く痛み、ついには体中が赤く膨れ上がってきました。
 「いつもより痛い。天気が悪いせいかしら」
家中にある薬を塗ってみましたが、よくなるどころかさらに痛みは激しくなり、腫れも増してきます。
 「もしかして、傷口からばい菌が入ったのかもしれない。どうしよう」
 ミイラ女は、しばらく横になって痛みが引くのを待ちましたが、よくなるどころか強くなって行く痛みに我慢ができなくなり、ついには家を飛び出しました。
 村に降りて行けば、村人たちがいますし、病院の場所だって知っています。しかし、あんなひそひそ話ばかりする村人たちにこんな哀れな姿を見られたり、助けてもらうのはしゃくにさわります。
ミイラ女はしばらく悩んで、良い案を思いつきました。いつも家に一番に訪れる、薬売りなら助けてくれるかもしれない。この薬売りは多くの薬売りたちの中でもミイラ女が一番ひいきにしており、彼の3人の子供たちのためにお菓子やフルーツを分けてあげることもありました。
「いつも仲良くしているあの人なら、きっと助けてくれる」
 ミイラ女は、必死の思いで山を越え、薬売りの家のドアをたたきました。
「薬売りさん、お願いします。助けてください。傷が大きく腫れて、ずきずき痛むの。お願い。ドアを開けて」
 ドンドンと大きくたたきますが、家の中からは何の反応もありません。
「薬売りさん、お願い。助けて」
 何度も何度も呼びかけたところ、家の中にうっすらと明かりが灯りました。ドアがほんの数センチ開きます。
 「こんな夜遅くからなんだい、ミイラ女さん」
 薬売りは怪訝な顔をしてドアの隙間から顔を出します。
 「薬売りさん、お願い、体中がこんなに腫れあがっちゃって。もう自分ではどうしようもなくなっちゃったの。助けてよ。お願い。」
 「知らないよ。俺のせいじゃない。それになんだい、その膨れ上がった奇妙な顔、そんな顔でうちにこられちゃ、子供たちも怖がって眠れなくなっちゃうだろう」
 ドアの隙間からは、3人の子供たちが震え上がりながらミイラ女のことを見ています。家の中からは暖かな空気と美味しそうなスープの香りが漂ってきます。
 「ほら、帰った帰った。最初から薬さえ売れればよかったんだ。あんたを助ける義理なんかないよ」
 薬売りは、ひきつった笑顔を浮かべて、ミイラ女を追い返しました。ミイラ女は、痛みすぎて感覚を失いそうになっている体を引きずり、家に向かって歩き出しました。強く吹きすさむ風はついには雨を伴ってミイラ女に吹き付け、その包帯にしみこんでは傷口の痛みを呼び起こします。ミイラ女の目からは、冷たい涙が静かにぽとりぽとりと流れ出しました。
 その涙は、裏切られた悔しさではなく、ミイラ女本人のふがいなさのために流されたものでした。
私はこれまで、薬売りたちにちやほやされることを、自分が人気者になったんだと勘違いして、薬を買い続けてきた。マチルダがいうように、薬売りたちは親切なんかではなく、私が簡単に薬を高い値段で買うからからだったんだわ。自分が好かれたいあまりに、あの人たちにこびを売って、ばかみたいに親切にして…。
彼らのことをかわいそうだと思っていたけど、あんなに暖かな部屋で家族に囲まれて生きている。本当に惨めなのは私のほうだわ。
これまでのことを思い出すごとに、体だけでなく、心がずきずきとえぐられるように痛みだしました。
 ミイラ女は村の入り口を越えたところまでたどりついたところで、ついには倒れこんでしまいました。
ここで死んでしまうのかしら。あまりに無様ね。
 ミイラ女は最後に雲に覆われた空を仰ぎ見て、冷たい大粒の涙を流しました。
 「さっきのスープの香り、とても美味しそうだった。最後に…暖かいスープを飲みたかったわ。」
 そのまま、目をつむり、気を失ってしまいました。

 

