予備校生になった時の話

私が初めて「予備校」と呼ばれる摩訶不思議な世界の門戸を叩いたのは、確か高校2年生の夏前のことだったと記憶している。それまでは、小学5年生から大手学習塾に通っていて、高校受験まで大変お世話になっていた。しかし、一応大学受験クラスがあるとは言え、この塾のメインターゲットは高校受験生だった。大学受験クラスの講師は、学生アルバイトかあまりパッとしない社員講師ばかりだった。

私の高校は「一応」新学校であったため、外部の塾講師による放課後学習なんてものを開催していた。外部講師も自分の学習塾の宣伝も兼ねて来ているので、「高2の夏を制する者は大学受験を制する!」だなんて言って、今までのほほんとしていた高校生を焚き付けるのだ。学校の先生も「ほら、山田!〇〇塾の先生も仰ってたろ、今から勝負は始まってるんだぞ!」などと、本来は教師が言うべきことなのに、責任放棄のような発言を平気でしていた。
そんな環境に身を置いたせいで、半ば洗脳されたかのようになってしまった私は、他に遅れを取るまいと予備校に通う決意をした次第である。

当時も「いつでしょ!」の講師を筆頭としたあの有名なCMがよくテレビで流れていたため、T進予備校も候補の1つだった。しかし、私の住んでいた地域は若干田舎だったため、放課後から気楽に通える距離圏にはサテライト校舎しかなかった。
生講義を受けたかったので、T進予備校は見送ることとなった。

次に目をつけたのは、「可愛い」塾だった。私の地元の校舎は名前の通り、古い雑居ビルの5階、6階にテナントで入っている可愛い小さな塾という印象だった。
夏休みも目前に迫っていたため、体験授業を受けてそこそこ良かったら、もうここにしようと考えていた。
私は理系だったので、理系の主要科目とも言える数学の体験授業を受けることにした。そして、この体験授業で衝撃的な出会いを果たすこととなったのである。

当日は20分ほど早く着席して、その日に配布された体験授業用のテキストを眺めていた。教室は一般的な学校の教室よりも、やや狭めと言った感じだった。
そして、講義が始まる前から、私を驚かせたことが起きた。清掃員の装いをしたおじさんが入って来たので、講義前に教室の掃除でもするのかなと思っていた。しかし、そのおじさんはおもむろに黒板を雑巾で拭き始めた。そして黒板のチョーク置きの粉も綺麗に拭き取ると、そそくさと教室を出て行った。

なんと予備校には黒板を掃除する専門の人までいるのか!と講義前から驚かされた。しっかりと雑巾掛けされた黒板はピカピカで、鏡のようだった。
今まで私が通っていた学習塾では、講義が終わる度にその教室を使っていた講師が黒板消しで拭く程度だった。だから黒板の掃除をメインの仕事としている人がいたのは、軽いカルチャーショックだったのだ。後からわかったことだが、この清掃員さんはもちろん黒板以外も掃除されておられました。

予備校というのは、どうやら自分の知る学習塾とは次元が違うぞと認識しかけたところで、講義開始時間となった。
どんな人が来るのだろうと、かなり想像を巡らせてはいたが、とりあえずスーツネクタイの声の大きなおじさんが現れそうだと勝手に予想していた。

すると「おい〜っす」というまるで行きつけの居酒屋にでも入って来た客かのような挨拶とともに、もみ上げから口の周りまで豊かな髭を蓄えたおじさんが入って来たではないか。
しかも服装は真っ赤な半袖Tシャツ、やや擦り切れが目立つジーパン、そしてサンダル姿という予備校の講師と言われなければ絶対に職業を当てることなど不可能と思われる格好だ。私の予想は「おじさん」という部分しか当たっていなかった。

良い意味で大きく期待を裏切ってきた服装と佇まいに呆気にとられていると、「僕ちゃんどこの高校?」といきなり高校名を聞かれた。
私はハッと我に帰り、「〇〇高校です!」と答えた。
「〇〇高校かぁ〜、ずいぶん遠いところから来てるんだねぇ〜」と言われたが、高校からこの校舎までは自転車で15分だし、電車を使えば5分で行ける距離である。
私は思った、このオッサン適当に話してやがると。

それから私以外の数名にも高校名を聞き、また適当な返しをしてお互いの事情がわかったところで講義へと入った。
しかし、この講義というのが、まさに目からウロコが落ちるレベルでわかりやすかったのである。しかも間にちょこちょこ入れてくる雑談がこれまた馬鹿面白いのである。50分ほどの講義だったがあっという間に終了してしまった。

私がこの予備校に通うと心に決めた瞬間であった。





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