 目を開けると白いまぶしい光。そしてマチルダの覗き込む顔がありました。
 「あら、ここは天国かしら。マチルダはどうしてここにいるの?」
 「天国なんかじゃないよ。ここは病院。あんた、私の家の前で倒れてたんだよ」
 「マチルダ、助けてくれたの?」
 「そりゃそうだ。あんたがあんなに苦しそうにしているの、初めて見たもの」
 「私、いつもマチルダの言うことを聞かずに追い返していたのに……」
 「あたしは、おせっかい者だから。それに、あんたのこと嫌いじゃないからさ」
 マチルダは、頭に巻きついた長いくせっ毛をぼりぼりとかきながら、照れくさそうに窓の外を眺め見ました。
 ミイラ女の目から今度は温かい涙がぽとりと流れ落ちました。そうか、私を本当に大切にしてくれる人はこんなに近くにいて、支えてくれたことに私は気付かなかっただけなんだ。
 「あたしだけじゃないよ。あんた、重いから私だけじゃ運べなくて、村の人たちが手伝ってくれたんだよ」
 病室のドアが小さく開いて、たくさんの目がミイラ女を心配そうに見ているのに気がつきました。ミイラ女は驚いて、ベッド横にあったお茶をこぼしてしまいました。目を白黒させながら、「みなさん、こ、ここまで運んでくれてありがとう」といいました。
 その様子があまりにも不器用でかわいらしかったため、村人たちはとたんにミイラ女のことを大好きになりました。村人たちは、確かにミイラ女のその異様な様相を怖がっていましたが、それ以上にミイラ女のいつもつんつんとして、冷たい様子が怖くて近寄ることが出来なかったのです。
 


 ミイラ女は2ヶ月入院をして、無事に退院しました。傷はまだあとが残っていますが、腫れは収まり、痛みも治まってきました。家に帰ってからも、マチルダや村人たちが尋ねてきてはミイラ女の様子を見に来てくれます。
 そんなある日のこと、ミイラ女が退院したことを聞きつけて、薬売りたちが、やってきました。
 「ミイラ女さん、ついにすごい効き目のある薬が出来上がりましたよ。傷が全部治ってしまえばあなたはさらに美しく、人気者になりますよ」
 彼らはいつもの調子で、満面の笑顔を貼り付けて薬を売りにきました。
 ミイラ女は、薬売りたちの言葉巧みな言いように心がくすぐられそうになりました。また、薬売りたちの服のすそのほつれやつぎはぎの跡に、ついつい目が言ってしまいます。 
 『そんなときは、あたしたちのことを思い出して』
マチルダの言葉が聞こえてきたような気がしました。村人ひとりひとりの顔がミイラ女の頭をよぎります。
そうね、私には、私を好きでいてくれる仲間がいる。心配してくれる仲間がいる。もう、寂しくなんかない。
 ミイラ女は、ごくんとつばを飲み込み、ゆっくりと息を吐くように言い放ちました。
 「いらないわ」
 薬売りたちは、想像もしなかった言葉に思わずきょとんとしてミイラ女を見つめました。
 「ミイラ女さん、今回こそは、本当に上等の薬ですよ!傷が治らなくても良いのですか?」
 「必要ないの。薬も、あなたたちも。私には必要ない!」
 ミイラ女は有無を言わさない態度で、強く言い放ちました。薬売りたちはこれまでにない剣幕に驚いて、それ以上何も言うことなくいそいそと帰って行きました。
 薬売りたちが帰った後、一瞬だけ寂しい気持ちになり、おろおろと部屋中を歩き回りましたが、すぐにすがすがしい気持ちがこみ上げてきました。ミイラ女は初めて、自分のことを大切にすることが出来たのです。
 「マチルダや村人たちのおかげで、断ることができたわ。みんなにお礼をしなきゃ。」
 ミイラ女は、その日の夜、村の集会所に出向き、マチルダや村人たちに温かいかぼちゃのスープを作って振舞ったのでした。
みんなで、おしゃべりをしながら食べるスープは格別で、村人たちはたくさんお代わりをして、夜遅くまで踊り明かしました。
ミイラ女のこわばっていた表情は自然と柔らかくなりました。

 
 季節は変わり、梅のつぼみが春の訪れを知らせる頃、村の集会所近くの空き家で、ミイラ女はあることを始めました。
「ミイラ女、あんたやっぱり包帯の巻き方うまいわね。それに、そのカラフルな包帯はどこで売っているの?」
マチルダが、何気なくミイラ女の包帯をほめたのがきっかけでした。
ミイラ女は、いつも傷がしっかり隠れるように包帯の巻き方を工夫していました。また、最近では包帯をカラフルに染めて、かわいいリボン結びや花結びをしておしゃれをするようになっていました。
「自分で染めたり工夫しているのよ。こうしたら、傷もしっかりカバーできるし、おしゃれにしているととっても気分がいいの」
 「それ、いいアイディアだね。そうだ!あんた、お店をやりなよ。そのかわいい包帯を売って、結び方を村人たちに教えてよ。みんな怪我をしても包帯で傷を治せて、しかもおしゃれまでできるなんて知ったら大喜びだよ」
「私にできるかしら。みんなが包帯に興味を持つか不安だわ」
「できるかは、やってみなきゃわからないじゃない。私は買いに行くよ」
 マチルダの応援にミイラ女は勇気がわいてきました。村人たちを喜ばせることが自分にもできるのだと嬉しくなりました。
 ミイラ女が小さな包帯屋さんを始めると、店はたちまちはやりだしました。店に並ぶ包帯は、どれもしっとりと柔らかく使い勝手の良いものばかりでした。また、カラフルな包帯をまくことがおしゃれだと、特に村の女の子たちから好評だったのです。村人たちは怪我をしていてもしていなくても店を訪れ、ミイラ女から包帯の巻き方やおしゃれな結び方を習っては包帯おしゃれを楽しんでいます。ミイラ女は、いつも夜遅くまで包帯を作ったり、新しい結び方の研究をしています。忙しい毎日ですが、とてもゆったりと幸せな気持ちに包まれていました。

 

 桜の花が咲き乱れる季節、ミイラ女の包帯屋はますます繁盛し、開店前から村人たちが店の前に並ぶようになりました。
この頃には、ミイラ女の体中の傷は、ほとんど目立たなくなるほどに治ってきていました。きちんと病院に通い、効果のある薬を塗り続けていたためです。
しかし、ミイラ女は、今でも包帯を巻いています。包帯でおしゃれをするのが楽しい気持ちが半分と、包帯を取ってしまうと、村人たちが、また寄ってこなくなってしまうのではないかという不安な気持ちが半分あります。
「マチルダ、私が包帯を取ったら、また村人たちはみんな逃げていっちゃうんじゃないかしら」
「そんなことないよ。包帯を巻いていようが巻いていまいが、関係ないよ。ミイラ女はどんなに忙しくても、丁寧に包帯の巻き方を教えてくれるでしょう?そんな優しいミイラ女のことがみんな大好きなんだから」
「そうかしら。」
 ミイラ女は、マチルダの言葉に嬉しくなりましたが、まだ包帯をとることができません。なんせ、もう何年も包帯を巻き続けてきたのです。勇気を持つのにはもう少し時間がかかりそうです。ですが、いつかは包帯を取って、そのままの姿でみんなの前に出ることができたら、さらに楽しい日々が待っている予感がします。
「私包帯を取ったら、ミイラ女という名前はおかしいわよね。何と名乗ればいいのかしら。」
「なら、あたしみたいなカッコいい名前を考えてあげるよ」
「マチルダに名前なんて考えられるの?」
「あたりまえだよ、マチルダって名前だって自分で考えたんだから。いかしてるだろ?」
マチルダは、得意げに巻き毛をくるくると指に巻きつけています。そして、うーんと数秒考えた後、急に飛び跳ねて言いました。
「いいこと思いついた!『ミイラ』じゃなくて、『ミライ』なんてどうだい?ミライってのは、これからの将来って意味だよ。ミイラ女が将来に希望を持って生きていくためにぴったりの名前じゃないか。」
ミイラ女はにっこりと微笑み、マチルダを抱きしめました。
「私、いつかミライになるわ!」
二人は手をつないで、村人が待っている川のほとりの集会所に向かって走り出しました。暖かな春の風が二人の背中を優しく押してくれます。空はどこまでも高く澄み渡り、ミイラ女の行く道を限りなく映し出していました。

(※ドン・タケシさんのイラストをお借りいたしました。素敵なイラストありがとうございます。)


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